第28話

僕の女神様 個展


 日曜日に駅で待ち合わせた。松永さんは先に着いていて、待ってくれていた。


「ごめん」


「早く来ちゃっただけですから」と遠慮がちに笑う松永さんがちょっと寂しそうに見えた。


 疑問には思ったけれど、何も言えずに個展がれているギャラリーに向かった。ちょっと古い建物で、不思議な雰囲気があった。肌色の壁とアーチのある入り口。木枠の窓がから展示された絵が見える。色鮮やかな青色が溢れている。二人で入ると、お人形のような顔をした女の子が嬉しそうな笑顔で駈け寄ってきた。


「鈴先輩。来てくれてありがとうございます」と松永さんに飛びついた。


「恵梨ちゃん…」と言いながら、笑っている。


「あんまり先輩方は来てくれなくて」と恵梨ちゃんと言われた子は悲しそうな顔を見せる。


「これ、よかったら」と松永さんは小さなお菓子の箱を渡した。


「あ、先輩、よかったら、お茶を入れるので」と言いながら俺の方を見る。


「えっと、高校の頃の同級生で…青葉君です」


「初めまして。ゆっくりしてくださいね」と言って、奥に引っ込んで行った。


「恵梨ちゃん、可愛いでしょ? 絵も素敵で」と言う顔が少し悲しそうに見える。


 今日はどうしたんだろうと思いながら、二人で絵を眺めた。絵は青い海の中にいるクラゲが綺麗な色で描かれている。深海のクラゲや浅瀬のクラゲやいろいろだ。イラストのような絵もあって、人魚姫とクラゲの兵隊がたくさん描かれている。


「本当に才能があって…綺麗な絵…」と松永さんが呟いた。


 才能…かぁ、と思って、卒業アルバムを思い出す。松永さんが書いた絵が表紙になっていた。その絵は学校を描いていたのだけれど、色鮮やかで春夏秋冬すべての季節が混ざっているような色合いで不思議だった。


「松永さんの絵だって…」と俺が言うと「絵を見たことあったっけ?」と言われた。


「卒業アルバムの…表紙だけど」


「あ、あぁ…」とまるで忘れていたかのように言った。


「鈴せんぱーいと…、あ、お友達の方、お茶が入りました」とさっきの恵梨ちゃんが言ってくれる。


 寄ってみると小さなクラゲのクッキーも添えられている。


「これ…恵梨ちゃんが作ったの?」と松永さんが聞くと、頬を膨らませて「恋のライバルが作ってくれたんです」と言う。


「え? 恋のライバル?」と松永さんが聞き返した。


 小さな椅子をすすめられて、三人で座った。画廊は人気が全くなかった。


「はい。私がずーっと片思いしている人がいるんですけど、その人のことを大好きなパティシエールさんがいて、その人が作ってくれたんですけど」と眉間に皺を寄せている。


「ライバルが作ってくれたの?」と不思議そうな顔で松永さんが聞く。


「はい。私の大好きな人が、ライバルに依頼してくれたんです」


「ややこしい」と俺は言ってしまった。


「その人は誰が好きなの?」


「…分かりません」と首を項垂れた。


「でも…あの人は? 学内展に来てくれた…ちょっと年齢が上の」


「あ、あの人です。私の好きな人は」と顔を上げて、松永さんの方に身を乗り出す。


「年の差が…ネックなの?」


「私は全然、気にしてないんですけど、子供の頃からの知り合いだから…お世話はしてくれるんですけど、ちっとも真面目に取り合ってくれないんです。私、そんなに色気がないですか?」と最後は俺に聞かれてしまった。


「え? いや、色気は分からないけど…お人形みたいだなって思った」


「お人形!」と言って難しい顔をする。


「ご、ごめん。なんていうか、ごめん」と謝った。


「いいです。お人形ってことは…色気がないってことですから」

 

「でも恵梨ちゃんはとっても可愛いよ」と松永さんがフォローしてくれる。


「いいんです。私、少しも…相手にされてないんですから」とため息を吐く。


「でも優しいんじゃない? 個展のテーマに沿ったお菓子まで用意してくれて…」


「ライバルに注文しても? ですか? ライバルは美人で大人でお菓子作れて、欠点なんてないんです。は。もしかして私の個展にかこつけて、ライバルにお仕事を与えようとしてるんじゃ…」


