第11話
Re:女子大生生活のリスタート
それから三年経った。私は一度もこうちゃんに連絡していないし、こうちゃんから電話がくることもなかった。
子供たちは大学生になって、もうお弁当を作らなくてよかった。夫は定年を伸ばすか、他の仕事をするのか考えている。私は趣味でアクセサリーを作る講座に入って、彫金コースに通おうかと考えていて、少し家族から離れて息ができる気がした。
パンフレットや、ネットでいい教室がないかと見ていると、電話が鳴る。こうちゃんと登録している名前が表示されて、スマホを落としそうになった。近くに夫がいる日曜日。子供たちはバイトや、友達と遊びに出かけていなかった。朝からずっとパジャマ姿でスマホをいじっている夫からそっと離れる。
私は「もしもし」と台所に行って電話を受けた。
「佐々木さん」と言う声はアルバイトの富田くんだった。
「どうしたの?」
「父が亡くなりました」
「え?」
「ずっと癌で」
私の体温は消えたように冷たくなる。富田くんが話している声が聞こえるけれど、私は返事もできなかった。ずっと前から具合が悪かったようで、だからアルバイトを辞めて、父親の会社を手伝うことにしたらしい。そして私に連絡するように富田くんに託していたと言った。
「…いつ」
「一月前です。それくらいに連絡するようにって言われて。手紙を預かってます。あのスーパーの近くのコンビニまで来れますか?」
「はい。行けます」と言って、私は電話を切った。
上着を着て、夫に出かけてくる、と言った。
「お昼ご飯は?」と聞かれたので「遅くなるかも…冷凍庫になにかあるから」と私は顔も見ないで外に出た。
自転車を必死に漕いでコンビニに行くと、もう富田くんは待っていてくれた。
「これ」と言って、手紙を渡してくれる。
「ごめんね。…ありがとう」と私は受け取った。
「最後に会わせられなくて…ごめんなさい」とアルバイトの富田くんが謝ってくれた。
私は首を横に振る。
「父が病気の姿を見せたくないって」
「そんな…。お家は大丈夫?」
「まぁ…。母も僕も分かっていたので。仕事も早めに引きついでいたから。あの日、初恋の人だって聞いて、一瞬、パニックになったけど、でも佐々木さんならって思って。それが…父の最後の願いだって分かってたんです」
「え? じゃあ…あの頃はもう…」
「まぁ、五分五分とは言え、かなり難しい状況でした」
「そうだったんですね」
私は何も知らないまま、あの日、こうちゃんと話をしていた。知っていたら、何を言って、何をしただろう。電話をしなかった自分が少し悔やまれた。
「でも、あの日はとっても機嫌よく帰ってきましたよ。何があったのか、聞きませんでしたけど。だから父にとって生きる力になったんだと思って」
私は目に溜まる涙が零れないように、必死だった。
「佐々木さん、ありがとうございます。僕と父に優しくしてくれて」
親子二人で同じことを言う。
「お父さんも…言ってたよ」と私は堪えきれずに手の甲で涙を拭いた。
優しい強さは受け継がれている。私はもう一度ありがとうと言って、頭を下げた。そしてファミレスに向かった。窓際の席に案内されて、手紙を開いた。
「ゆうちゃん
ごめんね。約束、守れなくて。
君はまるで僕の命を助けるためだけに現れたみたいだった。
でもそれ以上に救ってくれてありがとう。あの時、心を許せる友人も少なくて、不安でいっぱいだった。
そんな時に心配してくれるゆうちゃんが表れて、いろいろおせっかい…(二重線ひかれている)お世話を焼いて、親切にしてくれて、温かい気持ちになれたから。
本当に心から君が好きだった。短い間だったけど、幸せだった。
時々、マクドナルドに行って、チキンタツタが復活した時は君のことを思い出した。いい年したおじさんがチキンタツタを注文して、ぼんやり座ったりしてた。君が来てくれるような気がして。
そんなことをしておきながら、願いが叶うなんて思わなかったけど。
五十歳で再会できるなんて思ってもみなかった。
君が息子に親切にしているパートさんだとは思いもしなくて、話は聞いていたけど、そんなこと想像もつかなくて。でもそうだと知ったら、君らしいと思った。
僕にも息子に親切にしてくれてありがとう。
ゆうちゃん。きっと君は幸せになれる人だから。
僕は分かってたけど、君と一緒にいられることを想像したら幸せな気持ちになったから、あんな守れない約束してしまった。
でもこの三年の闘病生活はおかげで乗り切れた。
あの約束のおかげで前向きにいられたから、ありがとう。
また君の不思議な力でどこかの人生で会えるのかな、って思ったら楽しくなってきた。
