第39話

異星人と地球で出会う


 二番目に好きな人と結婚して、浮気されて、離婚できない。端的に言うとこういう状況だ。


 書道の非常勤講師をしている私は深いため息を吐く。そして書道クラブも指導しているので、今日はもう墨だらけになってもいいから大きな文字を書きたい。よくテレビで見るパフォーマンスのような書道だ。


「麻衣先生、すごい気合入ってる」と三年生の部長に言われた。


 正直、この大きな文字を書くのは面倒なのだ。準備も後片付けも。でも今日はそうでもしないと腹の虫がおさまらない。


 怒 怒 怒 怒 怒 怒


 書こうとする文字はこの文字ばかりが浮かんでくる。


 精神統一。深呼吸をする。


 苦 狂 憎 悪 殺 


 そんな文字ばかり出てくる。


 もう一度深呼吸。


 生徒たちが固唾を飲んで見ているのが伝わってくる。


 バケツの中に筆先を突っ込む。


 そして振り上げて、大きな紙にぶつけた。無我夢中で走る。


「無」


 そう無だ。


 義理家での話し合い。


『まぁ、気持ちは分りますけどねぇ。夫婦は…いろいろあって、成長するんで。たった一度のことだから…なかったことに』


 無の下の点々が暴れてしまう。心の乱れが…出てしまった。


「先生、素晴らしいです。無ってすごい圧を感じます」と部長が褒めてくれる。


(全然…無じゃないよ)と涙が零れそうになる。


「じゃあ、次はあなたたちが…」と言って、私は自分のうっぷんをぶつけた紙をぐちゃぐちゃにした。


 生徒が驚いていたが、


「失敗したから」と言って、そのままゴミ袋に入れる。大きな紙なので、それまでのと合わせるとゴミ箱はいっぱいになってしまった。


 そしてそのままゴミ置き場に持っていくことにした。


 ゴミ袋を抱えて自分が本当に駄目だと思った。


 夫が憎いわけじゃない。(いや、憎いのは憎い)


 一番目が手に入らなかったから、妥協して結婚した自分が許せない。(妥協? …妥協なのか?)


 ぶちぶちと過去を思い出すと、頭を掻きむしりたくなった。音楽室に行って「あー」と叫びたくなる。防音になっているから多少はましだろう、とかぼんやりしていたせいで前から来た人とぶつかって、ゴミ袋が落ちた。


「あ、すみません」と謝られたのは美術の講師だった。


 彼も非常勤だった。


「あ、いえ」


「…ちょっと来てください」といきなり手を取られる。


「は?」


 美術室に連れていかれて、クラブ活動をしてはいたけれど、そこを通って、準備室まで連れて行かれた。あまりの強引に何も言えずになすがまま準備室に来た。美術部の生徒もいるし、変な事はされないとは思うけれど。


「そこに鏡あるんで…」と洗面台を指さされる。


「鏡?」


「顔…」


「顔?」と言って、私は洗面台の上の鏡を見た。


 私の顔は墨で頬から一直線に汚れていた。ゴミ袋も汚れている。手についた墨に気が付かず、顔を触ったのだろう。


「え? あ」と慌てて、また手で擦ってしまって、さらに黒い顔になった。


「あの…大丈夫ですか?」


 確かに神経疑うポンコツぶりだった。私は笑おうとして、泣いた。

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