第27話

僕の女神様 慈善事業


 土曜日の昼にその人に会った。約束を破ればよかったのに、と何度も思ったけれど、お店も知ってる人だから迷惑をかけるかもしれない、とのこのこと来てしまった。


「やあ」と言われて、私は曖昧な気持ちで微笑む。


「ご飯行こう」と言われて、当然のように肩に手を置かれた。


 青葉君のオクラホマミキサーとは全然違う。でもどうしていいのか分からなくて、私は速足で歩いた。なるべく速足で。そしたら、手を外してくれた。


「で、どこ行こうとしてたの?」と言われて、私も困った。


「あの…」


 すでに帰りたい気持ちでいっぱいになっていた。この人に会ったところで、私が絵を描き続けられるわけがない。それはイコールじゃないと分かっている。


「とりあえず、ご飯だけ食べよう。お腹空いてるし」とつまらなさそうな顔で言われた。


「ご飯だけ…」


 適当なカフェに入って、ランチを頼んだ。私はグラタンにした。


「機嫌悪いね」


「え?」


「彼氏いるの?」


「いませんけど…。好きな人…」


「へぇ。どんな人?」


「いい人です」と言うと笑われた。


 そして名刺を出す。有名企業の出版社、編集部、ディレクターと肩書があった。


「ひけらかすつもりはないけど…。人脈は多いから。応援できるけど?」


「慈善事業…じゃ…ないのに?」


 軽く笑って、それから、話を変えられた。自分がどんな仕事をしているか、とか、今は違う部署だけど絵本の担当をしていたと話す。


「絵本とか…好きそうだけど?」


 有名作家の名前を挙げられる。それは絵本にしては売れて、ベストセラーになった人だった。


「ずっと前だけど、担当だったから。あの時の彼は割と必死だったからね。もちろん才能もあったし」


(私にも必死になれ…と?)


 熱々のグラタンが目の前に置かれた。


「食べないの?」


「少し冷ましてから…」


 私は目の前の男の人が食べるハンバーグを眺めていた。ひどい人だと思いながら、それに付いてきている私も相当だ、と思った。そうしたらハンバーグを一切れきって、私のパンのお皿に乗せた。


「どうぞ。じっと見られたら食べにくい」


「あ、ごめんなさい」


 食べていいものか悩んだけれど、私はそれを口にして、そしてグラタンも食べ始めた。熱いからゆっくり冷ましながら。目の前の人はずっと自分の仕事の話をしている。どんな本を出したのか、だれは気難しいとか、面白いとか。それを聞きながら、一体、自分が何をしているのかと思うと、悲しくなってきた。


「どうかした?」


「…私、何をしたら絵描きになれると思いますか?」


 突然、言ったから驚かれたようで、よく動く口は止まった。


「それは…」と言って、私が彼の意向に沿うのか、見極めているように見てきた。


 私が面と向かって言うとさすがに下衆なことは口に出せないようで「それは…努力して絵を描くのが第一だと思う」と言う。


「私、今は絵なんて描いてないです。だから…そもそもが…無理なお話なんです」


「…」


「せっかくのご厚意ありがとうございます」と言って、頭を下げた。


 後は黙ってグラタンを食べ続けて、帰ろうと思った。無言で口にスプーンを運ぶ。


「賢い選択だけど…。諦めていいの? 今だから分かるけど、時間はあっと今に過ぎていくよ」


 私は言葉が出なかった。諦めるつもりはないのに、何も動けずにいるのは私自身だった。


「…もっと上手く立ち回ってる子は山ほどいるよ。メディアで騒がれてる子だって」と若手のアーティストの名前を挙げた。


 正直、羨ましいと思わないことはない。でも私にはできないことだった。何かを差し出さないと、何かを成し遂げることができないなんて、と唇を噛んだ。


「好きにしたらいいよ」と言って、名刺を押し出してくる。


 私はとりあえず名刺を無視できずに受け取った。


「いつでも電話してくれていいから」と言って、伝票を持って立ち上がる。


「あ、私の分…」


「それぐらい…無償の…慈善事業だよ」と言って、出て行った。 


 私は一人残されて、本当にばかだなぁ…と思いながら座っていた。土曜の午後の光は温かくて、窓から見える通りの人たちは楽しそうに通り過ぎていく。私はどこにも行けずにずっと動けないままだ。涙も出てこなくて、誰かに思い切り叱って欲しいと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る