第34話
僕の女神様 月の下で
鈴ちゃんを傷つけてしまった。
大切にしたかったのに、正反対なことをしてしまった。すぐに謝りたかったのに、電話はできなかった。スマホを盗られたからだ。
ショックで鞄を電車に置き忘れていて、鞄は落とし物センターに届いていたものの、スマホは盗られていた。財布はポケットにあったから、被害はスマホだけだったけれど、彼女との連絡手段はスマホだけだったから、俺にとっては甚大な被害だ。働いていたレストランにも後日行ってみたけれど、もう辞めてしまったと言われた。もし彼女が来たら、と俺の番号を置いてもらったけれど、それから連絡はなかった。
三年経った。毎日、俺はアトリエに通った。来てくれているかもしれないと思って、交換ノートもずっと置いていて、俺ばかりが書いていた。鍵はいつもポストに入れて、鈴ちゃんが来てくれたらいいとずっと思っていた。空き巣すらこなかった三年…だった。合コンに出かけたり、何人かと付き合った。
「悠希ー。悪いけど、私の代わりに
金曜の夜は忙しいけれど、特に今日は忙しかった。俺は出張から帰りだったので、報告まとめて、定時で帰れそうだたったけれど、だからこそ、ご指名されてしまった。
シングルのまま愛先輩は出産した。誰の子かは聞いていない。仲がいいから、周りからは俺の子供だと思われている気がする。
「子持ちでよければいつでも結婚してあげるからねー」と愛先輩から冗談とも本気とも言えないことをいつも言われている。
愛先輩の子供、桃代ちゃんは俺に懐いてくれている。それはよく三人で出かけるからだ。愛先輩は落ち込んだ俺を慰めようとしてくれるのか、日曜によく誘ってくれて、それはそれで楽しい時間だった。もう恋愛なんてできない気がしてたから愛先輩との結婚を真面目に考え始めていた。会社から歩いて十分弱にある保育園はインターナショナルスクールらしく外国人と日本人の保育士がいる。最初は慣れなかったけれど、何回も代行でお迎えしているうちに慣れてきた。
「ハロー」
「Oh. Hi, Momoyo-, Daddy is comming」と言われるけれど、ダディではないと訂正するのも面倒で、黙って手を振った。
桃代ちゃんは二歳の女の子でしっかりしている。自分で鞄を持って駆け寄ってきた。
「はるー。ありがとー」
「帰ろっか」と言って、手をつないでアトリエまで向かう。
仕事終わったら、愛先輩がそこまで迎えに来てくれるからだ。その前に小さなお姫様と晩御飯を食べる。ファミレスのキッズ用メニューを見て、嬉しそうだった。
「ママはねぇ。連れて来てくれないから、はるだと嬉しい」
「そっかー」
子供の笑顔は幸せな気分にさせられる。
「はるー。結婚しないの? もよと結婚する?」
桃代ちゃんは自分のことを「もよ」と言った。
「うーん。随分先だなぁ」
「いいよ。待っててあげる」
そんなこと言うから可愛くて、笑ってしまう。
「待っててくれるのかぁ。嬉しいね」
「だって、はるのこと好きだもん」
そう言われると心が温かくなった。ファミレスでご飯を食べて、それからデパートに行く。二人で愛先輩へのプレゼントを選ぶ。来週、誕生日だった。赤いスカーフにした。
「はるはママのことも好き?」
「好きだよ」
「もよとどっちが好き?」
「うーん。好きな量かぁ」
真剣なまなざしで桃代ちゃんに見られる。なんだか適当なことや嘘を吐けない気がした。
「二人とも大好きだけどね。もっと好きな人がいたんだ」
「もっと好きな人?」
「だけど…もう会えなくて」
「悲しい?」
「うん。でも悪いのは俺だから」
「はるが悪いの?」
「うん。俺が…」と言うと、桃代ちゃんが手をぎゅっと握り返してくれる。
そしてなんとなくしょぼくれた感じで二人で帰宅する。いつものアパート前までくると人影がいた。それはずっと探していた人だった。アパートの上に月が昇っていて、街灯の灯りが、まるで月明りのように彼女を浮かびあがらせる。夢を見てるようで、女神様ってきっとこんな感じだと思った。
「鈴ちゃん」と呼びかけたけれど、振り向いてくれない。
「だあれ?」と桃代ちゃんが言って、俺は現実に戻った。
俺は二歳児の手を引いて、週末に持って帰るお昼寝布団を反対側の肩にかけ、会社の鞄と愛先輩のプレゼントを手にしている。完全に今のタイミングで再会すると誤解される、と思った。通り過ぎようかと一瞬、迷ったが、桃代ちゃんが俺の手を引いた。
「行こう」
振り返る姿がスローモーションのように見える。
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