第14話

あなたが好き 手品


 私は無理を言って、アパートは淳之介君の隣の部屋を借りた。ちょっと古い建物だけれど、入り口は鉄作のドアがレトロで、中廊下に小さなエレベーターと階段がある。


「お隣同士で嬉しい」とは言ったものの、一人きりは初めてで怖くなった。


 お母さんがいない夜もあるから慣れてはいたけれど、それでもなんだか淋しい。淳之介君がベッドや最低限の家具を用意してくれていた。私は淳之介君側の壁にベッドを置いて欲しいと言うと、一緒に動かしてくれる。


「淋しくなったら、壁をノックしていい?」


「いいよ」と言いながら微笑んでくれる。


 ずっと会いたかった淳之介君は淡々と私の部屋にカーテンをつけてくれた。黄色い花柄で、一気に部屋が明るくなった。


「わぁ。可愛い」


「気に入った? よかった」と言って振り返る。


 私は抱きつきたいのを必死で我慢する。ここが外国なら、感動を全身で表してハグをしても何ら違和感がないのに。でもここは日本。耐えなければいけない、と私は両手をぎゅっと握った。


「タオルはここにあるから」とプラスチックケースに数枚のタオルが用意されていた。


 なんてきめ細かい配慮だろう、と私はまた感動を必死で耐えて、スーツケースを開ける。くたくたになったダンボも無事に日本に連れてこれた。私はそれを抱きしめて、ベッドに置いた。


「本当にくたくた…になってる」と淳之介君がそれを見て言った。


「そうなの。だから、新しい…」


「シーでしか買えないやつだっけ?」とちゃんと覚えていてくれる。


 完璧。パーフェクト。私は両手を再びぎゅっと握りしめる。感動を我慢する日本生活って大変だ。


「さっきからなんで拳握ってるの?」と淳之介君が言う。


(あー。人の気も知らないで)と私はむくれた。


「眠たいの? 疲れたよね」と言って、ベッドに掛布団まで用意してくれて「おやすみ」と部屋から出て行った。


 夕方でもまだ明るい夏の一日。でも確かに長距離の飛行機で疲れて、ファミレスでお腹いっぱいになって、眠たかった。のろのろとシャワーを浴びて、着替える。日本の蒸し暑い夏だからクーラーが気持ちよくて、すぐに眠りについた。


 目が覚めて、真っ暗なので、今が何時だか分からない…。スマホを探して、時間を見ると夜の十時だった。起き上がって、水を飲もうとするけれど、冷蔵庫は空っぽだった。


「お水…」と淳之介君にメッセージを送った。


「起きた? お腹空いてる?」


「うん。そっち行っていい?」と私は玄関を出た。


 すぐに扉が開いて、淳之介君が出てきた。


「恵梨ちゃん、ちょっと」と言って、素早く部屋に入れてくれる。


「喉乾いた…」


「うん。分かった」と言って、コップに水を入れてくれる。


 淳之介君の部屋は綺麗に整えられていて、木製のスピーカーのオーディオがあったりして、男の人の部屋だなっていう雰囲気だった。私はコップを受け取りながら、あたりを見回す。


「恵梨ちゃん、あのね。ここ、日本だからあんまり…開放的な恰好は…」


 私はTシャツとショートパンツで寝ていたのだけれど、それもダメらしい。


「…はい」と言って、俯く。


「お腹空いた?」と言って、カップ麺を見せてくれる。


「わー。食べたかったの」と言うと笑って、お湯を沸かしてくれる。


 まるで手品みたいに私が欲しいものを次から次へと出してくれる。


「淳之介君…ありがとう。大好き」


「どういたしまして。ようこそ日本へ」


 別に日本に来たかったわけじゃない。それはあなたがここにいるから…なのにな、と私は言えずに思って、水を飲んだ。


「お母さんは本当に大丈夫?」


「…うん」


(ママのこと、やっぱり心配だよね。だって…淳之介君はママに腎臓をあげるために結婚しようとまでしたんだから)


「どうした? 淋しくなった?」


「淳之介君…」


「うん?」


 私の気持ちは少しも届かない。どれだけボールのように投げ込んでも、返ってこないし、弾かれることもない。私は黙り込んでカップ麺にお湯が注がれるのを見ていた。


「どうしたら…(好きになってくれるの?)」


 最後の一言は言わずに


「一人で寝られるようになるかな」と言った。


「え?」


「疲れてたから寝れたけど、今からはちょっと」と私が言うと、淳之介君は「寝付くまで側にいようか」と望んでいた言葉が出てきた。


「うん」と控えめに微笑んで、私は自分がちょっと賢くなった気がする。


 何度好きだと言っても一方通行なのはわかってる。でも淳之介君の優しさにちょっと漬け込むずる賢さを覚えるくらい大人になったんだから、と心の中で得意げに私は呟いた。

 それなのにカップラーメンの匂いは私のお腹を鳴らせるから、また淳之介君に笑われてしまった。

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