第25話
僕の女神 誘惑
キラキラの青葉君の笑顔を見ていると、私は胸が苦しくなった。それでも一緒にいる間だけは、あの頃みたいに私も自分を信じて、希望を持っていた時間に戻りたい。ずっと喋って、青葉君が会社で苦労していることや、大学生活をたくさん聞いた。一か月かけてアメリカ横断した話も楽しかった。テレビの中でしか見たことのないグランドキャニオンもラスベガスも彼が話したら目の前に鮮やかに浮かんできた。
「もう一回、行きたいな」と言うから、思わず「私も」なんて言ってしまった。
「行こう、いつか」
まるで高校生の頃みたいに、夢みたいなことを本気で言う。幸せな時間だった。始発が始まる時間になった。
「帰ろうか」と言うから、ここにいる理由を探したけれど、なくて、私は頷いた。
駅までのわずかな距離を歩いていたら、青葉君が「フォークダンス、覚えてる?」と聞いてきた。
「オクラホマミキサー?」
正直うろ覚えだった。
「踊ってみる?」
まだレモンチェッロの酔いが残ってるのかな、って思ったけれど、私もなんだか踊りたくて「うん」と言った。青葉君が適当にオクラホマミキサーのメロディーを口ずさむ。
(左、左、右、右、一、二、三、四、かかと、くるりん、かかと、そして交代)
ほんの僅かな時間で「久しぶり」って言われたことを思い出す。
交代する相手がいないから、また同じことを繰り返す。
「青葉君…。久しぶりです」と私が言うと、オクラホマミキサーのメロディーがストップした。
「…うん。恥ずかしい」と手で顔を隠す。
「でしょう?」
駅近くまで踊りながら帰った。階段を降りるとき、手をつながれた。青春のやり直しみたい。始発電車は空いていて、私たちは隣に座った。
「楽しかった。お付き合いくださって、ありがとうございます」
「いえ。こちらこそ」と律儀に返事をしてくれた。
電車の中は静かすぎて話しにくい。休日の早朝から働きに出かける人もいるのだろう。眠っている人もいた。
「また…会えたら嬉しい。今度は…松永さんの話を聞きたくて」
「え…」
(私の話なんて…)と思いながら、笑顔でごまかした。
でもやっぱり会いたくてラインをつなげる。おはよう、とスタンプがすぐに送られて来て、私は嬉しくなった。そして私もスタンプとありがとうございますと送った。あの頃みたいにドキドキする。
「松永さん…」
「はい?」
「来週の週末は…」
週末は予定があった。
「日曜…後輩の個展に行こうかと思ってて…」
「あ、そっか」
「でも…よかったら、一緒に行きませんか?」
青葉君はやっぱりきらきらの笑顔を見せてくれた。その笑顔がちょっと胸を刺す。
私は青葉君と別れて、家に戻った。朝早いので、まだ誰も起きていない。そっと鍵を開けて、部屋に戻った。
(どうしよう…。青葉君の前ではあの頃の私でいたい…のに)
家族から「ちゃんと就職したら?」と何度も言われている。私はイラストの仕事が好きではなかった。できるからやっているだけで、依頼された絵を描くのは特に楽しいことでもなかった。好きな絵を描くんじゃなくて「病院で困ってる人を案内する女性」「大安売りしてるスーパー」を誰が見ても心地よいタッチで描いて提出するだけだ。それもデジタルで。
私は油絵を描きたかった。家では匂いがするから辞めてと言われていて、描くこともできない。
アルバイト先のポップを暇なとき描いていると、
「そういう…知り合いも多いから」と最近、イタリアンレストランによく来る男性客に言われた。
(そういう?)
「成功する条件って何か知ってる?」
「才能ですか?」と言うと、その男性は笑った。
「才能? まぁ、あった方がいいけどね。成功するには運なんだ」
「運?」
「そう。才能なんて不確かなもの…特に芸術においてはね。その人に運があるかが大きいんだよ。いろんな人脈に繋がれるか、それだって運だからね」
そう言って、私を御飯に誘ってきた。その話が気になって、私は誘いに乗った。成功が才能とは関係ないと言ってくれたのが、嬉しかった。私には才能がないから、どの賞も取れないと落ち込んでいたからだ。
でも私だってもう高校生じゃないから、彼が下心を持っているのも分かっているし、そういう知り合いにつなげてくれるかは不確定要素だ。不安が膨らむのに、私がそんな誘いに乗ってしまったのは、先月届いた後輩からの個展の案内だった。まだ二回生なのに彼女は個展をするという。
私はまだ一回もしたことがない。個展をするのは貸しギャラリーにお金を払えば誰にだってできる。でも私がしても誰も来てくれない…と思うと、そんな気になれない。彼女は勇気もあるし、それをサポートしてくれる人もいるようだった。恋人なのかよく分からないけれど、随分、年の離れた人と一緒なのをよく見る。学内展を一緒に歩いてるのを見た。
『パトロン?』
『顔がかわいいといいわね』とうらやむ声が聞こえた。
私には二人の関係性が分からないけれど、もしパトロンだったとしても、そこまで覚悟を決めて絵を描く彼女のことはすごいと思った。でもパトロンじゃない気もしている。それは彼女がその男の人を見る目が本当に嬉しそうで、一緒にいるのが幸せそうだから。どっちにしろ、その後輩からの個展の案内状は私の心をざわつかせた。
それで愚かな私はその人と食事に行くことを決めた。
青葉君はとっても眩しくて、苦しくなる。
(もう私はあの頃みたいに…戻れない)
深夜のシアターも、二十四時間営業のマクドナルドも、明け方のオクラホマミキサーもどれも美しい時間だったから、私を苦しくする。
依頼されてたイラストがある…と思いながら、気が付いたら眠っていた。
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