第4話

はぁ、とため息をつきながら、マリアナ派遣所と書かれた看板の横の細い路地を進み、木で出来た裏口の扉を開けた。


 ギシギシと軋む階段を上っていき、三階の一番奥の自分の部屋へと向かう。ベッドと、小さな机と椅子、クローゼットだけのこじんまりとした部屋。机の上には読みかけの本と洗いそびれたコップが置かれている。


 東向きの部屋の窓からは、半月がやけに綺麗にみえた。


 荷物をどさりと床に置き、ベッドにポスンと倒れ込む。私の重みに、古びたベッドがギシっと音を立てた。


 あれから、倉庫の整理をして、王族達に夕食の給仕をして帰ってきたのは九時過ぎだ。


 仕事はシフト制。今月は遅番で、昼食、夕食の給仕と夕食の皿洗いが私の仕事。ちなみに先月は早番で、朝食の給仕と朝食、昼食の皿洗いが担当だった。この場合夕方には寮に帰って来られる。

  今月は 朝が遅いからゆっくりできるのは有難いかな。

 労働時間はちょっと長めだけれど、今まで派遣された所ではもっと長いものもあったから、気になる程ではない。


 ゴロリと寝返りを打つのと同時に、コンコン、ドアを叩く音がした。


 開けると二人のお姉さま方。

 その手には、ビールと夜食を持っている。 

 いつもと変わらない日常ルーティンに思わず顔が綻ぶ。


「お帰り、リディ。今月遅番なんでしょう? 少し飲まない?」


 なんて言いながら、私の返事も聞かずに部屋に入ってくるのはハンナ。赤い髪に緑色の瞳の華やかな容姿に加え、少し垂れた目が色っぽい妖艶な美人だ。


 その後ろにいるのは、長身で姿勢の良い男装の令嬢エイダ。今日も白いパンツに紺のブラウスといった男装姿に栗色の髪をポニーテールにしている。彼女は代々騎士を務めていた男爵家の出で、女性でありながら剣の腕も中々のもの。主に護衛として雇われる事が多い。

  

 二人とも二十代半ばで既に行き遅れの年齢だけれど、結婚には興味がないようで焦る素振りはまったくない。侍女歴も私より先輩で、私は二人から仕事と心構えを叩きこまれた。


 椅子は一つしかないから、床の上にドカッと腰をおろしそれぞれの前に冷えたビールが入ったコップを並べる。私はベッドを背もたれに、いつもの場所に腰をおろすと、ハンナから夜食が載ったお盆を受け取った。


「とりあえず、お疲れ様~!!」


 そう言ってハンナはぐびぐびと音を立ててビールを煽るように飲む。いわゆるザルというやつで、ハンナを酔わそうとして潰された殿方は数知れず。逆にハンナに美味しく頂かれちゃったという殿方も数知れず。


 私より五、六歳、年上なだけなのに、なんだろう、この溢れ出る色香は。いや、別にそこを目指すつもりはないのだけれど。未だに十代半ばに間違えられる私に足りない物を思い知らされる。


 ハンナの隣では、片手でビールの入ったグラスを持ち、クールに笑っているエイダがいる。こちらは意外な事に、コップ一杯で赤くなる。だから、今もちびちびと舐めるように呑んでいる。

 

 私は、料理長の許可を貰って持って帰ってきたパンを鞄から取り出しながら、ハンナに話しかけた。


「ねぇ、ハンナ。新しい派遣先の子爵様のお屋敷にはもう慣れた?」


 ハンナは、既に二杯目を注ぎながら、そうね、と呟く。どうやら今は会話するより呑みたいらしい。


 彼女は先月から某子爵家へ派遣され、十五歳のご子息の家庭教師をしている。

 もと男爵令嬢の彼女は、この国の貴族学校を男爵家でありながら首席で卒業した伝説の才女。実家が没落するときには多数の縁談が持ち上がったらしいけれど、それを全て断っている。

