第17話
「雨が強くなってきましたね。ところで、私はてっきりレオンハルト様が王太子様に話をされたと思っておりました」
「理屈は分かったが、お前が話した方がうまく伝わりそうだしな。それに人の手柄を横取りするのは後味が悪い」
「普段横取りばかりされているのですから、気にせずしてくださって良かったのに」
いやむしろそうして欲しかった。
異国の王太子様に謁見なんて荷が重すぎて、今からでも逃げ出したいぐらいだ。眉を下げため息をついた時だった、窓が急に白く光る。
「雷、ですか……」
ゴゴロゴロ ゴゴロゴロ
「きゃっ……………えっ!!?」
一瞬の間にいろいろ起きた。
窓が白く光って数秒後に、予想より大きな雷鳴の音がして思わず身を竦め小さく叫んでしまった。
そこまでは問題ない。
叫んだと言っても小さい声だ。
でも、私が声を上げた瞬間、レオンハルト様が私をその胸に引き寄せた。まるで雷に怯える幼い子供を守るかのように。……あれ? そういえば昔こんな事があったような。
「大丈夫か?」
爽やかな香水の匂いと、厚い胸板の感触に戸惑ってしまう。
「えっ、あ、あの、だ、大丈夫です! 大丈夫ですから、……離してください!!」
両手で紺色の上着を押すと、はっと慌てたように私の身体に周した手を離した。
「ど、どうされたのですか? いきなり」
突然のことに思考がついていかない。
とりあえず、数歩下がって距離をとる。ついでに周りを見渡したけれど、幸い人はいなくて見られてはいなさそう。
いや、幸い、なのか?
人のいない廊下でいきなり抱き着くとか、顔が良ければ何でも許されると思っているのだろうか。
「いや、ち、違うんだ。雷が、怖いのだろうと。その、悲鳴が……」
レオンハルト様は、視線を泳がせながら、しどろもどろに言い訳をなさる。
確かに、きゃ、とは言ったけれども、そんな子供でもあるまいし。
うん? もしかして雷が怖いのは……
「雷、怖いんですか?」
「そんなわけあるか!!」
珍しく顔を赤らめ否定する。
「いや、だからお前が怖そうにしていたから……つい、思わず……」
「……ちょっとびっくりしただけです。爵位があってお顔もよろしいので訴えられることはないかと思いますが、むやみに女性に抱き着くのは今後は控えた方がいいですよ」
「だから、違うと……」
あぁ、もう、と苛立ち気味に呟いて、髪をがしがしと掻く。これから、王太子様に会うのに、髪が乱れても良いのだろうか。
とりあえず、こういう時の男の言い訳程、聞いて無駄なことはない。
ハンナがそう言っていた。
なので、私は無視して歩き始めることにした。
レオンハルト様の後ろに続いて部屋に入ると、侍女が「こちらでお待ちください」と言って奥の部屋へと向かった。来賓客用の部屋と聞いていたけれど、いったい何部屋あるのだろう。
窓の外の雨足はさらに強くなり、吹き荒ぶ風の中、雨が窓ガラスに打ち付けられている。雷も鳴っているし、もはや嵐だ。
広い部屋に置かれている机やソファーはダークブラウンの落ち着いた色で統一されていて、細かなつた模様が脚に彫られている。クッションやカーテンは淡いベージュに白と緑の糸でエーデルワイスの花が刺繍されていた。さすが、来賓客用のお部屋と思っていると、奥の部屋から王太子夫妻とルイス様が出てきた。
「王太子様、お待たせ致しました。侍女のリディです」
「リディと申します」
レオンハルト様の紹介のあと、侍女らしく礼をするか迷ったけれど、カーテシーで挨拶をした。男爵令嬢の侍女もいるのだから、おかしくはないだろう。
「そなたがルイスを見つけたと聞いた。礼を言う」
「恐れ入ります。勿体無いお言葉でございます」
私が再度、頭を下げるのを見てから王太子様は侍女達に部屋を出るように言った。
人払いが終わると、夫妻はソファに並んで腰をかけられる。座るように勧められ、レオンハルト様も腰掛けたけれど、私はその横に立つに留めた。
「で、ルイスの命を狙う奴が分かったと聞いたが」
侍女がいなくなるとすぐに、王太子様は本題に入って来た。
いや、本題に入るのはいいんだけれど、
話が少し、いや、かなり拡大解釈されている。
……気がする。
「申し訳ございませんが、話が少々違って伝わっているように思います。私はローンバッド国の要人の方は存じ上げませんので犯人は分かりません。ただ、ルイス様が階段から落とされた件について、思う所がございますので進言させて頂きました」
