第12話
ベランダに出ると、白いテーブルと椅子が置かれていた。どちらも猫脚で細かな彫り細工がされている可愛らしい物だった。
数種類のパンが入った編み上げの籠をテーブルの上に置き、グラスにミルクを注ぐ。ジャムやバターの入った小さな籠をパンの隣に並べた。蒸した野菜が添えられたオムレツをレオンハルト様の前に置き、ワゴンに載せられていた鍋から熱々のスープを掬い器に入れて、オムレツの隣に……よし、完璧。
「……おい、どうして一人前だけなんだ。一緒に食べるんだろう?」
「ですが、やはり私が一緒に食べるのは……」
「いいから、お前の分も用意しろ。それとも、俺に給仕させる気か?」
そう言ってレオンハルト様は立ち上がろうとする。
「わ、分かりました! 用意しますので座っていてください」
慌てて準備を始める私を頷きながら見た後、ゆったりと足を組み替える。
さっき立ち上がったのは、絶対ふり、ですよね。分かっていますよ。本当にする気なんてないのは。
あまりに絵になる優雅な姿を横目に、心の中で呟きながら手早く自分の皿を並べた。
リチャードさん達が薦めるだけあって、ベランダから見る景色は素晴らしかった。門から続く長い石畳。その左右には常陽樹の木が等間隔で並ぶ。屋敷の前には噴水と花壇。それから、屋敷の左右に伸びる道の向こうには、馬場や林とも呼べるぐらいの木が生い茂っている。木々の間でキラキラ光るのは水が朝日を反射しているからだろう。池かな? かなり大きそう。
レオンハルト様をチラリと見る。
目が合う。
つまりは私を見ていたという事だ。
でも、すぐに視線を逸らされた。
えっ、なんで逸らすの?
この瞳を興味深げに見られるのは珍しくない。でも、レオンハルト様は少し違って、何かを言いかけては口を閉ざすを繰り返している。
で、結果的に閉ざしてしまった。黙って向かい合って食べるのも気まずいので、取りあえず明るい話題を振ってみることにする。
「これだけ広いお庭でしたら、子供の頃は沢山遊ばれたのでしょう? 左手奥には池もあるんですか?」
「あぁ、あれか。さほど大きくはないが、湧水が出ている。だが、遊んだ記憶は殆どないな」
こんなに広い庭なのに?
何人で走り回っても怒られなさそうなのに。隠れんぼとか無限にできそう。むしろ、永遠に見つからないかも。
私が怪訝な顔をすると、レオンハルト様が苦笑いを浮かべながら子供時代の話をしてくれた。
「俺は養子なんだよ。俺だけじゃなく二つ違いの弟もな。前当主夫妻には子供が出来なかった。五年経った時、母は父に妾を持つ事を勧めたんだよ」
そういう話は珍しく無い。もともと貴族の結婚は政略結婚が多い。目的は家の繋がりを深める事と、跡取りを作る事。だから、子が出来なければ親戚筋から養子を貰うか、または妾に産ませたりする。
「結局妾を持つ事はなかったが、その代わり親戚筋を辿り十歳前後の男児を数人集めた。そして、その中から数ヶ月かけて次期当主に相応しい子供を選んだ。俺は幸か不幸か選ばれ、気楽な男爵の次男から侯爵家の跡取りになった。その経緯から想像がつくと思うが、選ばれた次の日から当主になるべく、いろいろ教え込まれてな。だから、この庭で遊ぶ暇なぞなかった」
「意外とご苦労されているのですね」
つい、ぽろっと出た私の本音に、レオンハルト様は、そうだ、とため息混じりに呟いた。
十歳の子を跡とりとして迎え、次期当主として育てる事だけに専念したのなら、そこに親子の情はどれほどあったのだろうか。
「リチャードとエマは俺について男爵家からきた使用人だ。幼い頃から世話になっている」
「もしかして、レオンハルト様にとってお二人は、親に近い存在なのですか?」
だからいつまでも頭が上がらない、という言葉は飲み込んだ。レオンハルト様は肯定とも否定とも取れる笑みを浮かべると、今度は私に話を振ってきた。
「マリアナ派遣所には、元男爵家の令嬢もいると聞いていたがリディもだろ? 立ち居振る舞いを見ていればわかる。学園は出たのか?」
「いえ、学園には行っておりません。両親が亡くなったあとは元教師の男爵夫人が育ててくれました。淑女としてのマナーと勉学は彼女から教わりました」
普段はここまで話さないけれど、レオンハルト様の話を聞いた後ではぐらかすのもどうかと思い、正直に話すことにした。
もとはどちらも男爵家の生まれ。それが今や雇用主と侍女かと思うと、ちょっと複雑な気がした。
あ、でも、勉強漬けは嫌だから、やっぱり侍女でいいかな。
そんな事を考えながら、雑談を挟みながら、食事を終えた頃。
「失礼します」
どこかで見ていたのか、というぐらいの絶妙なタイミングでエマさんが入ってきた。手には食後のデザートのプリンと紅茶がある。
