第31話

僕の女神様 幸せの時間 


私と悠希君は寝袋に入って、まるで芋虫みたいでお互いに笑っていた。


「だめだ。これだと手も足も出ないー」と悠希君が言うから、私は笑っていたけれど、内心、ドキドキしてしまう。


 もぞもぞと全身で動いて、キスをされた。そのうち、手だけ出して、私の髪を撫でる。


「鈴ちゃん…」


 名前を呼ばれるだけですごく心臓が止まりそうになる。


「はい」


「好きだ」


「私も…」


 悠希君が寝袋からついに出て抱きしめられる。私はそれだけで、もう精いっぱいで、固まってしまった。


 その夜はふわふわしていて、どうしていいのか分からなくて、悠希君の体温と匂いに包まれて、初めて素肌を合わせた。


「大丈夫?」と聞かれたけれど、何が大丈夫で、大丈夫じゃないのか分からなくて首を横に振る。


「悠希君…私…」


「何?」


 正直に、こういうことするのは初めてだと伝えた。


「え? そう…なんだ」


「悠希君はある?」


 気まずそうに頷く。


「だから…分からなくて」


「あ、ごめん」


「あ、そうじゃなくて…。あの…」


「怖い?」


「少し」


 そう言うと、私をぎゅっと抱きしめてくれた。悠希君の匂いは温かい。私はこれだけで満足なんだけれど、きっと男の子の悠希君は違うんだろうな、と思う。


「ごめんね」と言って、悠希君が体を離す。


 途端に淋しさが溢れてくる。


「ちょっと自分で…」と言うから「私が…」と言って、思わず悠希君が驚いた顔をする。


「…あの、未熟ながら私が…」と顔を赤くしながら、私を抱きしめてくれた。


「そんなことしなくても」


「してあげたいです。好きだから」


 悠希君が喜ぶことをしてあげたい、と心から思った。


「その…気持ちで十分だから」と真っ赤な頬に私はキスをして「大丈夫。できます」と言う。


「鈴ちゃん…ありがとう。ゆっくりでいいから」と言って、寝袋に私は入れられて、ファスナーを上げられた。


 その日の夜はとても不思議な時間だった。ただ好きな人を喜ばせてあげたい気持ちと不安と、いろんなものが混ざって、寝袋のせいで永遠に届かない距離を感じる。


 翌日はバイトがあるので、近くのカフェで二人で遅い朝ごはんを食べて、ちょっと美術館に出かけた。何をやっているのか分からないけれど、美術館はその雰囲気が好きなのでたまに出かける。

 手をつないで絵を見るのは初めてで、新鮮な気持ちだった。


「鈴ちゃんの絵もいつか飾られる日が来るよ」


「…そうかな」


「きっと来るから」と悠希君が言ってくれる。


 悠希君はずっと、いつもそう言ってくれていた。

 私はそれが叶わなくても幸せだった。応援してくれる人がいて、それが悠希君だから。二人で繰り返す穏やかな時間は幸せだった。クリスマスにはバイトを休めなかったけれど、その後で二人で旅行も行けたし、ちゃんと私は悠希君を受け入れることができた。そんな時間が幸せ過ぎて、なぜかいつか終わる気がしていた。



 年が明けて、落ち着いた平日のバイト先にあの人が来た。カウンターに座って話しかけてくる。


「連絡待ってたのに」と言われたけれど、連絡する理由がなかった。


 注文された炭酸水と前菜三種盛りを置いた。


「恋人できたので」


「へぇ。あのいい人って言ってた?」


「はい」


「それで収まるんだ。結婚して、子供産んで。絵はいいの?」


「絵は描いてます」と言うと、テーブルのお客様に呼ばれて、ほっとしてカウンターを離れた。


 注文を取って、戻ってきたときにはもういなくて、三種盛りは手つかずでカウンターにあった。


 マスターが「あの人…出禁にしようか?」と怒っていた。


 私は笑いながら「そうしてください」と言った。


 それで気が楽になって、私はうっかりしていた。バイト終わりに待ち伏せされていたことに気が付かなかった。

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