第10話

Re:女子大生生活その後


 三十年経っても面影が残っている。アルバイトの富田くんにそっくりだった。こうちゃんはコーデュロイのこげ茶のジャケットに薄ピンクのシャツを着ていた。今も変わらずおしゃれだった。


「お父さんだったの?」


 ぱちんとパズルが嵌った気がした。あの日、樹君が一緒にタイムスリップしていたと思ったけれど、私だけだった。そして富田くんは富田くんのお父さんだった。だからそっくりだったのだ


「え? 樹のこと?」と言って、息子だと教えてくれた。


「夢…かと思って…た」


「夢だったらよかった?」


 こうちゃんは私の目の前にいた。あの頃と同じ柔らかいほほ笑みは目じりに皺を作るようになった。


「追いついた」


「…五十歳」


「うん。僕も」


 私は夢だったと少し安堵して、それでも淋しい気持ちでいたのに。


「やっぱり想像してた通り…、素敵なゆうさんになってた」と言われて、私は慌てて髪の毛を触る。


 パート帰りで最低限の化粧だけで何も着飾ってない。


「あの頃に会っても…、きっと好きになってたよ」と綺麗な嘘をつかれて、恥ずかしくなる。


「ありがとう…。なんか変な感じ。関西弁じゃないから?」


「こっちが長くなったしね」


「そっか」


「ちょっと時間あったら、話したいんだけど」


「うん…」と私は時計を見た。


 アルバイトの富田くんが挨拶を終えたのか戻ってきた。


「あれ? 佐々木さん?」と私に声をかける。


「佐々木さんって言うのか…」


「ほら、親切にしてくれる人がいるって言ってたでしょ?」


「そっか。親切にしてくれてたんだ…」と言って、アルバイトの富田くんにこうちゃんが「私と話があるから、一人で帰って欲しい」と言う。


「え?」と驚くアルバイトの富田くんに「お父さんの初恋の人なんだ。お母さんには内緒な」と言った。 


 私は驚いて、アルバイトの富田くんも驚いて、でも「あ、そうなんだ。すごい偶然なんだね」と言って、去って行った。車の助手席のドアを開けてくれる。座っていいのか困ったけれど、私は座った。


「近くのファミレスでいい? なるべく話す時間取りたいから…。本当はおしゃれな場所でデートとかしたいけど」


「うん」


「…夢が叶ったな」と言うから、驚く。


「どんな夢?」


「助手席にゆうちゃんを乗せる夢」


 あの後、どうなったのか聞いてみた。運転しながら遠くを見るような顔をする。


「すごい地震だった」


「え? 帰って来なかったの?」


 十六日に帰ると私と約束していたのに…。


「うん。親父が具合悪くなって。でも家具の倒れない部屋で二人で寝てたから…。ゆうちゃんが言ってくれてたから、コンビニで山ほど食料買って、薬も買って…。親父もいるし…」


 こうちゃんはそれで命拾いしたけれど、電話はつながらず、私に電話をかけることもできなかったらしい。そしてその地震の中で本当のことだったんだ、と確信したと言う。一週間ほどで大学に戻ってきたけれど、電話をしても「どなたさまですか?」と私に言われたらしい。大学で見かけることもあったけれど、私は変わっていた、と言った。


「五十歳のゆうちゃんが好きだったんだなって自覚したよ」


 若い頃の私…を思い出してみる。若さゆえの思いやりのなさを思い出す。


「近くにいるゆうちゃんを振り向かせればよかった…って何度も後悔したけど、でも…本人なのに違う人がいるようで」


 そしてそのまま卒業したらしい。


「でも…卒業式で着物と袴を着た君を見に行った。可愛かった」


 お正月に着たピンク色の着物にエンジ色の袴だった。それをずっと覚えていてくれた。


「ごめんなさい」


「ほら、また謝る。悪い癖だね」とこうちゃんは言った。


 車は近くのファミレスに入る。私とこうちゃんは窓際に座り、まるで若い頃にデートしていたような気持ちに戻るけど、お互いに時間が経ち過ぎた。こうちゃんも私も捨てられないものがたくさんついていた。

 こうちゃんは司法書士の資格を取って、企業で働いていたが十年前に独立したという。


「それで…富田くんも? アルバイトを辞めて、会社を手伝うって…」


「今から見習いさせとこうと思って…。アルバイトでは息子がお世話になって。…僕にも息子にも優しくしてくれてありがとう。」


「そんな…。私、ほら、お母さん目線で富田くんのこと…。うちにも似たような息子がいるし」と言って、ちょっと恥ずかしくなる。


「立派なお母さんになったんだね」


 首を横に振る。少しも立派じゃない。愚痴ばかり言う、嫌われ者のお母さんだ。それなのに褒めてくれる。その優しさに触れたくなってしまう。両手をぎゅっと握って、私は微笑んだ。


「立派なオカンだよ」


「そっかぁ。そうやな」


 久しぶりに聞くこうちゃんの関西弁は私の心を温かくする。そしてこうちゃんの三十年を聞いた。奥さんの話も聞いた。素敵な女性で、フラワーアレンジメントを趣味でやっているらしい。


「ゆうちゃんの三十年は?」


「私は…働いて、職場の先輩の紹介で知り合った人と結婚して…」と語った。


 お互いの三十年を話すと時間がすぐに消えた。


「じゃあ…」と私はスマホの時計を確認する。


「…ゆうちゃん」


「何?」


「もし先の人生で…一人になったら」


 照れた顔で私を見つめる。


「一緒にいてくれへん?」


「え?」


 私は驚いた顔をしたと思う。


「先って…」


「三十年待ったから…後は誤差みたいなもんやし」


「三…ご…さ」と私はこうちゃんの言っていることを受け止めきれない。


「もしよかったら。一人になったら、連絡して欲しい。ずっと待ってるから」


「え…。でも」


「無理にじゃないよ。もし、一人になったら…でいいから」


 あの時もそうだった。私に無理強いしない。


「番号交換して。たまに会えたらいいし」と言われる。


 私は悩んだけれど、交換した。自分の弱さが嫌になる。でもその時はなぜか交換した方がいい気がした。きっとこの番号を使う事はないけれど、何かお守りになるような気がしたのだ。


「健康に気をつけて、長生きしなきゃね」とこうちゃんが笑う。


 もしそんな未来があったら、いいな、と私は思って一緒に笑った。スーパーに自転車を置いているので、またスーパーに戻ってもらう。


「じゃあ」と私がシートベルトを外そうとしたら、その手を取られてキスをされた。


「約束」とこうちゃんが言うので、私は何も言えないまま頷いた。


「待ってるから。ずっと」


「…うん」とキスされた手をもう一つの手で隠す。


 こうちゃんは私を見て「じゃあ、気を付けて」と言ってくれた。


「ありがと」と何にお礼を言ってるのか分からないまま、車を降りた。


 車の窓が開いて、私が逃げるように走るのを、振り返ると笑顔で見ていてくれた。

 その日、作った肉じゃがは少し甘かった。

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