「そうか、分かった。ではその話を聞かせてくれ」
私は、ごくりと生唾を飲み大きく深呼吸すると話し始めた。
「ルイス様が階段から突き落とされたのは、冬の昼過ぎと聞いております。
昼食を食べ終え、午後の勉強の時間がひと段落したルイス様は三階と二階の間の踊り場に腰掛けていらっしゃいました。冬場のその時間ーー二時半から三時頃ーーはいつもそこで猫と日向ぼっこをしていたそうです。
踊り場には、真っ赤な薔薇の花が形造られた見事なステンドグラスがあり、そこから差し込んだ光が、階段に赤いバラの模様を落としていました。
その日もルイス様は日向ぼっこをしたあと、次の家庭教師が来る時間になったので立ち上がりました。その時、背後からいきなり抱きかかえられて、手すりを越え真下に落とされそうになりました。
手足をばたつかせ暴れたので、落とされることありませんでした。しかし、犯人の腕から逃れようとした際、階段を踏み外し転がり落ちて足を骨折されました。ルイス様は階段から落ちながらも自分を落とそうとした人影を見たとおっしゃっています」
「ああ、その通りだ。ただ、ルイスが見た者に該当する人物が城にはいなかった」
「ルイス様の話では、黒いローブを着た人物をはっきりご覧になられたとか」
「そうだ。黒いローブは騎士団の、それも入ったばかりの若者が着用する。騎士は技術によって階級が分かれており次が紺、一番高位の者は紫となる」
「騎士以外の方もローブは着用されてますよね。例えば護衛の方は青色を付けていらっしゃいました。他にも緑のローブを付けた方もお見掛けいたしました」
「そうだ。緑は高位貴族が付けている」
ルイス様の言っていた通りの回答にひとまず安心する。子供の言う事なので、もし違っていたらと内心ドキドキしていた。
「ルイス様がご覧になった、黒いローブで小太りの男性に該当する方がその時間、その場にいなかったということですね」
「あぁ。その時間騎士たちは午後の訓練に行っており、全員が訓練場にいたことを確認している。ローブを紛失した者がいない事も確認済みだ。そもそも、若い騎士で小太りの者はいない」
皆さん鍛えていらっしゃいますからね。でも
「それは黒いローブの場合ですよね。他の色のローブで小太りの方が、ルイス様が階段から落ちたとき付近にいらっしゃいませんでしたか?」
「……あぁ、確かにいた。あの時、誰が側にいたかは調べたからな。だが、ルイスは間違いなく黒のローブだと言っている」
話の最中にも、雨はガラスを打ちつけ、何度も空が白くなり雷の音がした。
沢山ある窓のうち、ひとつはステンドグラスになっていて、濃さの違う緑のガラスで木々が描かれていた。
「ローブの色について説明したいのですが、少しこちらに来て頂けませんか?」
畏れ多いとは思うものの、百聞は一見に如かずなので、お二人にお願いをする。
私はステンドグラスの近くに行くと、髪飾りを外し手のひらに載せた。
「見てください」
二人の視線が髪飾りに集まった所でタイミングよく窓の外に閃光が走る。その瞬間、緑色のステンドグラスを通った光が私の手のひらに当たる。
緑色の光の中で、先程まで赤かった髪飾りが黒色に変わった。
「緑色の光の下では、赤は黒に見えます。逆もまた然り。赤色の光の下では、緑は黒に見えます」
つまりは、緑色と赤色、補色となるこの二つの色が重なれば黒くなるのだ。
「黒いローブではなく、緑色のローブ……」
「ルイス様は一人っ子です。もし、ルイス様の身に何かあれば、周りの人間は跡継ぎの心配をし始めるでしょう。場合によっては側妃を勧める人間がいるかも知れません」
王太子夫妻は長年連れ添っていながら子供は一人しかいない。
噂によると、ルイス様は大変難産だったらしい。そのあと子供が産まれていないのは、それが原因で王太子妃が子供を産めなくなったからだと宴の客は言っていた。
家来の中には、万が一に備えせめてあと一人、出来るならあと二、三人子供を持って欲しいと考える者もいるそうだ。そして、自分の娘を側妃にと勧める者や、王太子が一人の隙を見て寝所に送り込む者もいるとか。
ルイス様が居なくなれば、側妃を娶ることになるだろう。そして、自分の娘が側妃となり、もし男の子が産まれれば……
これ以上は、私が言う必要はないでしょう。
王太子の顔色が怒りで赤く変わるのを見て、私は口を閉ざした。
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