第11話
朝、目覚めた時、私は少し混乱していた。
懐かしい夢を見て、ちょっと目尻は濡れてるし。
馴染みのない、立派な天蓋付きのベッドの上にいるし。
すっ―と、シーツに手を滑らせる。
うん、かなり上質の綿生地を使っている。
勿論、絹のシーツを使う貴族もいるけれど、洗って清潔に保つなら綿がお薦め。絹はじゃぶじゃぶ洗えないしね。
お手入れが簡単かを考えるあたり、侍女が染み付いてるなぁ、と思う。
きっと、あんな夢を見たのは、分不相応のベッドで寝たせいだ。
ベッドから降りて、借りていたナイトドレスを脱ぐと、これまた借り物の侍女の服に着替える。
サイズはブカブカ。
仕方ないから、袖は三回ぐらい折り返してみた。
身支度を整えた頃、ドアがノックされる。
エマさんかな?
はいと、答えてドアを開けると
「……レオンハルト様」
えっ、どうして?
もちろん、ここはレオンハルト様のお屋敷だから、いらっしゃるのは自由だけれど。いつもと違い、シャツの首元を緩め服を着崩した姿のせいか、雰囲気が柔らかく感じる。
「リチャードからお前と一緒に朝食を食べるように言われてな。おまけに、今の季節なら、このベランダから見える庭の景色を眺めながら食べてはどうかと押し切られた」
リチャードさん、レオンハルト様を押し切るなんて、尊敬に値するわ。
ところで、
「どうして鋏を持っていらっしゃるんですか?」
レオンハルト様の右手には、刃の薄い鋏が握られていた。
「切る必要があると思ってな」
そう言って私の前髪を人差し指でさらっと撫でた。
そういえば、前髪を焼かれたのだった。いろいろ、混乱していて、昨晩から鏡を見ていなかった事も思い出した。
部屋を見渡せばベランダの窓の近くに鏡台がある。歩み寄り、身体を少し屈めて鏡を見ると、縮れた前髪に頬に擦り傷のある侍女の姿が映っている。
頬の傷は思っていたより酷くない。瘡蓋が細い線のように三本出来ていて、少し青く腫れているけれど明日には腫れは引きそうだった。これなら、野良猫に引っかかれたと言って誤魔化せそう。
でも、前髪は……
酷いな。数センチは切らないとだめだなぁ。
多分、眉の少し上ぐらい。
決して不自然な短さではないけれど……。
「切ってやる」
後ろから声をかけられ、ひゃっと小さな声が出た。
「驚く程のことではないだろう? いいから座れ」
レオンハルト様は椅子をひくと強引に私を座らせ、ポケットから出したハンカチを私の膝においた。
「あの、自分で切れます」
「もとはと言えば俺の配慮の足りなさが原因だ。いいからじっとしてろ。それに右手、痛いんじゃないか」
レオンハルト様が私の右手の甲を見る。転んだ時か、押さえ込まれた時か分からないけれどぶつけたみたいで青いあざが出来ていた。
「……もしかして、エマさんに何か言われました?」
「右手が痛そうに見えたと聞いている。あと口うるさく説教もされた」
「侍女が主人に説教を?」
「子供の頃から世話を焼かれていると、なかなか強く出られないものだ」
不貞腐れている顔が妙に子供じみていて、思わず笑いが込み上げてきた。だって、執務室であんなに仏頂面でいるくせに。家では従者に頭が上がらないなんて。
「笑うな」
「はいっ ふっふふ……」
顰めっ面で書類を見る姿しか知らなかったから新鮮だ。普段もこんな風にしてたらいいのに。
私が笑うのを見て、レオンハルト様はホッとしたように口元を緩めた。その様子から、口には出さないけれど心配してくれていたのが窺える。昨晩、すぐに自室に戻ったのも、男の自分よりエマさんがついていた方が良いと考えてのことかも知れない。
決して、ショックが消えたわけではないけれど、恐怖で麻痺していた気持ちが、一晩ゆっくりと寝て随分和らいだ。
だてに人生いろいろ経験していない。立ち直るのは早い方だ。
「じっとしてろ」
居心地が悪く、もじもじする私に向かってもう一度言う。そして妙に真剣な顔をして、ザギザギと私の前髪を切っていく。不安に感じながらも、切られた髪が目に入らないように、私は眼を閉じた。
切りすぎないでくださいね、と呟いたら、口に少し髪が入った。黙っていろと言われたけれど……ほんっとうに、大丈夫ですよね!?
「終わったぞ」
満足気な声に、逆に不安を感じながらゆっくり目を開ける。予想以上に近い距離に美しい顔があり、思わずのけぞってしまった。でも、レオンハルト様もなんだか変だ。
どうしたんだろう。
目を丸くして私を覗き込んでくる。
えーと、瞬き、した方がいいですよ?
あまりに見られすぎて怖いんですけれど。
「どうされたのですか?」
小首を傾げて見上げる。
波打つ黒髪がさらりと肩の上で揺れた。
でも、何も答えてはくださらない。
淡いブルーの瞳が熱を帯びていて、頬が心なしか赤く見える、……気がする。
ちょっと待て、切るの失敗したか?
レオンハルト様から目線を外し、真横にある鏡を見る。
前髪は少し斜めになっていたけれど、許容範囲だった。それより問題は、予想通りロイヤルブルーの瞳がはっきりと見えること。
今まで顔の上半分を覆っていた髪が整えられ、素顔を晒した私が鏡の中にいた。年を重ねるごとに、父が一目惚れしたという母親に似てきたと思う。
うーん、これはまずいかなぁ。
瞳がはっきりと見える。
髪が黒いからまだ大丈夫かな。
目立ちたくないのになぁ。
どうしようか、と眉を下げため息をつく私の顎に長い指が触れた。グイッと九十度回され、レオンハルト様の方を向かされる。首がちょっとピキってなった。
「その目……」
「母が異国の産まれなのです」
そうか、と言うと、
はっと何かに気づいたように慌てて私の顎から手を離した。
「レオンハルト様、先程からぼうっとされてどうかされたのですか?」
「何でもない。それより、もしかしてその目を隠すために前髪を伸ばしていたのか?」
「はい、自分で言うのもなんですが、ここまで深く鮮やかな青は珍しいですからね。いろいろ邪推を呼ぶんですよ。どこかの公爵の落とし種だ、とか」
私の言葉にレオンハルト様が頷く。
「だとするとこれから困ったりするのか?」
「興味本位な視線は増えるでしょうね。でも仕方ないです。燃えてチリチリのままでいられませんし。ありがとうございます」
切って貰ったお礼は言ったけれど、レオンハルト様は渋顔のままこちらを見ている。
本当、どうしたんだ、と思っていると
トントン、と扉を叩く音がしてエマさんが食事の載ったワゴンを押して入って来た。
席を立ち、慌てて駆け寄る。
「お気遣いありがとうございます。お手を煩わせて申し訳ございません。私が準備を致します」
そのまま、ワゴンに手を伸ばすものの、エマさんが持ち手を離してくれない。どうしたのかと思ってエマさんを見ると、私の顔を見て目を丸くしたまま固まっている。
ポカンとしているエマさんに向かって名前を呼ぶと、我に返ったように慌ててワゴンから手を離した。
「随分雰囲気が変わるのね」
「よく言われます」
暫くこの遣り取りが続くのかと思うと、気が重くなってきた。
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