第22話

僕の女神 距離


 松永さんと喋っていたことを同期に見られて、茶化された。でも酔っていたせいか、否定もできなくて、頭がフリーズしてしまった。同期でもう絶対この店に来ないつもりだったけど、レジで割引券をくれた。一人で行ってもいいかな、と割引券を見ながら帰りの電車で葛藤した。


 あの時、駅のホームで絵具を落として…本当は俺が拾ってあげたかった。まるでドラマのように僕は反対側のホームにいて、見ているだけだった。松永さんは黒くて長い髪、ぱっつん前髪が似合う色白の少女で、今もそれは変わっていなかった。驚くほどに。もちろん大人びてはいたけれど。


 毎日、学校へ行って、隣の席でごく当たり前のように話せるのが本当に幸せだったんだな、と今になって思う。


 仕事が始まると、松永さんのことばかり考えているわけにはいかないけど、あの日から松永さんが働いているイタリアンレストランの前を通って帰るのが習慣となった。ガラス越しに働いている姿を見て、それで帰る。もしいなかったら悲しいけど、それでも帰る。勇気を出して中に入ればいいのだけど、入れずに前を通るだけだった。


「青葉君、この資料なんだけど、ナンバリングして、十部、印刷しといて」と愛先輩に言われた。


「はい」と言って、言われた資料を出力する。


「青葉君はちょっとぼんやりしてるけど、何か悩み?」と聞かれた。


「え?」


「今週、心、ここにあらずだから。彼女と別れた?」


「いえ。彼女は…一年くらい…いなくて」と俺は慌てて、印刷されたものをホッチキスで留めていく。


「なにか困ってるんだった、話、聞くよ?」


 愛先輩がそう言ってくれるから、俺は割引券を使うことにした。でもよく考えたら、女性を夕飯に誘うってことは、変な誤解をされないだろうか、と思った時は後の祭りだった。


「…うん。え? 晩御飯?」と少し恥ずかしそうにこっちを見る愛先輩になんだか申し訳ない気がしてきた。


 速攻で「同級生に会いたくて」と言ってしまった。


 固まった愛先輩に深く頭を下げた。


 愛先輩はまとめた資料で軽く俺の頭を叩きつつも「しかたないなー。覗きにつきあってあげましょう」と言ってくれた。


 金曜の夜、俺は昼休み中にお店に開いてるか電話した。


「はい。何名様ですか?」と可愛いらしい声が聞こえた。


 俺は名乗って、先輩と打ち合わせたいから、と言って予約を入れる。松永さんが「お待ちしておりますね。お気をつけてお越しください」と言ってくれた。それで昼からの仕事はものすごくうまくいった。うまくいったというかやる気を持って仕事に向き合えた。何が何でも残業にならないようにとしていたから、愛先輩から笑われた。


「気合入ってるねぇ」


「はい」と言って、もうデスクも完璧に片づけそうになる。


「そういうことすると、急なお仕事が入ったり…ってフラグ立つからやめなさいよ」と笑っていた。


 心配していたフラグも回収されることなく、ちょっとした電話のやり取りがあっただけで、俺と愛先輩はほぼ定時で帰ることになった。予約の時間より早かったので、近くのコーヒーショップに入る。


 カウンター席に並んで座って、距離が近く感じられた。


「その子のこと、聞かせて」と言われたので、恥ずかしながら、青春の一ページを話した。


「えー。伝えなかったんだ」


「できなかったんですよ。プライドっていうか…。そっか。付き合ったんだって思ったら」


「そんなのさー。高校生の恋なんだからどうとでもなったんじゃないの?」


「なりませんよ。高校生だから…特に。駆け引きも…何も…できないまま」


「甘酸っぱいわねぇ」と愛先輩が微笑む。


「だからたまに思い出すくらいで…。それで…」


「目の前に現れたから、どうしようかって? 当たって砕けたら? あの時のこと、後悔してるんでしょ?」


(砕けたくない)と女々しい気持ちが口に出そうになった。


「と、とりあえず友達になれるかなって…」


「あ、そうなんだ」と愛先輩は怖気づいた俺に愛想がついたような顔を見せる。


 その後は仕事の話をして、時間が来たので、緊張を隠せないままイタリアンレストランに向かった。ドキドキして扉を開けると、夢のように松永さんがそこにいた。


「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」


 ドアを押さえて微笑む松永さんは女神様のように思えて、俺は距離を遠く感じた。

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