第17話

あなたが好き かけがえのない希望


 週末になった。私は淳之介君の子供食堂のお手伝いをする。美湖ちゃんのケーキ屋のまえにテントを張って、光輔君が作るお弁当を並べるのだった。淳之介君はカレーを作っている。美湖ちゃんはバナナパウンドケーキをそのためだけに焼いてくれる。美湖ちゃんと淳之介君が喋っているのを見ると、私より全然お似合いだとは思うけれど、見ていて楽しくない。光輔君のバンに戻った。


「もう運ぶものないっすよ?」と言われた。


「本当に? 追加もない?」


「ないっすね。…ははーん。今は側にいたくないってことっすね」


「う…」


 二人がお菓子を楽しそうにラッピングしてるのを見るのが辛い。私も一緒にすればいいのに、きっと意地悪な気持ちとイジケタ気持ちになってしまう。


「じゃあ、今日は暑いっすし…かき氷サービスでもするっすかね?」と光輔君が言ってくれる。


「かき氷! 嬉しい」と私はその場でジャンプする。


「…うん。見た目とのギャップ、すごいっすね」と言って、バンの助手席を開けてくれる。


 二人でスーパーに出かけた。光輔君がかき氷器を買っている間に私はシロップと氷を買う事にした。売り場が分からなくて、店員さんに声をかける。


「シロップですか? あ…あれ、もしかして、恵梨ちゃん?」と店員さんが言ってくれる。


「あー、佐々木さん」


 佐々木さんは私が昔よくグミを買いに来た時、親切にしてくれた店員さんだった。新商品もわざわざ出してくれたりして、私はすごく好きだった。


「帰ってきたの?」


「はい。高校は日本で通いたくて」と私が言うと、嬉しそうに微笑んでくれる。


「グミは今日はいらないの?」と聞かれたから、私は子供食堂をしていることを説明した。


「素敵ねぇ。もしよかったらスーパーにチラシ置いとけるわよ」と言ってくれた。


「佐々木さんもお弁当買いに来てください。私も作ったんです。別にだれが来てくれてもいいので」


「本当? 終わり次第行くわね」


 そしてシロップ売り場を教えてもらって、私は買い物を済ませた。光輔君と合流してお店に戻る。昼を過ぎていた。今日は暑いので、急遽作られたかき氷売り場は盛況だった。おかげで美湖ちゃんと淳之介君ペアを見ずに済んだ。


「お姉ちゃん」と小さな子から声を掛けられる。


「なぁに? かき氷?」と聞いたけれど、首を横に振る。


 手にした絵本を見せられる。人魚姫だった。そしてページを開いて、人魚姫を指さして「一緒」と言われた。人魚姫と自分が似てるというのだろうか、と聞いてみると頷いた。外国人っぽい見た目だからだろうか。


「あのね。人間の振りしてるから…。内緒だよ」と冗談を言ってみる。


 するとその女の子は目を大きくして、じっと私を見た。


「足、痛くないの? 喋れるの?」と聞いてきた。


「うん。ちっとも痛くないよ。お姫様じゃないから」


「お姫様じゃないの?」


「うん。だから痛くないの」というよく分からない説明をしたのに、女の子は納得したのか安心した。


「ちょっとだけ、パパに会って」


「パパ?」と言う間もなく、私は腕を引かれた。


 そしてすぐ近くで立っていた男性が「智依ちいちゃん」と驚いた顔で声をかける。


「パパ。人魚、人魚さん連れてきた」とその男性に飛びついた。


「あ」と私は頭を下げた。


 すると向こうも丁寧にさげてくれる。嘘をついてしまってどうしようかと焦る。


「智依ちゃん、公園行こうか」


「人魚さんいるよ? ママと同じだよ?」と智依ちゃんと呼ばれる女の子は必死にお父さんの手を引っ張った。


「あの…どうかしたんですか?」と私は声をかけた。


「日本語…喋れるんですね」


「…あ、はい。ハーフです」


「人魚さんじゃないの?」


 私はしゃがんで、智依ちゃんに謝った。人間だと言うと、泣き出してしまったから、私は大変な嘘をついてしまったのだ、と申し訳ない気持ちになる。パパが智依ちゃんを抱き上げて、頭を下げて行こうとするから、私は「お弁当、もっていって下さい」と慌てて言う。そして私はテントに行って、お弁当を二つ袋に入れて、戻った。


