第16話

あなたが好き 真心こめて


 初バイトの日が来た。朝早く起きて、お店に自転車で向かう。佐伯さんがプレゼントしてくれた。赤い自転車。淳之介君には「行ってきまーす」のメッセージだけ送っておく。すぐに「行ってらっしゃい。気を付けて」と帰ってきた。かわいい元気スタンプを送った。


 お店は素敵なレストランバーで、私一人でお客としてくるのは敷居が高いような内装だった。ダークな色調の店の真ん中に大きな円柱型の水槽が置かれていてクラゲがぷかぷか浮かんでいる。


 初日から結構ハードな仕事だった。


「ニンジンの皮向いてくださいっす」と佐伯さんの店で店長になった光輔こうすけ君にお願いされる。


 ピーラーを持たされたが、今一つやり方が分からない。ニンジンを手にピーラーの歯を当てた。


「やばいっす。それ、手も剥いてしまうっすよ」と言って、まな板に横に置くように言われた。


 そしてそのままピーラーを押し当てて、皮を剥くと言う。すっと綺麗に皮が剥ける。光輔君は丁寧に教えてくれる。キャロットラペがこのお店のこだわりだという。私はニンジンが好きでも嫌いでもないから「ふうん」と言いながら、ひたすら皮を剥いた。その後はスライサーで千切りにしていく。


「光輔君…。ご飯上手に作れるようになるのにどれくらいかかりましたか?」


「えーっと。まだかなぁ」


「え?」


「まだ納得いかないっていうか…。美味しいものって、手軽に作れるけど、もっと美味しいものがあるっすねぇ」


「そしたら、どうしたらいいの?」


「どうしたんっすか?」


「大好きな人に美味しいものを作ってあげたいのに」


「へぇ。恵梨ちゃん、相棒に作ってあげたいんすね」


 光輔君は淳之介君のことを相棒と呼んでいる。週末には二人で子供食堂みたいなものを出している。光輔君はお店の美味しいものをパックにつめて、淳之介君はカレーを作っている。土曜日も仕事のお母さんにとっては大助かりするとのことで、地域の子供が食べに来たりしている。


「じゃあ、大層なものを作らなくてもいいんすよ。心を込めて目玉焼き一つでも焼いたらいいんす。それをパンにのせて、ケチャップとマヨネーズかけて、トースターで焼くだけでごちそうになるっす」


「…うん。やってみる。でも全然、伝わらないの」


「そんなこと、ないんじゃないっすか?」


 手際よく小麦粉を練っている光輔君は私に微笑みかけた。


「恵梨ちゃんが帰って来るの聞いて、嬉しそうだったっす」


「本当?」


「まぁ、相棒もいろんな仕事あるから、忙しいのに、家具を揃えたりしてましたしね。カーテンはどれがいいか、俺にも聞いてきたくらいっすから」


「ふうん。でも淳之介君って誰にでも親切だからなぁ。その一環だったりして」


「まぁ、あの人、そういうところありますよねぇ。俺にも親切にしてくれるっすよ。クラゲくれたり…」


「それは売れ残りでしょ?」


「え? そうなの?」と光輔君が言ってからがっかりした顔をするので私は笑ってしまった。


 そんな話をしていたら、山盛りのニンジンのスライスができた。味付けは光輔君に任せる。光輔君はフォカッチャを作っていた手を止めて、味付けを始めた。手際よく作れる姿はやっぱり素敵に見える。


「おいしくなぁれっておまじないかけるんっすよ」とレーズンを放り込みながら言った。


「それ、効果ある?」


「ありますよ。慌てて作るよりずっと。こうやって、おいしくなぁれ、おいしくなぁれって優しく混ぜ合わせると、なんでも大概上手くいくんっす」と菜箸で大きく混ぜ合わせる。


 しばらくすると佐伯さんがお店に顔を出して来た。


「お疲れ様。二人にドーナツ買ってきたから」


「わーい」と私が喜ぶと、佐伯さんは「本当に恵梨ちゃんは綺麗になったのに、中身が同じで安心する」と言う。


 それがいいことなのか、分からずに私は首を傾げた。


「まぁ、見た目は大人っぽいっすよね」


 ハーフだからちょっと日本人とは違うだけなのに、と私はそういう時、少しだけ淋しい。


「私、淳之介君のために何か美味しいものを作りたい」と佐伯さんにも言う。


「なんでもおいしく食べてくれるんじゃない? 塩おにぎりでも」と佐伯さんが言った。


 そんなわけで、仕込みが終わった私は光輔君にスペイン風オムレツを教えてもらった。具はジャガイモでも玉ねぎでも何でもいい、と言ってくれる。


「弱火でゆっくり焼くときもおいしくなぁれって思って火加減を見たらいいっすからね」


 二人で作ったからうまくできたオムレツをアルミホイルに包んで持って帰る。


「ちょっとずつ練習したら料理もうまく良くし、きっと気持ちも伝わるっすよ」と光輔君に励まされた一日だった。


「ありがとう。頑張るね」と私はスペイン風オムレツをそっと手にして店を出た。



 淳之介君のお仕事が何時に区切りがつくのか分からなくて、私は「ただいまー」とだけメッセージを送っておいた。


「おかえりなさい。お疲れ様」とすぐに返事が来る。


「お腹空いてる?」


「うん。お昼食べ損ねて」と来たから、嬉しくなって私はドアをノックした。


「お帰り」とまた改めて言ってくれる。


「オムレツ…。光輔君と一緒に作ったから…」


「ありがとう。一緒に食べる?」


「うん」とお邪魔する。


 私はオムレツに「おいしくなぁれ」と魔法をかけた。


 お皿に乗せて、電子レンジで温めるだけだけど。レンジの前で呟いていると、淳之介君が笑う。


「ありがとう。きっとおいしいと思うよ」


(届かないけど、あなたを想って作ったオムレツだから)


 電子音が鳴り、温め終了となった。


「じゃあ、次は冷凍ご飯、温めるから」と言って、オムレツを取り出す。


 湯気が上がって、ほかほかになる。淳之介君が温めたご飯で塩おにぎりを作ってくれた。


「おいしくなぁれ」と私と同じように言いながら握る。


「え?」


「こうしたら、美味しくなる気がしたから」と淳之介君も同じことをしてくれたのが嬉しくて、ちょっとだけ涙が出そうになった。


 後はお湯で注げばできる味噌汁と、納豆を添えて、オムレツがメインディッシュだった。サラダはキュウリしかないから、キュウリを切ってくれる。


「オムレツ美味しい」と淳之介君が言う。


「おにぎり美味しい」と私も言った。


 ただの塩しか入っていないのに、淳之介君が握ってくれたおにぎりはとっても美味しかった。やっぱり心を込めて作った料理はおいしく感じられるんだなぁ…と幸せな気持ちに浸っていると、淳之介君もオムレツを食べて、優しく微笑んでいた。

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