私は、空になったお皿を手早く片付けテーブルを整える。お茶を受け取るとティーカップに注いでいく。この匂いはミントティーだ。
「レオンハルト様、こちらの店に使いを出しています。地図も書いていますので」
「うむ、分かった」
エマさんが何か紙を渡しているのは視界に入っているけれど、私の意識の大半はトレイに載せられたプリンに向けられている。
美味しそう。
私の好物。
小さい時に父の知り合いが持ってきてくれたのがとても美味しくて、大好きになった。
お茶とプリンをテーブルに載せ、ちょっと迷ったけれどもう一度テーブルに着く。
レオンハルト様はエマさんとまだお話し中。
先に食べるのはまずいよねぇ。
両手を膝の上に置いてプリンをじっと見つめていると、レオンハルト様がなぜか震える声で、食べて良いと言ってくれた。エマさんは幼子を見るような目で私を見ている。
ともかく、食べて良いならと、スプーンを手に持ちひとすくいする。プリンが日の光の下で揺れる様子に思わずうっとり。そのまま、口にもっていきパクリと食べると、優しい甘さとバニラの香り。濃厚な風味がたまらない。
「美味しい!!」
自分で出した声の大きさにびっくりして思わず手で抑えると、
「ふふっ、嬉しいわ」
優しく微笑み返された。
「……子供の頃食べていたプリンにそっくりです。手作りだからでしょうか? お店のとは違う味がします」
自分で作った事もあるけれど、理想の味にはほど遠かった。いや、正直に言えばアレはプリンですらなかった。
あとでレシピを教えてもらおう。エイダに作ってもらおう。そう決意しながらスプーンを口に運ぶ。おいしい。ひと匙。もうひと匙。
……あっと言う間に食べ終わってしまった。空のお皿を名残り惜し気に見ていると、目の前に新しいお皿がスッと差し出された。その皿を辿った先には呆れ顔のレオンハルト様がいる。
「子供みたいな目で空の皿を見るな。俺のもやるから食えばいい」
「い、いえ、そういう事ではなく……」
「ではどういう訳で物欲し気に空の皿を見ているんだ……うん? いらないのか?」
レオンハルト様がお皿を揺らす。
プリンがぷるぷる揺れている。
そういえば、昔一緒に遊んでいた子供で、いつも私にプリンをくれる子がいたなぁ。名前、何て言ったっけ? 思い出せない。ま、いいか。
「頂きます!」
遠慮なく食べた二つめのプリンはやっぱり懐かしい味がした。
食事を終え、帰る際にエマさんから鞄と王宮の侍女服が入った袋を受け取った。袋ごとぬかるみに浸かっていた王宮の侍女服は洗われ綺麗になっている。
「ここまで親切にして頂いて申し訳ありません。今着ている服は改めて返しに来ます」
「いいのよ、大した手間じゃないわ。まだ湿っているから帰ったら干してね」
何度も頭を下げる私に、エマさんは優しく笑いながら頬の傷を心配してくれた。そして、私の目をじっと見る。
「素敵な瞳ね。隠したい気持ちは同じ侍女として分かるけれど、出した方がいいわ。あなた、綺麗な顔立ちしているんだから」
そして、チラッとレオンハルト様を見る。
「暫くはいろんな虫が寄って来るだろうけれど。きちんと見極めるのよ」
何の虫を見極めるのだろう? とりあえず曖昧に頷いておいた。
「では行くぞ」
決まり悪そうに、コホンと咳をしながらレオンハルト様が馬車に向かう。
「え、私もですか?」
「いいから、早く乗れ」
意味が分からず戸惑う私の背を、エマさんが強引に押して馬車に乗せる。そして、そのまま馬車は走りだした。
「どこに行くんですか?」
「心配するな、すぐ着く」
その言葉通り十五分ぐらい走った所で馬車は止まった。
馬車から降りると、赤い屋根とライトブラウンの扉のお店が目の前にあった。可愛い蔦と花が彫られた扉を開けて中に入ると、そこは庶民向けの服を取り扱っている服屋だった。
レオンハルト様によると、(正しくはエマさんのメモによると)この店は、もとは子爵男爵家の人間がよく利用する店だったらしい。それが最近になってちょっと裕福な平民向けの服を扱うようにリニューアルされた。没落していく貴族がいる一方で、庶民でありながら富を築いた者もいる。その辺りの層をターゲットとしているのだろう。
良くも悪くも貴族階級と平民との垣根が曖昧になってきているのがこの国の実情だ。
私にすると高価な服が並んでいるけれど、分不相応、とまではいかない。
「昨晩着ていた服の代わりになる物を選べ」
「ですが……」
持ち合わせがない。
えーと、もしかして、
この流れは期待して良いのでしょうか?
「無理に残業させた詫びと、それに対する現物支給の残業代だ」
成程。
そういう事なら遠慮はいりませんよね。
素直にショッピングを楽しむ事にしましょう。
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