第8話

王宮は小高い丘の上にある。緩やかな坂道は整備され石畳が続いている。左右にはオイルランプの街灯が並び、間口の広い店や立派な家が軒を連ねている。いつもは賑やかな通りだけれど、この時間は灯りもまばらで人は歩いていない。


 半分駆け足で坂を下ると、王都の大通りに出る。


 坂道ほどではないけれど、ここにも街灯はある。仄かな灯りに照らされて並ぶ店は先程よりも小さいけれど、綺麗で小洒落た外観をしている。流行りの品や食べ物はいつもここが発信地だ。レストランやバーの灯りと、賑やかな声が時折り聞こえてくる。皆、適度に酔っ払い適度にハメを外している。


 そこも早足で通り過ぎ、橋を渡ると急に景色が変わる。


 足元の道は土に変わり所々に小石が転がる。昨日雨が降っていたので、あちこちにぬかるみが出来ているのを、月明かりだけを頼りに踏まないように気をつける。道沿いに並ぶ店は薄汚れて小さく、雑多な集落が続いている。街灯がなく薄暗い中、飲み屋の灯りだけがちらほらと見え、道を照らす。その灯りを頼りにしたいところだけれど、灯りの下には喧騒とも怒声にも聞こえる声が響く。


 足にぐっと力を入れて、全力で駆け抜けようとした時肩を後ろから掴まれた。

 酒臭い息が顔にかかり思わず顔を背ける。


 その瞬間、口を塞がれ裏路地に連れ込まれた。

 ドンっと押され、ぬかるみの上に尻餅を着く。その上から男がのしかかってきた。醜く歪んだ男の頭の上に三日月の月が見える。


 私は思いっきり手足を動かして男の顔を引っ掻き、蹴っ飛ばす。男が怯んだところでその下から這い出るように飛び出して人の声がする方に駆け出……


 ガシッ、ドタッ。


 足を掴まれバランスを崩した私は、顔から地面につっぷした。後ろから髪を掴まれ、無理矢理顔を上げさせられる。目の前には先程と違う髭面の男がいて、手に持ったランプで私の顔を照らす。ランプにガラスはついてなくて、剥き出しの炎がチリチリと私の前髪を焼いた。鼻をつく異臭がする中で男は言った。


「大人しくしろ、そうすれば顔までは焼かない」


 おぞましいセリフに背筋が凍りつく。全身が強張り手足をが思うように動かず、奥歯がガタガタっ震える。髪を掴む手に力が入り、私はひっくり返された。今度は三日月の下、二人の男が私を見下ろす。一人が私の両手を押さえ、もう一人の手が喉もとに伸びたかと思うとビリビリと布が引き裂かれ音がした。


「いやぁぁ………ぐっうっっ」


 服を引き裂かれた手で次は口を塞がれた。喉の奥がひくつき、両目から涙が溢れ落ちる。


 どうして、どうして、


 どうして、私はいつも


 今まで自分に降りかかった悲しい出来事が脳裏に浮かぶ。



 男の手が私のスカートに伸びたのと、その男の姿が目の前から消えたのは、ほぼ同時だった。 


 ぐっ、

 横から鈍い唸り声が聞こえたので顔を向けると、男が腹を押さえて丸くなっている。口から吐瀉物が溢れ落ちていた。


「お前、だれだ!!」


 手を押さえていた男が立ち上がる。その男の向こうには背の高いシルエットが月明かりに浮かんで見えた。

 その影はシュッと剣を抜くと、酔っ払いの前にそれを突き出した。


「殺されたいか?」


 低く冷たい声が、汚い裏路地に静かに響いた。こんな場所に相応しくない高貴な声だ。剣を向けられた男は二歩三歩と後ずさると、蹲る男を見捨て駆け出した。

 それを見て、もう一人の男も腹を押さえながらふらつく足で後を追うように暗闇に消えていった。

 