「あの…このオムレツだけ私が作ったから…。ごめんね。嘘ついて」


「え? いいんですか?」


「はい。美味しいから食べてください」と私は智依ちゃんのパパに袋を渡す。


「ありがとうございます」


「ごめんなさい。それと…嘘ついて」


「嘘? いいんです。智依が…言ったんでしょうから」


「ごめんなさい」と私は抱っこされている智依ちゃんに謝った。


 智依ちゃんは抱っこされたまま首を横に振る。


「じゃあ…。ありがとうございます。かき氷、列ができてますよ」と言われて、私は慌てて、頭を下げる。


「智依ちゃん、また来てね。かき氷も食べてね」と言うと、顔をパパの胸にうずめた。


 私の冗談が彼女の胸を傷つけてしまった、と悲しくなる。かき氷売り場に戻って、指先が冷たくなっても頑張って、作り続けた。夕方になって、片づけている時に、智依ちゃんがパパと表れた。そして私にオレンジジュースを渡してくれる。


「ごめんなさい」と小さな声で智依ちゃんが言ってくれた。


「え? 私の方こそ…ごめんなさい」


「お弁当美味しかったです。どうしても智依が…会いたいって言って」と智依ちゃんのパパが言ってくれた。


「そうなの? ありがとう」と言って、私は智依ちゃんを抱きしめた。


 小さな智依ちゃんはそれで大泣きしてしまう。


「わ、ごめんなさい」と離すと、智依ちゃんが抱きついてきた。


「ごめんなさああい」


 私が嘘ついたのに、どうして謝るのだろう、と不思議な思いと、切ない気持ちにかられる。


「私も嘘ついてごめんね。ママと同じじゃないの」


「あ、すみません。本当に」と智依ちゃんのパパが謝る。


「ママが人魚姫なんですか?」


「…それは。お恥ずかしながら、幼い頃、妻が家から出ていったものですから…。智依が好きな絵本が人魚姫で、その絵を描いてあげたんです。それをママだと思うようになって…。僕もママは人魚姫だから海に帰ったって…言っちゃって」


 あぁ、そうか。だから私がそうだったら、探してもらおうと思っていたのかもしれない。私のちょっとした冗談が彼女のかけがえのない希望だったんだ、と思って胸が痛んだ。


「ごめんね。智依ちゃん」と私はもう一度謝った。


「本当にご迷惑をおかけしました」と智依ちゃんのパパに謝られる。


「ちょっと待っててください」と言って、私は紙とペンを美湖ちゃんのお店にもらいにいった。


 そして人魚姫と智依ちゃんの絵を描いて、渡す。色は付けないモノクロだったけれど、我ながら上手にできた。その絵を智依ちゃんに渡した。


「人魚姫と智依ちゃん」と言って渡す。


 智依ちゃんの顔が明るくなった。私も子供の頃は現実が嫌な時は妄想をして遊んでいた。妄想の中は自分にとって、都合のいい世界で逃げ場所だ。


「いつか…会わせたいと思ってるんですけど。僕に勇気がなくて」


「…そうですか。私も…親が離婚してるので、気持ちはわかります。でもそのうち、親より自分の世界が広がるから…」と私は言った。


「やっぱりお姉ちゃんは人魚姫なの?」


「うーん。姫ではないよ」と私は言った。


 別に人魚だと思われてもいいけれど、姫ではない気がした。


「また来て良い?」


「来て、来て。週末にやってるから」と私はそっと抱きしめた。


 柔らかくて、少し汗の匂いがする。


「じゃあ…」と私は言って、片づけに戻ることにした。


 光輔君はお店の開店準備があるというので、佐伯さんが手伝いに来てくれた。あまり動かないけれど、重たいものは持ってくれる。


「淳ちゃんのカレーは売り切れた?」と私に聞くので、分からないと答えた。


「あれ? じゃあ、今日は何してたの? べったりくっついてるかと思ったけど」と佐伯さんが私に言う。


「ちゃんと働いてましたー」とかき氷器を見せると、心底驚いた顔をする。


「恵梨ちゃん」と呼ばれて振り返ると、佐々木さんが慌てて来てくれた。


 パートが終わって急いで来てくれたようだった。

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