第2話

「それ終わったら、倉庫でワインの整理を頼むよ!」


 お城の一階、東の端にある調理場でパン生地を捏ねている私に向かって料理長の声がとんできた。

 

 料理人にしては少し長めの茶色い髪が白いコック帽からチラッとはみ出ている。三十過ぎのいかつい顔だけれど、腕は確かだ。

 ただ、そこまで逞しい二の腕が料理人に必要かは謎なところ。優に私の太腿を超える太さだ。


 料理長は私に指示を出すと、調理場の奥にある裏口から外へ出ていった。半開きの扉から緑の木々がチラリと見え、気持ちの良い春風が入ってくる。


「はい! 分かりました」 


 扉の向こうに見える背中に聞こえるように、大きく返事をした。愛想よく、元気に。


 私の契約期間はあと一ヶ月。

 契約更新がされるかどうか、今ギリギリの所だ。


 お城だけあって、お給金は良い。派遣侍女歴五年の中でも、かなり高待遇の部類。出来れば、あと半年、いや贅沢を言えば一年ぐらいはやりたい。


 ボウルの中のパン生地はいい感じに纏まってきている。じっとしている分には心地よい気温だけれど、ずっとパン生地を捏ねている私の額には汗が浮かんでいる。開けられた扉から入ってくる風が心地よい。風と一緒に話し声も吹き込んできた。


「あの派遣さん、なかなか使えるよな」


 そうでしょう、そうでしょう。


「サラが復帰してきた後も、続けて貰えるよう料理長から上に言ってくださいよ」

「……あぁ、そうだな。……そのうちな」


 ありがたいお言葉は侍女頭のカーレ。

 もっと言ってと、心の中で応援する。

 だってお偉いさんの「そのうち」はあてにならい。


 私はサラが子供を産んで仕事を休んでいる間、臨時に雇われている。

 そのサラが来月にはもう復帰してくるらしい。もっとゆっくりしていれば良いのにと思うけれど、最近王都の暮らしは厳しいので、そうもいかないのだろう。


 もともとは、給仕係として派遣されてきたけれど、毎月のように仕事が追加されて五か月たった今では、パンの仕込みと倉庫の整理も私の仕事になった。他にも諸々……。


 まぁ、それはどこに派遣されてもよくある事。

 期間限定の侍女は使い捨て感覚で消費されていくのが常。お給金から考えれば、まだまだ許容範囲だと思ってしまうのは、今までの派遣先がブラックすぎるからだろうか。


 料理長と給仕頭のおしゃべりはまだまだ続いている。


 私は捏ね終わったパン生地が乾かないように、固く絞った布巾を被せる。

 今は昼食前、作っているのは明日の朝食用のパン。

 半日以上かけてゆっくり発酵させる。


「あの派遣さん、何歳なんだ?」

「さあ、私は聞いていませんよ。一六.七歳ってとこじゃないかしら」


 よく言われます。

 実年齢より五歳ぐらいは、若く見られるのよね。


「長い前髪でよく見えないけれど、あの娘、碧眼だよな。貴族以外で初めて見たよ」

「噂では、どこぞの貴族と侍女の間に出来た子らしいですよ」


 その噂、どこから湧いて出たのでしょう。

 不思議ですねー?


「返事も愛想もいいんだけれど、ちょっと見た目が暗いんだよな」

「そうですね。ちょっと地味ですよね」


 波打つ癖毛を誤魔化すように、左右で三つ編みをして耳の下でくるくると纏めてお団子にしている。髪飾りひとつ付けていないし、化粧もしていない。幼く見えるのはきっとそのせい、だと思う。地味で目立たなくしているのは、色恋沙汰に巻き込まれないため。その他諸々。厄介事の種は無い方がいい。


