第15話
「あの、猫って、もしかして黒猫ですか? 鈴のついた赤い首輪の」
私の問いに、レオンハルト様の淡いブルーの瞳が見開かれる。
「知っているのか?」
「先程、卵を取りに行く時に見かけました。石畳の上で濡れていたので、とりあえず木の下まで誘導しました」
「お前っ、なんで連れて来なかったんだっ!?」
「……だ、だって!!そんな大事な猫なんて思わなかったですし……」
いや、いや、それは無理でしょう。
知っていたら連れて帰って来るけどさぁ。
仕事中に野良猫拾ってる方がおかしいでしょう。
不貞腐れた私を見て、レオンハルト様もさすがにそこは的外れだと気付いたのか、少しバツが悪そうに頭をかく。
「ではとりあえず猫を探してくれないか? もしかしたらルイス様も見つかるかも知れないしな。料理長には俺から言っておく」
「分かりました」
私はとりあえず手元にある料理をレオンハルト様の執務室に運ぶと、早足に階段を降りる。調理場にレオンハルト様の姿はなかったけれど、料理長が裏口を開けて私を手招きしているから、話は通してくれたみたいだ。
「ちょっと行ってきます」
「あぁ、お前も大変だな」
少し同情が混じった返事に嫌な予感を感じる。
首を伸ばして外を見ると、明らかに先程よりさらに雨脚が強くなっている。風も強さを増していた。
これはずぶ濡れ確定だな。せっかく、服、洗って貰ったのに。
ため息をつきながら、裏口にあった傘を手に取り外に出る。つい数時間前は小さな水溜まりだったのが、水溜まり同士がつながり、石畳み全体に薄く水の膜を張っている。こうなると、避けて歩くレベルではない。半ば諦め、半ば
やれやれ、とうんざりしながら、草むらの中や低木の下を屈んで覗き込むもどこにもいない。
ニャーニャー
鳴き真似しても、返事はない。
ないけど、とりあえず鳴いてみる。
ニャーニャー
ずぶ濡れで何やってんだ、という思考は
ひとまず頭の片隅に。
そのうち石畳が途切れて、土に。
いや、泥?
なんなら、沼?
踏み込もうとした足を引っ込める。
そもそも、猫って濡れるの嫌いじゃなかったかな。
だったら、あえて自分から泥沼にはいかないでしょう。
言い訳じみた考えを巡らせ、自分を納得させると踵を返し、来た道をもう一度探し始める。
軒下とか。
木の下とか。
……ニャーニャー
………ニャー
今度は私じゃない。
辺りをぐるりと見回すけれど、見える範囲に黒い毛玉はない。息を止めて耳に神経を集中させる。
右側? もう少し先?
小さく弱い鳴き声だけを頼りに歩を進めると、声がだんだんはっきりしてきた。なんだか、くぐもっている。何かの中に閉じ込められているような。
もう一度目を凝らす私の視界に小さな換気口が入ってきた。ジャブジャブと水が跳ねるのも気にせず、石畳の上を小走りで向かう。換気口の前までくると、スカートが濡れないように――もうかなり濡れているけれど――まくって身を屈め穴に耳を近づけた。
ニャー
さっきよりずっとはっきり聞こえてくる。
穴を見れば小さな足跡の形をした泥も付いている。
見つけた!!
駆け足で裏口まで戻り、厨房の中に入る。入ってすぐの場所では料理長が鍋をかき混ぜていた。煮込み料理は数時間かけて用意するから、今火にかけているのは晩御飯だろう。
「料理長、地下のワイン倉庫の鍵は誰が持っていますか?」
「あぁ、俺が持っている。ワイン係の侍女に預けていたら鍵かけずに開けっぱなしにしてやがって。
あっちは誤魔化せるけれど、地下室が無理なのは分かっているらしい。
「貸して頂けませんか?」
じとっとした目線を向けられる。
「取りませんよ。ワイン倉庫に猫が紛れ込んでいるかも知れません。必要なら帰りに身体検査を受けます」
「分かったよ。ま、お前は残り物くすねるぐらいで節度は分かっていそうだからな」
「……………」
「みんな生活苦しいからな。俺自身、線引きが難しいんだよ。ま、水筒は許容範囲だ」
そういうと、料理長は首から下げていた鍵を私に手渡した。ちょっと気まずくそれを受け取り、頭を下げて調理場を出る。少し歩くと、地下に向かう石の階段があるので降りていく。カツカツと鳴る靴音と、ズブズブと靴の中の水が鳴る音が地下階段によく響く。
重い鉄製の扉に鍵を差し、入口近くのカンテラに灯を付けて中に入った。とりあえず換気口に向かい、そのあたりを照らして猫の足跡を探してみる。
あった、と思うも束の間、右の方に十歩進んだところで消えていた。
この中にいるのは確かだけれど、暗くてよく見えない。灯りをもう少し持ってこようかな。
そんな事を考えていると、
ニャー、
鳴き声が部屋の隅から聞こえてくる。でも、それだけじゃない。
「しっ、静かに!」
囁く男の子の声も聞こえてきた。
これは、もしかして、もしかすると。
そっと足音を忍ばせて覗くと、棚と棚の間に小さな人影が見えた。
「ルイス様ですか?」
小さな影がピクリと動く。
でも、返事はない。
「私はこの城の給仕係です。ここは寒いので、お部屋に戻りませんか?」
話しかけながら人影に近づく。すると、あっ、と言う声と一緒に猫が飛び出してきた。鈴のついた赤い首輪の黒猫だ。ついで、猫を追いかけるように小さな男の子が現れた。
「ルイス様ですね?」
返事はない。
なんだか、警戒されている、気がする。
何度か命を狙われているとレオンハルト様が言っていたのを思い出した。
子守りで雇われた経験から、こういう場合は、
私は貴方の味方だとアピールするといい、はず。
「隠れていたい心配事がおありなんですか? でしたら協力いたしますよ」
少しの間をおいて、小さな赤い瞳がおずおずと私を見上げてきた。
「本当?」
「はい、もちろん本当です」
私は笑顔で頷いた。
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