だからどうか、自分の人生を大切に生きて欲しい。君には笑っていて欲しい。
勇気をくれた君に幸せを願っています。
紘一」
私は手紙を畳んで、窓の外を眺めた。こうちゃんは私に愛をくれた人だ。心のひびに優しい愛を流し込んでくれた。今でも変わらず注いでくれる。
救われたのは私の方だった。五十歳の私を好きになってくれて、愛をくれた人。
「一人になったらいつか一緒に…」なんて叶わないと分かっていてした約束は本当は私のためだ。五十歳の私がしょぼくれていたのに、あんな素敵な約束をしてくれて、おかげで私は毎日をやっていく力をもらえたのだから。
もう二度と会えない。それでも私はこうちゃんがどんな想いで約束してくれたのか、しっかり分かっている。
だからいつか会えることを信じて、その時にはまた約束をしてもらえるような私であるように、頑張ろうと思った。
スマホに夫からの着信。
「あのさ、ごめん。休みの日なのに…。一緒にご飯食べよう?」
そう言われたので、私は自分のいるファミレスの場所を教えた。
「ファミレスでいいの?」
「私、自転車で来たから…」
「分かった。すぐ行くから」
「うん」
できればゆっくり来て欲しい。私は慌てて手紙を鞄の中にしまう。ファンデーションのコンパクトを開けて、ちょっとだけ赤くなっている目を確認した。席を立って、化粧室で化粧直しをする。私も慌てて出てきたから、リップも薬用リップしか塗ってなくて、血色の悪い顔だった。
そう思うと、日曜日にリップを塗ることがあったかな、と思って口紅を乗せる。少しはましになっただろうか。涙の後を消すようにファンデーションを塗ると、さらに肌色が明るくなった。一つ括りをしているゴムを外して、手櫛で整える。来ている服は仕方ない。黒のタートルネックのセーターにジーパンだった。私は席に戻って夫を待った。
どうして電話してきたのだろう、と思いながら外を眺める。
家族の形だって、毎日、毎日少しずつ変化して三十年経ったら、大きく形が違っている。歪んでしまった形だけれど、それは私が作った毎日だ。
「お待たせ。何かあった?」と夫が目の前の席に座った。
「…大切な友達が亡くなったって聞いたから」
「え? そうなんだ」
しばらくメニューに視線を落として、黙り込む。二十数年一緒にいた人、わずかな時間を一緒に過ごした人…私は愛を計れなかった。
「…もう食べた?」と言いながら、メニューを渡してくれる。
「ドリンクバーだけだから…」と二人でブランチを注文する。
顔を突き合わせても話すことのない二人。夫はスマホを手にしようとして、スマホを鞄の中に入れた。
「…それで、大丈夫?」
「私?」
「うん」
「大丈夫よ」と私は頷いた。
「なんか、子供たちも大きくなったし、久しぶりだね」
改めて言われて、私は微笑むしかできなかった。
「仕事も…そろそろ終わりが見えてきてるし、定年したら…一緒にできることをしない?」と夫に言われた。
夫はカフェをしようかと考えていると言う。
「カフェじゃなくても、一緒にできるお店とかしたくて」
目の前にいる人が初めましてのように見える。
「私と?」と思わず聞いてしまった。
「そうだけど? 嫌かな?」
「…驚いた…だけ」
「お弁当もいつも美味しかったから、お弁当屋でもいいし」
「もうお弁当は嫌」と私が本気でうんざりしたような声で言うと、笑った。
「別に食べ物じゃなくてもいいよ。君が作るアクセサリーを売るお店でも」
売り物にする気はなかったから、そんな発想もしなかった。私が躊躇していると、別に何をしてもいいけれど、一緒に小さなお店がしたい、と言った。定年までまだ十年あるからしっかり準備もできるし、と言う。
「どうしてお店?」
「いろいろ考えたんだけど…。また他のところで働くのもいいけど…。同じ時間を過ごしたいなって思って」
「え?」
「子供たちは大きくなって、離れるのは分かる。でも優子と遠くなってる気がして」
夫がそんなことを考えてるなんて思いもしなかった。仕事が忙しいし、大変なのはわかっていた。それでも子供のことも事後報告のようなことになることが多くて、私のことに興味がないんだと思っていた。
「遠かったよ」と私は素直に言った。
「ごめん」
「お店のことは…ゆっくり考えよう」
「うん。一緒に決めよう」
こうちゃんからの手紙を受け取った日にまさか夫からこんな提案をされるなんて思ってもみなかった。
「リスタート…だね」と私は言った。
夫婦として、私として、新しい一日を、今から始めよう。愛する人に誇れる自分になれるように。
~Re:女子大生生活 終わり~
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