 なんでも、男に養われて、家に縛られて生きるのはもう沢山らしい。


 そんな優秀な彼女は、侍女としてではなく家庭教師として派遣されることが多い。しかし、問題は彼女からあふれ出るその色香だ。


 教え子が令息ならその子から、

 令嬢なら屋敷の主人か従業員から言い寄られてしまう。

 そして、厄介なことに、それを楽しみ美味しく味わっちゃうのがハンナの悪い癖だった。但し独身限定。そこはちゃんと弁えてるように思うけれど、その独身の中に御令息が含まれるのは如何なものだろうか。


 そんな彼女の今回のお相手は、可愛い顔をしたわんこ系少年というのだから、ハンナの機嫌はすこぶる良い。もう、上機嫌だ。二杯目を半分以上飲んでやっとハンナが私の問いに答えてくれた。


「私の仕事はいつも同じだから、慣れたと言えば慣れたかな。お屋敷の雰囲気も悪くないし、今回の坊ちゃまは覚えもいいし、手もかからない純情な子供だから長く雇って欲しいのだけれど」


 そう言って、濡れた赤い舌でぺろりと唇をなめる。そのしぐさがトラブルのもとだと彼女は気づいているのだろうか。

 そんなハンナの横にいるエイダのビールはほとんど減っていない。むしろ、つまみのチーズと干し葡萄が減っている。


 女性の護衛は珍しいけれど、高位貴族のご婦人からの需要は高い。どうしても力では男性に劣るけれど、女性だからこそ着替えや寝室まで護衛できるし、同性ならではの気安さもある。

 そんなエイダが、もう桜色になったほっぺで私に聞いてきた。


「あと一か月だっけ?」

「うん、まだ更新の話出ないのよね。お給金がいいから、あと一年ぐらいは続けたいのだけれど」


 ハンナが私の髪に触れながら


「やりたい事のためにお金を貯めるのはいいけれど、もう少し身なりに気を遣ったら? 整った顔してるんだから。髪も、もっとしようがあるでしょう?」

「いいの、これで。着飾っても誰も見ないんだし」

「着飾ったら見られるかもしれないじゃない。見そめられて妻か妾にしてくれるかもよ?」

「どっちも興味ない。豊かなくらしと庇護より、自由と自立がいいわ」


 今までいろいろあったけど、最終的に頼れるのは自分だと思う。貞淑な妻より、自立を好む所が私達の共通点で、だからこそ気が合う。


「ところで、お城ならではの面白い話、また教えてよ」


 ハンナが好奇心たっぷりの目で私を見る。エイダも食べてはいるけれど、聞き耳を立てている。


「守秘義務があるので、何も言えないわよ」


 二人は目を合わせてから、部屋の隅に置いていたトレイを持ってきた。上には布がかけられているけれど、中からカチカチとガラス同士がぶつかる音がする。……これは、もしかして……


「せっかくデザートに食べようと思って買ってきてあげたのに」

「そんな事言うんだ。ねぇ、ハンナ、二人で食べちゃう?」


 二人がガラス瓶を手に取り、私の前でゆらゆらさせる。


「プリン!!」


 えっ、しかもそれ、いつも行列になっているお店の春限定品だぁ!!


「分かった! 話す!! 何でも話すから!!」

「守秘義務は?」

「私達の間にそんな水臭い言葉は不要でしょ? ねぇ、早く頂戴」


 ハンナが何故か再びそれらを部屋の隅に置く。


「リディは本当にプリンが好きね。でもまだだめ、話が終わってからよ」


 ぶー、

 思わず膨れた私の頬をエイダがつついて笑う。

 だって好きなんだもん。昔から、何よりも。

 何なら三食これでもいい。



 えーっと、面白い話、面白い話ね。


 今日あった失敗は……面白くない。彼女達にとっては面白いだろうけれど、ずっとネタにされそうでそれは避けたい。


 それなら……

 そうだ。

 あの後、私がレオンハルト様の執務室から帰って来た時の話なんかはどうだろう。

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