第19話
私は、一旦レオンハルト様と一緒に執務室に戻り、ダグラス様に事の成り行きをお話した。ちなみに、両手で宝石を持って佇む私に、帰り際侍女がそっと箱を手渡してくれた。
「えっ、レオンハルト様が舞踏会に出席されるんですか?」
ダグラス様は鳶色の瞳を見開いて、私とレオンハルト様を交互に見る。ついでに私が持つ箱もチラリと見る。
「皆がびっくりしますよ」
「仮面をつけるから俺だとは分からないだろう」
「確かにそうですが、嫌いではなかったのですか? 舞踏会もダンスも」
やっぱり嫌いだったんだ。きっと雇用主としての責任感からエスコートしてくれるのだろう。
雇われた時はどうなるかと思ったけれど、結構良い雇用主かもしれないと思い直す。お給料いいし。
「無理なさらなくても良いのですよ? エスコートなら私がいたしましょう。リディ、いいですよね?」
「……は、はい、私は……」
ダグラス様が悪戯小僧のような笑みを浮かべているのはどうしてでしょう。レオンハルト様は明らかにムッとした顔をしていらっしゃる。
その理由は分からないけれど、私は選べるような立場ではない。というか、王宮内でも見目麗しいお二人のうちどちらかを選ぶなんて恐れ多すぎる。
「それは、俺が相手だと嫌だという事か?」
「ま、まさか。とんでもございません。どちら様も、私にはもったいないぐらいで」
えーと。
何と答えたら良いのでしょう。
書類で顔を隠して、肩を揺らしているダグラス様。
何をしているんですか?
助けて欲しいのですが。
「だったら俺がエスコートする。それでいいな」
「は、はい。ありがとうございます。ただ……あの、……」
「何だ?」
「ドレスや靴を持っておりません。宝石は先程頂いたのと、母の形見の指輪がありますが」
「なんだ、それなら心配するな。こちらで用意する。先日服を作った店はドレスも扱っている。明後日なら用意できるだろう」
オーダーメイドは無理だけれど、既製品をサイズ直しするのであれば、一着ぐらいなら何とかなりそうな気がする。どっちみち、自分では用意出来ないので、私は遠慮なくレオンハルト様を頼る事にした。
調理場に仕事に戻り、帰る頃には雨は止んでいた。ずぶ濡れになった長靴が歩くたびにグチュグチュと気持ち悪いけれど、そんな事が気にならないぐらい、私は浮かれていた。
どれぐらいかというと、王太子夫妻の元から戻って食器を洗っている時に、ぶつかられたり、嫌味を言われたのが、全く気にならない程度の浮かれぶりだ。あからさまな嫌がらせに笑顔で返していたら、最終的に気味悪がられた。
だって、諦めてたんだもの。
男爵家じゃなくなって、両親も死んじゃって。
だから、たとえ一夜だけでも私には充分だった。
マリアナ派遣所の裏口の扉をあけ、薄暗い階段を登る。階段を上がるたびに長靴の中に染み込んだ水がビチャビチャと音を鳴らす。部屋の扉を開けて荷物を床に放り投げると一番に長靴を脱いだ。足をタオルで拭いて、違う靴をはき、長靴についた泥を取っていると扉を叩く音がした。
きっと彼女達だ。
「勝手に開けて入って来て!」
と返事する。彼女達は両手にお盆とお酒を持って入って来た。ただ、その量がいつもよりかなり多い。お酒もちょっといいやつだし、プリンもある。しかも四つ。誰かが二つ食べれる。
「マリアナからの差し入れよ。いい仕事がリディ経由で入ってきたって上機嫌だったわ」
「私とハンナも舞踏会の手伝いに駆り出される事になったの」
執務室を出る時、レオンハルト様に「舞踏会での作法と振る舞いを知っている侍女がご入用ならマリアナ派遣所にいますよ」と囁いておいた。
舞踏会がこの国初の仮面舞踏会となれば、いつもより羽目を外す人が増えるかもしれない。そうなれば、それに比例してお世話をする侍女の仕事も増える。
お酒を配ったり、空いたグラスを下げたり、洗ったり。時には粗相の後始末も。
私からの紹介ということで、紹介料が私のポッケに入る。それに加えてのこのお酒とプリンだから、なかなかいい料金で話がまとまったようだ。