 クラゲのアイシングクッキーは困った顔で小さなお皿に乗っている。


「恵梨ちゃん、大丈夫。絵も上手だし、それに可愛いから」


「鈴先輩だって、綺麗だし、絵もうまいですよ。その上、優しいし。私、いつか先輩と一緒に二人展したいです」


「え?」


「先輩の絵が好きだから、先輩が大きな絵を描いて、その前に私がおさかなとかクラゲとか立体を作って、展示したいです」


 驚いた顔で松永さんが恵梨ちゃんを見た。


「私の絵なんて…」


「すごく素敵ですよ? 私、大好き。絵も先輩も」


「あ…りがとう」と涙を零したから、俺も恵梨ちゃんも慌てた。


 恵梨ちゃんはティッシュを差し出したり、俺はおろおろと肩に手を置いて、どうしていいか分からずに口走ってしまった。


「俺も好き…だけど?」


 そして二人から見つめられて、何を発言したのか、ようやく理解した。肩から手を外して、さらに説明を加える。


「絵も…本人も…」


 無言で二人に見られて、何も言えずに笑った。そしたら余計に松永さんを泣かせてしまった。


「あー、ごめん。本当にごめん」


「お友達さん」と小さな声で恵梨ちゃんが言う。


「え?」と言うと、ちょっと立ち上がって、俺の耳元で「きっと、嬉しくて泣いてるんです」と言った。


 丁度その時、男の人が入ってくるとすごい勢いで近づいてきた。


「恵梨?」と言いつつ、俺を見た。


「あ、淳之介君…。来てくれたんだ。えっと…ちょっと奥に来て」と言って、手を引っ張っていった。


「松永さん、ちょっと出ようか」


「ごめんなさい」と俺は一体、何に対して謝られているのだろう、と思ったが、立ち上がった。


「挨拶してから…出ます」と涙をティッシュで拭く。


「うん」と再び着席する。


 気まずさでいっぱいだが、そうしなければいけない、と思って、俺はクラゲのクッキーを食べた。バターの香りがして美味しかった。静かなギャラリーに俺が食べる音が響く。


「美味しいよ。松永さんも食べる?」


 ゆっくりと微笑む姿が本当に綺麗だった。お茶を飲んで、二人で立ち上がると、気を遣って奥に引っ込んでいた二人が出てきた。


「鈴先輩、来てくださってありがとうございます」と丁寧にお辞儀をする。


「恵梨ちゃん、ありがとう。ごめんなさい。泣いちゃって。なんか、すごく嬉しくて」と松永さんが言うと、恵梨ちゃんの顔が明るくなって、また飛びつく。


 そんなに簡単に抱きつける恵梨ちゃんが羨ましい。


「電話して…いいですか?」と恵梨ちゃんが松永さんに言う。


「もちろんです」


 入口の外まで出て来てくれた恵梨ちゃんに俺は例の男の人が今いる人なのか聞いてみた。


「あ、そうです。淳之介君です。暇だってラインしたら来てくれました」


「そっか。頑張って。見込み…あると思うから」


「え?」と驚いたような顔で俺を見た。


 恵梨ちゃんが俺の近くにいた一瞬、嫉妬していたように感じたからだ。


「見込みありですか?」


「ありだよ」


「じゃあ、鈴先輩のお友達も頑張ってくださいね」と逆に応援された。


 曖昧な笑顔を浮かべて、俺は挨拶をした。


「じゃあ、またね」と松永さんが手を振って、歩き出す。


 何も言わずにしばらく歩くと、川沿いに出た。


「あの…さっきは」と俺が言うと、立ち止まって、頭を下げる。


「ごめんなさい」


(あぁ、終わった)


「いや、俺が…変なこと言っただけで…」


 また松永さんを泣かせてしまった。今日はどうしたのか会った時から元気がなかったけれど、それは俺と出かけるのが嫌だったのだろうか、と俺も自分のつま先を見た。


「私は…あの頃の私のままで、青葉君の中にいたい…です」


 その言葉の意味が分からなかった。


 あの時、駅の反対側で見たホームに落ちていく絵具を思い出していた。また俺は届かないのだろうか。


「俺は…」


 伸ばしたかけた手が空を掴んだ時、松永さんがお辞儀をして、走り出してしまった。新調した紺色のカーディガンが風で揺れる。

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