第26話
僕の女神様 あめ あめ ふれ ふれ
週末の約束が決まって、俺は最高潮に嬉しかった。日曜日には一人で出かけて、初デートに来て行く服なんか買ったりしてしまった。個展ってどんな感じで行くんだろうか、とか、でもあんまり気合の入った格好も変かなとか、妙に笑顔になる顔を引き締めながら買い物をした。すると聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「そうそう、お姉さんはそんな感じです?」と店員さんと話している。
振り返るとバスケ部のマネージャーをしていた子だった。数回デートしたものの、結局好きになれなくて大学進学とともにフェードアウトした。気まずくて、そっと違う棚に移動した。彼氏と来ているのだろう、試着を終えた男性に「似合ってる」とはしゃいでいた。
(よかった)と正直ほっとした。
幸せでいてくれて、となぜか思った。自分がそんなことを思う資格があるのかは分からないけれど、そう思って、売り場を離れた。
「好きです」と書いたメッセージと一緒にチョコレートをもらった。
どうしていいか、分からなくて、でもあの時はなにもかもどうでもよくて
「友達でよかったら…」と言っていた。
自分でも何言ってるんだろう、と思ったけど、それで、何回かデートした。良く喋る彼女に少々うんざりして、顔を見ていたのを思い出す。たくさん話したのは松永さんも同じなのに、と思いながら、理由が分からなくて、デートの誘いを受けた。その後、受験があるから、と断ったけれど、結局、デートしても好きな人じゃなければ、好きになれないと分かった。
大学になって付き合った女性はとってもいい人だった。お弁当も作ってくれて、手作りのケーキも…本当にいい子だった。結婚したら幸せになるんだろうな、とぼんやり思っていた。
「悠希は私のこと、本当に好き?」
「好きだよ」
「嘘」
そんなことを言われて、突然終わった。
後から聞いたら、俺のことを俺の友人に相談していた。
『悠希は優しいけど…時々、私のことちゃんと見てない気がする』
それは間違いじゃなかった。本当に好きだったけれど、それは余白がどうしてもあった。全身全霊で恋に落ちたという感じじゃなかったから。彼女はそういうのを求めていたんだろうな、と思った。
そして相談していた友人と付き合ったという後日談についても、俺は何も言えなかったし、言える立場でもなかった。
そんな俺だから周りから恋愛に向いてないと言われた。
「人を好きになったことないんだろう」とか「愛してるっていう気持ちが低すぎる」とか。
言われたことは悉く合っている。
それなのに、松永さんに誘われたというだけで、こんなに浮かれている自分をどう理解したらいいのか自分でも分からない。シアターで目が覚めて、二人きりで、松永さんが起こしてくれて、俺は幸せだった。掃除する人の目が多少痛かったけれど、それでもこんなに幸せな気持ちは本当に久しぶりだったから、付き合いたい…彼女が欲しいと思った。できれば、ずっと一緒にいたいと。こんな欲求を自分が持ってることに驚いた。
オクラホマミキサーにかこつけて、彼女に触れたいと思ったことも、本当に自分で信じられないと思った。
本当に不可解だ。
紺色のカーディガンだけ、やっぱり新調しよう、と思って、また店に戻った。もうマネージャーはいなかった。
月曜日に、愛先輩にレストランに付いてきてもらったお礼を言った。
仕事で使うファイルから目を上げて、微笑んだ。
「で、あの後、うまくいったの?」
「あ、半分くらいは…」
「何が? お話できた? 次の予定はある?」と言って、顔を覗き込む。
「…まぁ、何とか」
「次の予定があるなら、押しなさいよー。押して、押して。ああいうタイプはきっと受け入れてくれるから」と変なアドバイスをもらった。
「…そうでしょうか?」
「青葉君にだったら、悪い気はしないわよ」と言って、ファイルを閉じて「頑張って」と言われた。
日曜日までが長い…と月曜日の今日を恨みがましい気分になる。俺はため息を飲み込んで仕事をする。
夕方、愛先輩に頼まれて、取引先に届け物をしようと外出した時だった、急に雨が降り出して困ってしまう。コンビニで傘を買おうかと思っていたら、松永さんが向こうから歩いてきた。
「あ、青葉君。傘持ってないの?」と駆け寄ってくれた。
そして傘を差しだしてくれる。どうやら今からバイトに行くみたいだった。
「時間があったら、お店に来てくれる? お客さんが忘れて取りに来ないビニール傘とかあるから」と言ってくれた。
お店はすぐ近くだったので、ご厚意に甘えることにした。それまでは相合傘になるから、俺が松永さんの綺麗なオレンジ色の傘を持った。
「後で返しに来るから…」と言うと「うん。待ってるね」と言われた。
別に俺のことを待ってるというわけじゃないのに、その言葉がリフレインする。
そういうわけで、無事にお使いができた。傘は帰りに帰すことにしよう。
「雨、大丈夫だった? ごめんね。ありがとう」と愛先輩がねぎらってくれる。
「いや、なんか。雨に感謝…です」と俺は言った。
「は?」
「いえ。仕事します」とデスクに向かった。
『雨が降ったら、いつでもお店に来てください』と言ってくれた松永さんの笑顔が浮かんだ。
雨上がりの歩道は夜の街頭に照らされて、光があちこちににじんでいた。雨上がりの夜は綺麗だな、と思いながら、スキップしそうな足を言い聞かせて歩く。俺が店の外から眺めていると、松永さんがこっちを見て、手招きして微笑んだ。ちょっと恥ずかしいけど、店の中に入って、傘を貸してくれたお礼に買ったシュークリームを渡す。
「そんな…」と驚いたものの、嬉しそうに受け取ってくれた。
「シュークリーム好きって言ってたから」
「え? 覚えててくれたんですか」
そう夏休みに話していた時の内容だ。女の子だから、ショートケーキとか、名前が覚えられそうにない難しいケーキの名前を言うのかと思ったら、シュークリームと言うから、不思議な気持ちで覚えていた。
「そう。忘れてなかった」
「あ…りがとうございます」と俯いた。
「じゃあ、またね」
「はい。雨が降ったら、いつでも傘を借りに来てくださいね」
その夜の景色はいつもより深い藍色で、歩道も空もきらきら輝いていた。
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