第10話
ダニエル・ワグナーは男爵家の長男として産まれた。
男爵家といっても土地は持っておらず、祖父が立ち上げたワグナー商会を生業としていた。爵位こそ持っているが地位は限りなく低く、世間では商人と認識している者の方が多いくらいだった。
父親は祖父より少しだけ商才があるようで、不安定だった経営をどうにか軌道に乗せた。しかし、流行病で呆気ないほど簡単に早逝した。
父親の跡を継いだダニエルには、父親を優に超える商才があった。おおらかで人懐っこい彼の周りには自然と人が集まりいつの間にか人脈ができる。
責任感が強く男気のある性格で厚い人望を築きあげた。それでいて、強かに算盤を弾く頭と本物を見抜く目を持っていた。
生まれ持って秀でた商才を持った男は、父親の跡を継ぐとワグナー商会を数年で王都屈指の商会にまでのしあげた。ダニエルは語学にも長けており、自ら異国に赴き商談をまとめてくる事も多かった。
今まで見たことのない異国の品々は、益々ワグナー商会を大きくし確固たる基盤を作り上げた。特に珍しい宝飾品は公爵、侯爵家といった高位の貴族の目に留まり人気を博した。時には国王からお呼び出しがあったくらいだ。
彼には二人の娘がいた。姉のリリーウェンは引っ込み思案だけれど気立が優しく穏やかな性格をしていた。父親そっくりのブラウンの髪とオレンジ色の瞳を持っていた。
そして、八歳年下の次女のリディアンナは母親そっくのハチミツを溶かしたようなブロンドの髪と、ロイヤルブルーの瞳を持っていた。
母親は父親が半年船に乗り、辿り着いた異国で一目惚れをして口説き倒して妻にした美女だった。その国ではブロンドの髪とロイヤルブルーの瞳はそれ程珍しい物ではなかった。
しかし、この国でその二つは持て囃される。高位貴族の中には幼い娘を自分の息子の婚約者にと言ってくる者もいた。まるで、商談でもするかのように。
父親も母親も、娘達を平等に愛し大切に育てた。だから、商談のような縁談は全て断った。
しかし、二人には大きな違いがあった。
姉には商才がなく、妹にはそれがあった。もしかすると、父親さえ越すかもしれない商才が。
彼女は、物怖じしない性格と、周りが何を求めているかを敏感に感じとる感受性と、確かな審美眼を持っていた。
父親は次女が五歳の時、跡とりは彼女にしようと決め、教育を始めた。交渉、商談の類に同行させ、上質な物を見せ触れさせた。
到底、子供には理解出来ないような
父親は家庭教師を呼び、片手では足りない程の数の異国の言葉を幼い彼女に覚えさせた。もちろん、彼自身も教えたが、娘が話せる言語は父親以上だった。
順風満帆に見えた生活に逆風が噴き出したのは、ラングナード辺境伯の失墜からだった。
ラングナード辺境伯はワグナー商会の後ろ盾でもあった。父親が跡を継いだ頃から商会を贔屓にし、資金援助をしてくれていた。
そのため、人脈の半分以上は辺境伯の紹介による物だった。
王族に謀反を企んだ辺境伯の血縁者は全員処罰された。
後ろ盾を失った痛手に加えて、辺境伯と関わりの深かったワグナー商会との取引をやめる店も増えてきた。そして、没落の一途を辿る事となる。
姉は当時十八歳。
父親が親しくしていた異国の伯爵家の次男と婚約をしていた。事態を知った伯爵家はすぐに結婚の準備を進めようと提案してくれた。姉は優しい義父母に大切にされ、夫との間に子供を二人さずかったが、ハザッド王国に足を踏み入れる事は二度となかった。
妹は当時十歳。
両親は異国での商売を考え、今や唯一の財産とも言える船で海を渡る事を決意した。その際子供を連れての長旅は難しいと判断して、異国での生活基盤が出来るまで信頼出来る人に娘を預ける事にした。
二人はいろいろ考えた末、祖母が親しくしていた男爵家の未亡人のメリッサに次女のリディアンナを数ヶ月預ける事にした。この男爵家も土地なしの低い身分だったけれど、貴族の学園で教鞭をとっていた知識層であった。亡き男爵はもちろん、メリッサ夫人も淑女教育にも携わっていた。
しかし、数ヶ月で戻る予定の両親は、二度とリディアンナの前に現れなかった。船が難破したと聞いたのは二人が出港してから半年後の事だった。
両親の死後もメリッサ夫人は、リディアンナを手元に置き変わらず育てる事にした。普通なら孤児院に入れてもおかしくない状況にも関わらず。彼女の収入源は時折呼ばれて伺う家庭教師と、リディアンナの姉からの仕送りが少々。あとは細々と男爵家の資産を食い潰していた。その中で、夫人はリディアンナに教育と淑女としてのマナーを教えた。
リディアンナはそれからメリッサ夫人と数年を一緒に過ごした。夫人は優しく親切だったけれど、リディアンナは両親と姉との暮らしを思い出し、隠れて何度も涙した。
商売人であったワグナー男爵家には頻繁に来客があった。リディアンナと同じ年頃の子供も多く、さほど広くない屋敷と庭を所狭しと駆け回った。時には、子供達だけでお泊り会を開く事もあった。
大広間にクッションを並べて皆で眠ったふりをした。そして、夜中に屋敷の中を探検しては侍女に見つかり怒られた。
一度、お泊り会の時に嵐が来た事がある。
あの時は皆で肩を寄せ合い夜を過ごした。誰も出歩かなかったので侍女達は喜び、お泊まり会のたびに嵐が来ることを願うようになったらしい。
そんな暮らしを思い出し泣く事も、年月を過ぎるうちに減っていった。
リディアンナが十五歳の時だった。
メリッサ夫人に再び田舎の学校の教壇に立たないかと話がきた。
十五歳となれば貴族の学園に通う年齢だけれど、メリッサにそれだけのお金がない事も、これ以上甘えてはいけない事もリディアンナは理解していた。
メリッサが教師を天職としているのも知っていたから、リディアンナはもう一度教壇に立つ事を薦めた。
常駐の侍女を雇うお金がなかったメリッサは、マリアナ派遣所から週に三回侍女の派遣を頼んでいた。リディアンナは、学園に通わずに侍女になる事を決めた。もとより、メリッサから学園で習うべきことは全て教わっていたのだが。
ただ、侍女として働くのに困った事が一つあった。
貴族を連想させるブロンドの髪とロイヤルブルーの目だ。マリアナに相談すると、異国からの輸入品だという毛染めを渡された。黒髪に染められる植物なら国内にもあるが、一度染めると落とす事はできない。でもそれは、アルコールで簡単に落とせるという。
もちろん、値段も張るが、そのお金はマリアナが持つと言う。その代わり、時折ブロンドの髪とロイヤルブルーの瞳で夜の宴で踊って欲しいと頼まれた。踊りは、もとジプシーだった自分が教えるから心配ないと半ば強引に押し切られた。
ただ、マリアナはリディアンナの顔下半分は布で隠すと言った。正体がバレない為と本人には言ったが、実は嘘をつくと直ぐに顔に表情が出るうえ、声が上ずるので、接客に不向きだったからだ。
リディアンナは押し切られながらも、ジプシーという異国を感じる言葉に少しだけ胸が弾んだ。
いつか、もう一度、父親と一緒に見た異国の品を
今度は自分の手で仕入れたいと思った。
そしてリディアンナはリディとして、マリアナ派遣所の寮に住み始めた。
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