第3話

長い長い廊下を、カタカタと給仕用のワゴンを押してレオンハルト様の執務室へと向かう。ワゴンの上には側近のダグラス様のも含めて二人分のお皿。本来ならレオンハルト様の昼食だけだけれど、馬車馬のように働く二人には特別に私が手を加え二人分用意している。何が特別かというと……


「リディ、昼食を持ってきてくれたのか?」


 甘く優しい声がして振り返ると、にこりと笑う側近のダグラス様。目の下のクマがさらに濃くなっているようですが、大丈夫でしょうか。


「はい、もう少し早く持ってきた方がよろしかったでしょうか?」

「いや、この書類を財務課に取りに行った帰りなんだ。一区切りできたところだし、いいタイミングだよ」


 次々と来る書類に一区切りなんてないはずなのに。

 細かな心配りを派遣侍女にもしてくれる貴重な方。

 歳は二十歳ぐらい、銀色の髪が疲れた目元に影を落としている。子犬のような鳶色の目が、どよんと曇っているところを見ると、昨日は寝ていないのかも知れない。


「はい、どうぞ」


 それなのに、ドアを開けてくれるなんて、本当に紳士的。先輩侍女達が騒ぐのも分かる。


「失礼します」


 扉の向かいには書類がうず高く積まれた立派な机が一つ。それとは別の、入り口の近くにある机にダグラス様が座られる。こちらにも書類の山。


 ブラックの匂いがプンプン漂ってくる。


 仕事って不思議な物で、出来る人のところにどんどん流れていく。


 働きアリっているでしょう? あれには法則があって、全部のアリの数を百とした場合、二十が働き者のアリで、六十がほどほど働くアリで、残りの二十が怠け者らしい。

 間違いなくこのお二人は働き者の二十。

 ちなみに、私が目指すのは、ほどほどの六十。ただしお給金の額によれば働き者の二十になっても良しとする。


 本来はここで下がっても良いのだけれど、お忙しいお二人を見ているとついつい手を貸したくなる。私はお皿を持って、働き者がいる奥の机へと向かう。


「失礼します。お食事はどちらに置けばよろしいでしょうか」


 私の声に、レオンハルト様は手元の書類から視線を離すことなく、机の隅を指さす。

 執務室とは別に隣の部屋にはテーブルと椅子もあるけれど、今日もそちらに移る余裕はないらしい。


 机の後にある窓からさす陽の光でライトブラウンの髪はキラキラと輝いているけれど、そのお顔には疲労の色が見て取れる。


 この国の高貴な方の髪の色は、ブロンドに近い色であることが多く、また目も青みを帯びている人が多い。高貴な方同士で交配されるので、必然の結果ともいえるけれど。それが庶民との身分の違いを分かりやすく示しており、尊ばれてもいる。


 私はチラリとその横顔を見ながら机の端にお皿を置いた。長い睫毛が切れ長の淡いブルーの瞳に影を作っている。薄い唇が少し荒れていらっしゃるのは激務のせいかな。


 書類の山にぶつからないように気をつけながら立ち去り、次はダグラス様にお皿を持って行く。


「ダグラス様、こちらに置いて宜しいですか」

「うん、ありがとう。リディが給仕係だと助かるよ」


 そう言ってダグラス様はサンドイッチを手に持つ。


「わざわざ、リディが用意してくれているんだろ?いつも悪いね」


 私はとんでもないと、小さく首を振る。


 そう、特別なのはこれ、片手サイズのサンドイッチ。

 

 お二人はいつも忙しくて食べる時間がないみたいで。毎回、手をつけられていないお皿を下げるたびに勿体無いな、って思っていた。


 それなら、片手で摘みながら食べられる物なら残さないかな、と思って作ったのがサンドイッチだ。料理長が作った肉や野菜を、食べやすい大きさに切って挟んだだけなのだけれど、これが結構好評だった。


 料理長にも提案したけれど、他の大臣方の目もあるので特別扱いは出来ないと断られてしまった。でも、案外融通の効く人のようで、私が勝手に用意するなら、構わないと言ってくれた。

 

 そんな事があって、私が給仕をする時はサンドイッチを作るようにしている。


 万が一にも書類を汚さないように、水分の多い物は挟まないし、具材は食べやすいけれど食べ応えのある大きさにカットしている。挟むだけとはいえ、それなりに気は遣っている。


 レオンハルト様は召し上がっているかと、チラリと横目で見る。

 いつもと同じように、書類から目を離さずに黙々と食べていた。その横顔は絵になる美しさだけれど、味、分かっているのかな。


 それにしても、


「このお部屋、少し空気が悪くありませんか?」


 今日は暖かな春の日差しと、気持ちの良い風が吹いている。せめて、心地よい空間で食べて欲しいなと思って、ダグラス様とレオンハルト様の机の間をすり抜け窓に近づく。両開きの窓に手をかけて押すようにして開いた。


 窓から新鮮な空気が部屋の中に流れ込む。 

 美味しい食事を楽しむなら、環境も大事。


 そう、思っていた私の横を突風がすり抜けた。窓枠がガタガタと揺れて、長い前髪が掻き乱される。

 風が巻き上げたのは私の前髪だけではない。机に積まれた書類達が花びらのように宙に舞った。


 慌てて窓を閉めようと手を伸ばした私より早く、逞しい腕が伸びてくる。私より一回りは大きな骨張った手が取っ手を掴みひっぱると、バタンと大きな音がして窓が閉められた。


 後から伸ばされた両腕は私の両耳を掠め、目の前の窓の取っ手を握っている。小柄な私の体は窓と腕の間にすっぽりと埋まり、背中に誰かの体温を感じた。


「何してるんだ!!!」


 真上から脳天に響く怒声に思わず首がすくんだ。

 恐る恐る見上げると、

 切れ長の目を吊り上げ口を歪めたレオンハルト様が私を見下ろしていた。


「も、申し訳ありません」


 レオンハルト様が窓から手を離す。

 それで出来た隙間をすり抜け部屋を見渡すと、床一面に書類が舞い落ちている。


 やばい、これは大変まずい。


 顔色がさっと青くなるのが自分でも分かった。


 慌てて床に這いつくばり紙を集める。


 ダグラス様も慌てて隣でかき集めているし、レオンハルト様さえ苦虫を噛み潰した顔で紙を拾っている。


 もう、何やってんだ? 私。


 背中とか脇に変な汗が滲む。

 焦って紙を持つ指先が震える。

 お仕事の邪魔にならないように気をつけていたのに、こんなポカをやらかすなんて。

 

 穴があったら入りたいけれど、

 入る事さえ許されない気がする。


 しかも、書類は異国の言葉で書かれた物ばかり。

 4.5ヶ国語はあるかな?


 書かれている内容も、商談から軍事協力まで様々。


 国ごと・・・に、さらに内容・・ごとに紙をまとめて。

 さっと目を通して・・・・・、紙の順番も整えてダグラス様に渡す。


「申し訳ありませんでした!!」


 腰を九十度に曲げて、深々と詫びをする。


「私を給仕担当から外して頂いても構いません。本当に申し訳ありませんでした」


 もう一度、謝る。


 これ以上、部屋にいるのが居た堪れなくて、私は脱兎のごとく飛び出した。


 後ろからダグラス様の声が聞こえてきた気がしたけれど、多分気のせいでしょう。

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