 黒いシルエットが剣を鞘に納め、私に走り寄ってくる。


「大丈夫か!?」


 上等な服が汚れるのも気にせず、私の傍に膝をつく。逞しい腕が背中に回り、上半身を起き上がらせてくれた。ばさりと肩にかけられた物に目をやればレオンハルト様の上着だった。薄いシャツの上からでも分かる鍛えられた身体に支えられ、間近にある顔を私は見上げる。


 いつもの無愛想な顔はそこになく、取り乱し憂慮と焦燥が混じった瞳で私を見下ろしてくる。


 喉が塞がったようで言葉が出ないまま、私はコクコクと何度も頷いた。


「立てるか?」


 そう言われ、出された手に掴まりながら立ちあがろうとするけれど、足が震え力が入らない。足だけじゃなく、手も、いや、身体全体が震えている事に、私はその時やっと気づいた。

 気づくと同時に再び恐怖が込み上げてきて、思わずぎゅっとレオンハルト様のシャツを握りしめる。


「そのまま掴まっていろ」


 そう言うと、レオンハルト様はびっくりするぐらい軽々と私を抱き抱えた。

 小柄とはいえ、それなりの重さはあるはずなのに、そんな事は感じさせない足取りで細い路地を出る。飲み屋の灯りから少し逸れた場所に、この場に不似合いな立派な馬車があった。


 一瞬ぐらりと身体が傾く。レオンハルト様が私を抱えたまましゃがみ込み、何かを拾うと再び立ち上がり馬車へと向かった。

 馬車に乗せられ、初めてさっき拾ったのが私の荷物だと分かった。


「すまなかった。遅くなるようなら寮まで送るようダグラスから頼まれていたのだが、俺が執務室に戻った時にはお前はもう帰ったあとで……」


 ガシガシと頭を掻きむしりながら、謝るレオンハルト様を呆然としながらただ見ることしかできない。


「慌てて後を追ったのだが……、道に……その荷物が落ちているのを見つけて。……俺が無茶な仕事の振り方をさせたせいで」


 そこまで話すと、レオンハルト様は口をつぐんだ。何と言えば良いか戸惑っているようだった。思いつくままに口にするも、文章にならないもどかしさに黙ってしまったように見える。


 少しずつだけれど、恐怖で麻痺した心に感情が戻ってきた。自分の体に目をやると、服は破れ泥だらけだ。でも、言い換えれば服だけ。その事にまず安堵した。

 顔から転んだせいで左頬が少し痛むと手をやれば、指先にうっすら血がついている。


「痛むか?」


 不意に伸びてきた手に思わず身体がすくんでしまった。


 そんな私の反応にレオンハルト様の指がピクリと止まり、所在無さげに宙を彷徨ったあと自身の膝の上に戻って行った。普段感情がわからない顔が、明らかにしまったというように歪んでいる。


「ありがとうございます」


 やっと声が出た。少し震えてはいるけれど。


「服、汚してしまいました」


 肩からかけられた白い上着には、泥がついている。


「気にするな。それより、その姿で寮に帰すわけにはいかないので、とりあえず俺の屋敷に向かっている。心配するな、屋敷には昔からの侍女や執事もいる」


 最後の一言は、二人きりではないから心配するな、という事だろう。私は小さく頷いた。


「お前が余りに仕事が出来るから、ついつい頼りすぎた。俺も余裕がなくて、言葉が足りないとダグラスからも言われてはいて……いや、いい。今のは忘れてくれ。言い訳にもならん」


 レオンハルト様は、また頭をガシガシと掻くと、なんと言えばいいのかと、出てこない言葉に苛立つように目線を泳がせる。


 人間というのは不思議な物で、焦る人を目の前にすると逆に冷静になれたりもする。

 

 なんだ、普通の青年じゃない。


 とっつきにくく、近寄りがたいレオンハルト様の印象が私の中で変わっていくのを静かに感じていた。

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