第20話

僕の女神様 あの日に帰りたい


 今でも思い出す。スローモーションに見えた景色。向かいのホームにいた彼女が持つ絵具の木箱の蓋が開いて、絵具がバラバラと落ちて行った。俺は反対側のホームでその姿を見ていた。横にいる男の先輩が拾い上げてくれていた。


悠希はるきー」とクラスメイトに肩を叩かれていたけれど、俺はなすすべもなく、立ち尽くしていた。


 高一で俺は彼女と同じクラスになった。隣の席になったこともあって、夏休み前はすごくよく話していた。お互いの好きな歌手、映画…。興味持って聞いてくれた彼女は休み時間も席を立たずに話し相手になってくれていた。


 俺に勇気がなかったから、夏休みの間に、彼女は同じ文化部で教室が近い家庭科部の先輩と付き合うようになった。どうやら美術部の彼女にマフィンの差し入れを頻繁にしていたらしい。


 夏休み明け、席替えもあって、俺は現実を知って、呆然とした。


「夏休み、映画行こうよ」と俺が言えてたら、変わってたかな、と何度思ったことだろう。


 そうして俺は高校生活を灰色で終えた。後の二年のことはあまり思い出せない。デートは三回したけど、その子とは好きになれなかった。


 今は社会人一年目で、ようやく試用期間が終わった。今日は同期同士で、無事正社員となったお祝いで飲みに行く。男四人と営業助手の女の子が一人だったが、その子は短大卒なので二歳若い。二歳若いというだけあって、本当に若く感じる。女性一人だから、もちろん俺たちは当然ちやほやする。ちやほやしつつも、それは暗黙のルールでお互いぬけがけなしだという合図だ。


 気楽なイタリアンレストランでまずは正社員になった乾杯をする。


「無事、正社員雇用、おめでとう」と言ってグラスを軽く合わせた。


「いやー、俺の先輩きつくてさ」と同期の雅紀が言う。


 雅紀を指導している先輩は元ラグビー部らしくがたいもでかいが、ルールに厳しい。まぁ、社会人だから当然と言えば、当然なんだけど、と俺はため息をついた。


「なんで、悠希がため息つくんだよー。優しい愛先輩に教えてもらってさー」と雅紀に言われた。


「あ、うん。明日から不安でさ」


「あははは。大丈夫だって。明日だって、まだ新人だから先輩に教わるだろうしさ」と気楽に言う健人がうらやましい。


「私は皆さん親切で楽しいです」とかわいらしい笑顔を振りまく営業事務の陽菜ちゃんが言った。


 そんな話をしながら、食事をして、俺はトイレのために席を立った。


「…青葉君?」


 振り返ると、あの時、届かなかった彼女がいた。

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