第21話
侯爵家の紋章を隠した馬車は、お城の敷地内にある一際大きな宮殿の前で止まった。エスコートされ馬車をおり、胸をドキドキさせながら長い階段を上がる。
「嬉しそうだな」
レオンハルト様は、満足そうな笑みを口に浮かべている。
「……はい。一応、夢でしたしね。舞踏会でのダンス」
「そうか、でも俺から離れるなよ。それから、他の男とは踊るな」
「分かっています。仮面を付けているとはいえ、私だと分かる人がいるかも知れませんしね」
「あ、あぁ。……うん、そうだ。そう言う意味だ」
侍女として舞踏会を手伝ったことはあるけれど、招待客として訪れるのはもちろん初めてだ。落ち着こうとしても、やっぱり浮き足立ってしまう。
中に入ると、会場内の雰囲気もざわざわとしていた。舞踏会慣れしている方々も、仮面をつけての舞踏会は初めてだから、これまた浮き足立っているようだ。これなら、私の浮かれっぷりも目立たなさそう。そう思っていたのに
「お飲み物はいかがですか」
聞き慣れた声に振り返れば、黒い侍女服に白いエプロンをつけたハンナとエイダがいた。
あっさり見つかった。
完璧な給仕係の笑顔と振る舞いだけれど、揶揄を含む眼差しまでは隠しきれていない。いや、隠そうとしていない。
レオンハルト様が、あとで貰うと素気なくお答えされたので私も知らんぷりを通す。
二人は「かしこまりました」と恭しく言い、数歩下がったけれど、そこから動かない。それどころか、クスクス笑ってこちらを見ている。
レオンハルト様が招待客を確かめるように会場内を見渡している隙を見て、私は二人にそっと歩み寄る。
「ハンナ、どうして分かったの?」
「体型? 小柄すぎて逆に目立っているわよ」
「もう少しヒールの高い靴履けばよかったのに」
「履いたわよ。三歩目に転んだ」
あぁー、と言って二人は私に憐れみの目を向けてきた。
あんまり侍女と仲良く話しするのもおかしいので、私は二人の背中を強引に押して立ち去らせ、レオンハルト様のもとに戻った。
「マリアナ派遣所の者か?」
気づかれていた。ま、レオンハルト様なら問題はない。
「はい、悪友です。ところで、レオンハルト様、ローンバッド王太子夫妻はどちらですか? ご挨拶に行かれますよね?」
「もちろんだ。あそこに護衛が多くいるだろう? おまけに小さい子供もいる。その中心におられるのがローンバッド王太子夫妻だろう」
レオンハルト様の視線をたどれば、一段と立派な衣装を身に纏い、微笑む夫妻がいた。近くには仮面をつけた国王らしき人もいる。
私達が見ている先で、国王が国の重鎮の一人を呼び王太子夫妻に紹介している。重鎮は仮面を取り挨拶をすると、再び仮面を付けた。
うん、仮面の意味ないんじゃない。
ま、そこは顔と名前を売りたい所だものね。
おじ様達はそんな感じだけれど、会場に幾つかできた男女の輪はかなり盛り上がっている。あぁ、これは羽目外す馬鹿が多そう。片付け大変そう。手伝いたくないー。
思わず顔を顰めた私を、レオンハルト様が不思議そうに見てきた。慌てて両手の人差し指で口角を持ち上げにっこり微笑む。
「…………先に挨拶を済ませておこう」
微妙な間の後、レオンハルト様は軽く肘を突き出してきた。私はぎこちなくその腕に自分の腕をからます。
でも、背の高いレオンハルト様にぶら下がるようで、ちょっと不恰好。
「……もう少しヒールのある靴を選べば良かったです」
そう言うと、腕が解かれ私の肩に回された。ぐいっと引き寄せられ、身体が密着する。
「ならば、これでどうだ? ややマナー違反かも知れないが、仮面舞踏会なら許容範囲だろう」
確かに、こちらの方が歩きやすい。
でも、さっきよりレオンハルト様の香水の匂いが近い、気がする。私の小柄な身体がすっぽりと包まれているようで、とても恥ずかしい。
「……リディ、甘い匂いがするが、香水も付けてきたのか?」
「? 私ですか? いえ、何も付けていません」
「では、リディの……」
首を傾げる私に、レオンハルト様はちょっと頬を赤くされた。いつもは垂らしている前髪を後ろになでつけるように整えているので、真っ赤な耳もはっきりと見える。
慣れない体温を身近に感じ、赤らむ頬をどうにかしようと考えているうちに王太子夫妻の前まで来ていた。