「ガキみたいな身体だしな。あれはもう少し肉をつけた方がいいよな」

「侍女の服がブカブカですものね。服の中で体が泳いでいて、あれなら子供服の方が合うかもしれませんね」


 背が低く細い私に服が合わないのは、侍女服に限った事ではない。

 裄丈や裾は十センチ以上お直しが必要。

 でも、問題は胴回り。

 数センチならともかく十センチを超えると、お直しというレベルではなくなる。一度糸を全て解いてバラさないといけないから、もはや本格的な縫製の技術と知識が必要となる。そんな技術も知識もない私は、自分で出来る範囲でお直しをするしかない。だから、ウエストはいつもブカブカだ。


 さてさて、

 扉の向こうの二人はおいといて、パン生地も出来たし、そろそろ私は給仕の時間です。

 倉庫整理はそれが終わってからにしましょう。


ところで、先程から 派遣さんとか、あの娘って言われているけれど、二人とも私の名前覚えてくれているのかしら?


 私の名前はリディ。


 マリアナ派遣所からお城の給仕係として派遣されきた侍女。地味で目立たず、ほどほどに手を抜くのが私の信条だ。





 私が給仕をするのは王族の方々。

 王族は、国王、王妃、それから王子がお一人と王女がお一人。本当はもう一人、第一王子がいらっしゃるけれど、十年前の毒殺未遂事件から海外に留学されていてまだ戻ってきていない。もしかすると、第二王子が後継者になるかも、ともっぱらの噂だ。


 それ以外にも、各部署の高官の方の食事も用意する。高官の方には執務室以外にもう一部屋与えられており、そこで面会をしたり食事をされたりする。給仕に関しては、側近の方や連れてきている侍女がするから私は食事を渡すだけだ。


 ちなみに、下っ端はお城の端にある食堂や、寮の食堂、お弁当などなど。

 

 それにしても、高官の執務室に行くたびに思う。

 このおじさん達仕事しているのかな? と。

 皆様優雅にチェスをしたり紫煙を燻らせたり。

 お部屋にいらっしゃらない事も多々ある。


 高いお給金貰って何してるんだって話。貰っている分は働いて欲しい。

 

 もちろん真面目に働いている高官や、優秀な文官もいるし、明らかに過労だと思う方もいる。

 私が今から向かうのは、おそらくお城で一番忙しくされているだろうお人。

 レオンハルト・エルムドア様の執務室。


 ラングナード辺境伯に代わって、今や王家の右腕となっているカルトス公爵家の縁者でもあるエルムドア侯爵家の御当主。ラングナード辺境伯が失脚したあと、辺境伯が治めていた領地はカルトス公爵家が引き継いだ。でも、領地の実務についてはカルトス公爵の奥様の出自であるエルムドア侯爵家に丸投げされている。


 レオンハルト様は、早くに父親を亡くし、二十歳の若さでエルムドア侯爵家を背負うこととなった。その若さで、それまで父親がしていたお城での外交の仕事と侯爵家の広い領地の統治を引き継ぐだけでも大変なことのはず。

 それなのに、さらに元ラングナード辺境伯の領地も実質的に治めなくてはいけないので苦労は絶えないらしい。他にも叔父であるカルトス公爵から時折仕事を無茶振りされているという噂も耳にする。確か今年学園を卒業した弟が辺境伯の領地にいるとか、いないとか。



 サラサラのライトブラウンの髪は品があり知的で、陽の光によってはブロンドにも見える。

 淡い水色の瞳は、澄み切った夏空のようで涼やかだ。端正な顔立ちは誰もが見惚れるほどで、加えて長身で引き締まった体躯に長い足。

 まったく、非の打ち所がない容姿をされている。


 さらに、第一王子と一緒に隣国に留学されていたエリートだ。


 その為、彼に言い寄る女性は星の数程いる。身分の高い令嬢から、妾でもいいという侍女まで。


 なのに、独身。婚約者もなし。

 女嫌いとか、男色家とか噂されているけれど、真為は不明。


 ま、私には心底どうでもいい話だけれど。

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