第23話

僕の女神 夏が終わる


 青葉君は上司と仕事の打ち合わせがあると言うけれど、上司は素敵な女性だったし、打ち合わせにわざわざレストランになんて来るはずがない、と私は思って、少し悲しくなった。


「どうぞこちらの席へ」と案内すると、着席するや否や女性の方が微笑みかけてきた。


「彼の同級生だって聞いて」


「あ、そうなんです。高校の頃の…」


「割引券もらったけど、一人で行きづらいっていうから、付き添いで来たの」と言ったら、青葉君が慌てていた。


「一人でおしゃれなお店に来るのって…ちょっと恥ずかくて」


「あ、そんなことないのに…。カウンターもあるので、気楽に来てくださいね」と私は営業トークをした。


 おすすめの前菜と白のスパークリング、そしてパスタを注文してくれた。


「少々お待ちください」と言って、私は注文を受ける。


 青葉君が律儀に割引券を使ってくれるのが嬉しかったけれど、負担に思わせたかもしれないと反省した。わざわざ上司まで誘って来てくれたことが申し訳ない。マスターがドルチェをサービスしてくれると言う。私は二人が楽しそうに会話をしているのを遠くから見ていた。卒業写真という歌が頭の中で流れ出す。あの頃も、今も変わらず遠くの存在、眩しく感じる。


 料理を運ぶたびに一言、二言、会話する、ただそれだけだった。


(今でもあの曲聞いてるかな)と私は思いながら、仕事をした。


 聞きたいことはたくさんあったけど、何一つ聞けないまま、ずっとあの頃と同じで、私は見てるだけだった。


 レジに来てくれる青葉君にもう私は割引券を渡すことはできなかった。


「ありがとうございます」


 女性の方も「美味しかったです」と言って頭を下げてくれた。


 私はドアの外まで出て二人を見送った。その後ろ姿に記憶が蘇る。


 私は大きなキャンバスを抱えて、学校の中庭を移動していた。


「手伝おうか?」と青葉君が声をかけてくれた。


「大丈夫。いつも運んでるから…」と言ったのに、端っこを持ってくれた。


「ありがとう」


 私は久しぶりに喋べれて嬉しかったけれど、すぐに一軍女子が来て「何してるの? ケガしてるのに、そんなことしちゃだめじゃん」と言った。青葉君に言ってるようで、私に言いたかったようだ。


「…怪我? ごめん。知らなくて」


「たいしたことないよ。ちょっと軽く骨折して」


「骨折は軽くないよ。いいよ、私、一人で」とキャンバスを引いた。


「あ」


「ごめん」と謝ったけれど、青葉君は少し痛そうな顔をした。


「もー。バスケ出来なくなったら、どうするの?」とそれも私に言うように言って、そして二人で帰って行った。


 私はその場で二人の後ろ姿を見送った。そのことを今、思い出した。青葉君はそれからしばらくしてクラブを辞めたようだった。ふと思い出した記憶は苦くて、私は胸が詰まって、店に戻る。

 しばらく忙しくしていたら、また店に青葉君が戻ってきた。


「あれ? どうしたの? 忘れ物?」と私が聞くと、首を横に振って「カウンターで…。飲んでみようかなって」と照れたような顔で笑った。


「ぜひ、どうぞ」と私はカウンターに案内した。


「金曜だし、ちょっと遅くなってもいいかなって」


 リモンチェッロというレモンの食後酒があるので、それをおすすめする。


「美味しいけど度数が高いから気を付けてね」と私が言う。


「ほんとだ、美味しい」と青葉君は口をつける。


 カウンターだから気楽に話すことができた。青葉君は大学で経済学部に行って、今は文具のメーカーで営業をしていると教えてくれた。仕事は覚えることがたくさんで、大変だと言いながらも私にはそれすらも眩しく感じる。


「松永さんは? 絵を描いてるの?」


「…うん。絵というかイラスト…。少し。絵はうまい人はたくさんいて…。大学行って、挫折しちゃった」


「え?」


 私は笑ってごまかす。後輩で、ハーフの女の子が入って来た。見た目も可愛いけれど、絵がとってもきれいで、大学に何しに来たのかというくらい既に世界観ができていて、もう何度も個展もしていた。私は何一つ賞を取ることもできずにそのまま卒業してしまった。そんなこと青葉君に知られたくなかった。私はずっと絵を描いているあの頃のままでいたかった。


「そんな簡単にはいかないよね」と青葉君が優しく笑うから、どうしていいか分からない。


「ずっと気になってたんだけど…バスケ辞めたの…私のせい? 怪我したところ…悪くなった?」と聞くと、青葉君はぽかんとした口を開けた。


「え? 松永さんの? どうして?」


「怪我してるの知らなくて…キャンバス運ぶの手伝ってくれたから、それで悪化したのかなって」と言うと、ようやく思い出したように「あぁ」と言って、笑い出す。


「さすがに怪我してない方の手で持ったよ。ごめん。もしかしてずっと気にしてた?」


「あ…。うん。ちょっと」


「大丈夫だよ」と言って、手をひらひらさせて見せてくれた。


 あの時、どうしてクラブを辞めたのか、私は聞けなかった。


「クラブは…ちょっと親がごたごたしてて、結局離婚したんだけど。なんだか、いろいろ辛くて辞めたんだ」と言い出せない私に教えてくれた。


「え? そうだったの?」


「うん。まぁ、今となってはそんなこと気にせず、クラブしててもよかったんだけど、やっぱり辛くて」


 席が離れてから話すこともなかったから、何も知らなかった。


「そっか…。何も知らなかった」


「それより…。後悔してるのは…夏休み…映画行きたかったな」


「え?」


「見たい映画話してたのに。誘えなくて…」と青葉君が言う。


 私は不思議な気持ちで「レイトショーある…けど」と言った。


「金曜だし、行く?」


 眩しい笑顔の青葉君に頷いた。夏が終わる頃に、夏休みの思い出を作る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る