第16話

「僕ね、命を狙われているんだ」


 赤い瞳を潤ませながら、縋るように私を見上げてきた。おい、おい、結構純粋に信用しすぎよ、と言っておきながら心配になる。

 とりあえず、うんうんと頷いてその小さな背中に手を当て撫でてあげる。無理矢理抱き抱えて連れていくこともできるけれど、子供だからこそきちんと話を聞いてあげなきゃいけない時もある。


「お父様とお母様には話したんだけれど、まだ犯人は見つからなくて。誰が味方か敵かも分からないから、他の人間には言えないし。でも、他国の侍女なら少なくとも敵じゃないでしょう?」


 前言撤回。意外と頭いいわ。この子。


「はい、私は平民の侍女です。貴方様の国の誰とも話をした事はありません」

「よかった。でも、僕の言葉は分かるんだね」

「異国の言葉は父に教え込まれましたから」


 ちなみに、今までの会話は全てローンバッド国の母国語で交わされている。


「始めは食事に少しずつ毒を盛られていたんだ。食べると気持ちが悪くなるって言っても、好き嫌いは駄目って、信じて貰えなくて。だから何も食べずに――夜中にこっそり厨房へは行ったけれど――いたらやつれるどころか元気になっていくから。それで、やっと信じて貰えたんだ」


 この子、行動力もある。なかなか将来有望なのではないだろうか。


「他にも、連れ去られそうになったりとか、階段から落とされそうになったりとか」 


 ……私はその話を黙って最後まで聞くことにした。

  





「レオンハルト様!」


 一階のロビーで、衛兵と、服装からしておそらく異国の要人と三人で話をしているレオンハルト様を見つけ、私は駆け寄った。


「猫はみつかりそうか?」


 異国の要人はその言葉に敏感に反応して私を見る。黒い髪と黒い髭、でぷっとしたお腹の小柄な四十代の男だ。その表情は迷子を探している割には、心配している様子も焦っている様子もなく、むしろ悠然として見える。


「猫の声がワイン倉庫からするのですが、高い場所にいるようで私では背が足りません。一緒に来て頂けませんか?」

「分かった。アーロン殿、あとは衛兵と探して頂けないだろうか。私は猫を捕まえてきます」


 私の頼みをあっさりと受け入れると、隣のお腹の出た男に話しかけた。


「とりあえず猫は見つかりそうですな。それは良かった。では私はあちらを側を引き続き探すことにするよ」


 そう言って長い廊下の端を指差す。言葉とは裏腹に、明らかに面倒くさそうだ。


 そして、やはりアーロン様か、と思った。特徴がルイス様の話とそっくりだった。


 アーロン様はローンバッド国の宰相らしいけれど、いくら上位貴族であっても勝手に城の中を探されては困るので、レオンハルト様が一緒になって探していたらしい。


 宰相自ら探すと聞けば熱心な家臣のようだけれど、先程の態度を見ればやる気がないのは明らかだ。今も鬱陶しそうに衛兵を見ている。


 私とレオンハルト様は、アーロン様に一礼すると、地下へ向かう階段の方へ早足で歩き始めた。ワイン倉庫は念の為、鍵をしているからある意味ではルイス様は安全だ。



 階段を下りて踊り場で立ち止まり、周りに人がいない事を確認する。レオンハルト様はそれを待ち構えていたように、私の側にピタリと立った。 


 さすが、察しがいい。

 誰もいないけれど、できるだけ声は潜めよう。


 ……でも、ちょっと近すぎないか? そんなに身を屈めて顔を近づけなくても大丈夫だと思うんだけど。

 

「ルイス様もご一緒なんだな」

「よくお分かりですね」

「高い場所にいる猫を探すためにわざわざ俺を探したりしないだろう。とりあえず話を先に聞いた方がよさそうだな」


 私は頷くと、先程ルイス様から聞いた話をレオンハルト様に伝えた。具体的な話はレオンハルト様も初耳らしく、始めは驚いた顔をしながらも最後には眉間に皺を寄せ思案し始めた。


「それで、先程ルイス様とも相談したのですが、レオンハルト様にもご協力頂きたいのです」


 私はそこまで言うと、再び階段を下り、鍵を取り出して扉を開けた。





▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽


 王太子夫妻に用意された部屋に繋がる廊下をレオンハルトはルイスを連れて歩いている。ルイスの腕には猫がしっかりと抱き抱えられていた。


 レオンハルトは、途中で会ったダグラスを捕まえると、ルイスと猫が見つかった事を皆に伝えるよう頼んだ。それから衣裳部に行き、リディに合う侍女服を手配するようにも付け加えた。本当なら自分がしてやりたい所だが、その時間はなさそうだった。