「本日はお招き頂きありがとうございます」
まずはレオンハルト様が挨拶する。
「このような機会を与えて頂きありがとうございます」
ついで、私もカーテシーで挨拶をすると、ルイス様が駆け寄ってきた。
「少しだけ参加させて貰ったんだ。僕の国では王族には舞踏会参加の年齢制限はないからね」
「でも、八時までですよ? その決まりは守りなさい」
王太子妃の言葉に、はーい、とルイス様は軽く返事をする。
始めの一時間ぐらいは、来賓者は挨拶をしてそれぞれに会話や酒や料理を楽しむ。ダンスが始まるのはそれからだ。つまり、ダンスが始まるまでは参加しても良いらしい。
「お父様、リディとおしゃべりしたい!」
「ルイス、今はご挨拶の時間だ。それから、一人でどこかに行ってはいけないよ」
王太子様はルイス様の頭に手を置かれ、ちょっと強めに上から押さえながら念を押される。
えぇ。もう迷子騒ぎは懲り懲りだから、首根っこ捕まえ……っこほん、しっかり見張っていて頂きたい。
それにしても、なんだかすっかり懐かれたなぁ、と思いながら、次に挨拶を待っている人の気配を感じて私達はその場を離れた。
そのあと、国王陛下達にも無事にご挨拶を終えた。私はレオンハルト様の後ろに控えていただけだけれども。
とりあえず、堅苦しいのは終わったと、はぁと息を吐く。レオンハルト様も少し肩の力が抜けたように見える。
「参加者、多いですね。ダグラス様もいらっしゃるのですよね?」
「あぁ、確か妹をエスコートするとか。……リディ、悪いが少し一人にしても良いか? 先程から視線を感じると思ったら叔父に気づかれたようだ。リディを連れて行くとさらに質問攻めにされそうだからな」
レオンハルト様の視線を辿れば、ロマンスグレーの髪をビシッと後ろに流した長身の男性が奥方らしき方と一緒にいる。仮面を付けても、親しい人なら背格好で分かるようだ。特にレオンハルト様は背が高いし、会場内でも目立っている。
「分かりました。壁の花になっておりますのでお気になさらず」
私はそう言って広間の隅へと向かう。途中でマリアナの給仕係が綺麗なピンク色のシャンパンを差し出してくれた。それは結構高価な異国のシャンパンだ。彼女は私に気づいてるな、と思いながら迷わずそれを受け取る。
でも、グラスを持ってから気づいたのだけれど、グラスの液体を零さずにドレス姿で歩くのはなかなか難しかった。皆、器用にしているな、と感心しながら慎重に歩く。すると、ついついグラスにばかり気を取られてしまい、左手が誰かとぶつかった。
「申し訳ご……失礼いたしました」
反射的に侍女のように深く頭を下げかけて、慌てて体勢を整える。ぶつかったダークブラウンの髪の令嬢は少し首を傾げていたけれど、ボロが出ないうちにその場をさっと優雅に立ち去ることにした。傍目にはどう見えているかは微妙だけれど。
淑女教育は受けたけれど、実践までに時が経ちすぎて、ぎこちないことこの上ない。
やっと壁まで辿り着いて、一息つく。ピンク色のシャンパンを口に含むと、小さな気泡が口の中ではじけ、次いで喉を潤してくれた。緊張していたからだろうか、喉が渇いていたようだ。
それにしても、美味しい。
料理はいつ食べていいのかな?
と、キョロキョロしていると、男性が二人こちらに近づいてくる。
茶色の髪に中肉中背。あれは、普段顔を合わしている人かしら? 特徴がなくてわからない! どうしよう、さりげなく立ち去るか?
ワイン片手にオロオロしていると、ハンナがどこからともなく現れ、持っていたグラスを彼らに渡し始めた。
「リディ、こっちに」
次いでエイダがハンナと反対の方向から現れ、男性達の視線がハンナに向いているうちに、柱の影へと連れて行ってくれた。
「エスコートの方以外とは話さない方がいいわ。リディ、直ぐにボロ出しちゃうから」
決めつけられてちょっと膨れる私を、ハンナは本当のことでしょ、と言いたげに呆れ顔で見てきた。
そんな事ないもん。
今のところ何もミスしていないはず。
あれ、何かあった気もしなくは……ない??
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