第22話
「ダグラスお兄様、私、やっぱり舞踏会に行きます!」
仮面舞踏会だと知ると、新し物好きな妹は嬉々として手を上げ、俺に詰め寄ってきた。まったく、どうしてこいつはこんなに気分屋なのだと愚痴りながらも、同時にこれは、舞踏会でのあの二人を見るいい口実ができたなとも思う。なので、あえて面倒くさそうな態度をとりながら、エスコートを引き受けた。そこまでは問題なかった。
しかし、会場につくなり妹が消えた。ダシに使うのはお互い様だけれど、いくらなんでも早すぎないか? 誰にも挨拶してないぞ? 給仕係が持ってきたグラスを手にしながら、会場内を見渡すがそれらしき姿は見当たらない。まぁ良いか、休憩室に籠らないぐらいの貞操観念を持っているだろうと、兄としての責任を早々と放棄した。
そして、あの二人を探す事にした。
俺とレオンハルト様は学生時代からの付き合いだ。頭の良さを買われ今は彼の書記官をしている。
学園時代は、俺もだけれど、レオンハルト様も令嬢から頻繁に声をかけられ、色目を使われ、プレゼントを貰っていた。
レオンハルト様はいつも令嬢たちを袖にする。それがまた、クールで良いと人気に拍車をかけてはいたのは傍目に見て狡いと思う。
そんな堅物が、ある日、一人の侍女を目で追うようになった。
顔半分が隠れるほど長い前髪の彼女は、他の侍女のようにむやみに話しかけたり、親しくなろうとあの手この手を使うことはしなかった。ただ、忙しい俺達の為に片手で摘める食事を用意し、何も言わずそっと机に置いていく。
一見無愛想に見えるけれど、食べやすい大きさに揃えられたサンドイッチから彼女の心配りは充分に伝わった。すっとした鼻筋と形のよい唇から、実はかなりの美人じゃないかと密かに思っていたが、それは俺だけではなかったようだ。
レオンハルト様がなぜ彼女を気にするかは分からない。
自分に無関心な彼女が珍しかったのか、心配りが嬉しかったのか、その両方か。
無愛想で表情筋が麻痺してるんじゃないかと思うあの顔が、彼女が来た時だけ緩むようになった。サンドイッチを食べる口はほころんでいる。美味いから、だけじゃないのは一目瞭然だ。
それはほんの数ミリ程度の事なので、長い付き合いの俺でないと分からないだろう。
身分の違いはあるけれど、昨今では力を付けた商家の娘が貴族の養女になったあと、高位貴族に嫁ぐ話もパラパラと聞く。金とツテさえあればなんとかなるし、レオンハルト様にはそれがある。五月蝿い親もいない。やりたい放題だ。実にうらやましい。下世話な意味じゃなく。
さて、どうするのだろうか、と生ぬるい目で見守っていると、ある日彼女が執務室に来た。レオンハルト様に雇われて。なるほど、こんな権力の使い方もあったか、と感心した。ちょっとまどろっこしい気もするけれど。
レオンハルト様がどんな環境で育ち、気を張りながら生きてきたかは俺なりに理解しているつもりだ。だから、もし、彼が気を許せる相手を見つけたのであれば、喜ばしいことだ。
少々独占欲が強いレオンハルト様を揶揄う楽しみもできた。普段から休みなく働いているんだ。これぐらいは楽しませてもらおう。
広い会場内、仮面をつけた人ごみのなかからやっとそれらしき人物を見つけ声をかける。
「レオンハルト様」
「あぁ、ダグラス、妹はどうした」
「来てすぐに消えました。まだ会場内にいるとは思うのですが」
仮面をつけているけれど、妹のドレスは覚えている。多分、部屋の隅で令息達に囲まれているアレだと思うけれど、邪魔はしないでいてやろう。今は俺も忙しい。
「……見失いました。そのうち見つかるでしょう。それよりリディに挨拶したいのですが」
俺の言葉にレオンハルト様の右眉がピクリと数ミリあがる。
「気にせず妹を探せば良いだろ」
「いえいえ、だって見たいじゃないですか。リディの淑女姿」
今度は軽く舌打ちが聞こえる。やれやれ。やっぱり揶揄うのはやめれない。そして、その視線の先には、黒髪の小柄な女性に声をかけようとしている男が二人。
「どいつも、こいつも……」
愚痴りながら早足で歩き出すレオンハルト様。俺もちゃっかりその後ろについて行く。でも、その足は途中で立ち止まった。どうした? 後ろから首を出して覗き込むと、先程の黒髪の女性の元につつっと侍女が二人歩み寄って行く。赤い髪の侍女は持っていたグラスを彼らに渡しながら、適当にあしらい、背の高い侍女がリディをさりげなく移動させていく。
「あの二人は?」
「先程もリディと話していたから、同僚だろう」
そう言いながら、また歩き出す。先程よりはゆっくりした速さだけれど。
近づくにつれ、三人の会話が聞こえてくる。
「リディ、アレぐらい適当にあしらいなさいよ」
「ハンナが慣れすぎなのよ」
艶やかな黒髪を複雑に編み込み、所々に白い花を模した飾りを着けたリディが口を尖らせながら反論する声が聞こえる。細身のドレスは華奢だけれど意外と女性らしいリディの身体のラインを品良く拾い、広がる裾が動く度に軽やかに揺れる。
「それにしても大規模ね。これだけ人がいたらハンナ達の元婚約者もいるかもよ?」
「ハンナを好きになる人って執着心が強いから何年も思い続けてそうよね」
リディに答えたのは、栗色の髪の長身の美人だ。クールビューティーと言った感じだろうか。
「やめてよ。二度と会わない婚約者を思い続けるなんて執着心が強すぎて怖いわ」
夢見る若い乙女が聞いたら、眉を顰めそうだけれど、一理ある。溺愛と独占欲とストーカーは紙一重が俺の持論だ。
ハンナと呼ばれた赤髪の侍女があからさまに顔を顰めるのを見てリディがクスクスと笑う。
ごく普通の会話だ。それなのに、レオンハルト様の様子がおかしい。
「なぁ、ダグラス。二度と会えない人間を思い続ける……いや、時々ふと思い出す程度だが、それは執着心が強すぎるのだろうか?」
「へっ? まぁ、いや、どうなんでしょうか?」
なんだ、この、なんと答えるのが正解か分からない質問。俺が答えあぐねていると、運良くリディと目が合った。思わず片手をあげるとリディが微笑んだ。
「レオンハルト様、もう宜しいのですか? ダグラス様、お会いできてよかったです」
華がパッと開いたような可憐な笑顔だ。こんな風にも笑えたんだな。
「やあ、リディ。僕も見つけられて嬉しいよ。それにしても、あまりに綺麗で声をかけるのを躊躇うほどだ。ちなみに、こちらの侍女達は知り合いかい?」
「はい、ハンナとエイダです」
二人は笑顔を俺達に向けると、グラスの乗っているトレイを差し出してきた、リディが手に持っているグラスは残り僅かとなっている。
リディはそれを飲み干し、グラスを赤髪の侍女に渡すと緊張した様子で周りを見始めた。人の多さに圧倒されているようだ。
「あ、あの。レオンハルト様、もうすぐダンスですよね? 少し化粧直しに行ってきます」
「分かった。分かったがそう緊張するな」
呆れ顔を作ってはいるが、レオンハルト様もどこか浮き足立っているようだ。これはなかなかおもしろい。
しかし、これ以上二人を見ているのは無理のようだ。先程の人ごみから妹が消えた。これはちょっと探しに行った方が良さそうだ。まさか、休憩室には行ってないだろうな。
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