 王太子夫妻の部屋の前に立っていた護衛が、ルイスの姿を見ると慌てて部屋の中に入って行った。


 その為レオンハルトが扉を叩くより早く、中から王太子妃が飛び出してきた。護衛の報告を聞いたようで、両手を広げルイスに駆け寄ると、その小さな身体をぎゅっと抱きしめた。


「ルイス!!」

「お母様! ごめんなさい」


 さっきまで平然としていたのは、ルイスなりに王族として取り乱してはいけないと我慢していたのだろう。母親の姿を見たとたん、その赤い瞳から大粒の涙を流して、母親の胸に顔をうずめた。


 二人の後ろから現れた王太子も安堵の表情を浮かべ、その大きな手で息子の頭を愛おしそうに撫でた。それからレオンハルトを見ると


「エルムドア侯爵、礼を言う。息子が手を煩わせた」


 そう言うと、蹲る妻を立たせ肩を引き寄せた。もう一方の手は、ルイスの小さな手を握っている。


「中に入ってくれ。きちんと礼をしたい」


 柔和な笑顔を浮かべ、来賓客用の部屋に入って行く。レオンハルトもその後に続いて入室した。


 部屋の中央にあるソファに王太子は座ると、レオンハルトに向かいの席を勧めた。王太子の隣にはルイス、その隣に王太子妃が腰掛けている。ルイスは両親に挟まれて無邪気な子供らしさを取り戻したかのように見える。


「お父様」

「なんだい? それより、先にエルムドア侯爵に言う事があるだろ?」


 そう言われて、ルイスは、はい、と姿勢を正すと


「エルムドア侯爵、私を見つけくれたこと、感謝する。ありがとう」

「いえ、ご無事で何よりです」


 言葉を交わしながら、レオンハルトが目で促すとルイスは小さく頷いた。

 ルイスは隣に座る父親の袖を引っ張ると、ソファの上で膝立ちになり、父親の耳に口を近づけ小声で話し始めた。部屋の中には護衛や侍女もいる。今はまだ誰にも知られたくない話だ。


「本当か!?」


 目を丸くして息子を見る。半信半疑といった様子だ。


「うん、本当だよ。だから、お父様」


 ルイスはちらりとレオンハルトを見る。

 王太子はその視線を追い、レオンハルトが小さく頷くのを確認すると立ち上がった。


「エルムドア侯爵、私達も息子を見つけた侍女に会いたいのだが連れて来てくれないか」

「承知いたしました。ただ、彼女は猫を探しに外に出た際、衣服を濡らし汚しております。着替えさせますので、少しお待ち頂けますか?」

「分かった。では支度が出来次第連れてきてくれ」


 王太子の言葉に頭を下げると、レオンハルトは部屋を後にした。


 リディが王太子の前に出られる姿でなかったのは確かだけれど、それよりもずぶ濡れのままでいさせたくなかった。


 レオンハルトはまず調理場に行き、料理長にリディが猫を見つけた事、王太子が直接会って礼をしたいと言った事を伝えた。


「彼女の今日の仕事は他の者にさせてくれ」

「分かりました」


 それだけ伝えると、周りを見ることなく調理場を出た。

 だから、彼は知らない。二人の話を眉を顰めながら聞いていた侍女達の視線も、小声で交わされた会話も。


 そして、その足で衣裳部へ向かうと、扉を叩き中に入った。近くにいた侍女に声をかけると、リディは今着替えているらしい。先程まで、できる範囲で侍女服の丈やウエストを詰めていたようだ。


「ダグラス様に頼まれましたから」


 侍女のその言葉に、レオンハルトはちょっと口を尖らした。


 そうこうするうちに、リディが奥の扉から出てきた。急場しのぎとはいえ、プロがサイズ直しをした服は、リディがただ細いだけでなく意外と豊かな女性らしい曲線をしていた事がわかるぐらいには身体に合っていた。


「どうされたのですか? レオンハルト様」


 小首を傾げ、ロイヤルブルーの瞳で見上げる。まだ乾ききっていない前髪が額に少し張り付いて、長いまつ毛が瞬きをするたびに白い肌に影を落とす。


 無意識に、その張り付いた前髪に伸ばしそうになって、慌てて手を引っ込める。


「なんでもない、いくぞ」


 今更ながら、前髪を切りすぎたかと後悔する。


 侍女を気軽な遊び相手扱いする不届き者は少なくない。その瞳を持つ子を血族に取り入れたいと思う輩もいるだろう。


 レオンハルトはできるだけ誰も通らない通路を選び、リディを連れて王太子達がいる来賓客用の部屋へと足早に向かった。

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