とりあえずプリンを二つ確保して
今夜の話題は舞踏会だ。
私より少し年上の二人は貴族の学園を卒業しているし、舞踏会の類にも出席した事がある。無いのは私だけ。
お酒とつまみを食べながら、デビュタントの話から始まり、舞踏会での振る舞い、次いでエスコートしてくれた婚約者達の話になっていく。
「リディは令嬢時代婚約者はいたの?」
「いたけれど、私が男爵令嬢だったのは十歳までだから。商売柄、屋敷には頻繁に子供が来ていて皆で一緒に遊んだわ。だから、婚約者というより友人の一人って感じだったかな」
子供ですから。そう言えば名前、何だったかな? 愛称で呼んでたんだけれど、うーん、思い出せない。ま、もう関わることもないし、いいか。
なので、私の話はいいとして、二人の話を聞くことにした。結構長い付き合いだけれど、二人とも訳あって令嬢じゃなくなっているから、過去の話ってしにくかったのよね。
「ハンナは婚約者いたんだよね? デビュタントの時はエスコートして貰ったの?」
「もちろん。優しい、いい人だった。お別れの言葉を交わせなかったのが心残りだけれどね」
「その婚約者、まだハンナの事思ってたりして」
「やめてよ」
眉を顰めてビールをごくごくと豪快に飲み干す。
彼女を好きになる人は何故か粘着質な人が多い。時々寮の前を彷徨く身なりの良い人を見かけるけれど、ハンナのストーカーである事も少なくない。
「あら、ずっと思ってくれるなんて素敵じゃない?」
嫌がるハンナを不思議そうに見ながらエイダが会話に入ってくる。ハンナはその問いに冷たい視線で答えた。
「あのね、エイダ、恋愛って言うのは生物なの。お互い、日々の思いや感情を伝え合い育んでいくの。もう二度と会えない人を思い続けるって、下手したらストーカーよ」
ストーカー被害のプロが言うと言葉の重みが違う。
でも、確かにそういうものかも知れないけれど……それなら、純愛や溺愛とストーカーの違いは何だろう。……相手の顔? は違うか。
「エイダは婚約者とはどうだったの? 侍女服以外でスカート履いたの見た事ないけれど」
「ちゃんとドレス着て、エスコートされて舞踏会に行ったわよ。プロポーズもされたけれど、男爵家の借金を背負えるほど彼の家も裕福ではなかったのよね。ま、今は一人の気楽さが心地よいから結婚には興味ないかな」
男装姿のエイダは不思議に男性にも人気がある。媚びないところが、他の令嬢達と違って新鮮に見えるらしい。でも、恋愛には興味がない。
二人とも、詳しく話さないけれど色々あったんだな。美人だから、時々求婚された、なんて話も聞くけれど、断ったところを見るとこの生活が気に入ってるんだろう。それは、私も同じだけれど。
突然、ハンナがズイッと覗き込んできた。顔がニヤけている。
「ところでリディは、婚約者はともかく、まさかその年で恋の一つも知らないなんて事ないわよね?」
「も、もちろん。よ……」
無い、とは言えない雰囲気に思わず嘘をついてしまった。
見栄を張った訳じゃない。
つい、つい、口が勝手に動いただけ。
どう誤魔化そうと、両手をぎゅっと握り締める。
そんな私の様子に、二人は顔を見合わせて含み笑いを浮かべる。
「で、相手は誰なの?」
さらに意地悪な顔でハンナが聞いてくる。
誰でしょう。私が聞きたい。
「わ、忘れたわ。私は恋多きっ、女だから!」
「…………ハハハハッ、こっ恋多きっっ」
二人は顔を見合わせたあと、お腹を抱えて笑い出した。失礼な。
「リ、リディ。あなた宴で絶対喋っちゃだめよ。ねぇ、エイダ、あなたもそ、そう思う、でしょ」
「え、ええ。宴は嘘と偽りの世界。黙っているのよ」
二人は時々、まるで母親のように嘘をつくなと、忠告してくる。そして必ず笑うんだ。まだ黙っていた方がましだと。
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