第8話
Re:女子大生生活予言
私は富田くんと会わなくなり、試験勉強を必死で始めた。記憶が三十年前のテスト範囲なのだ。さっぱり記憶のない科目ばかりだ。ノートを見ながら、図書室で籠っていると、同じクラスメイトが来て
「あんなに毎回出席してるのに、なんで、今更そんなに勉強してんの?」と私のノートを覗き込む。
「あ…ちょっと分からないことだらけで」
「え?」
そう。私はまじめに出席していた。レポートだってきっちり出していた。しかし三十年前の記憶は思い出すというより、勉強しなおす必要がある。まさかこんなトラップがあるとは…、とため息をついた。必死に自分のノートを見ながら、また新しいノートにまとめていた。
「試験、持ち込みできる科目ばっかりだったらいいのに。それか…レポートとかで済んだらいいのにね」と私の目の前に座って言う。
「そしたらありがたい」と心の中で言いながら、何かがひっかかった。
(レポートで済む)
その言葉に何かひっかかった。三十年前…の記憶を辿ると、レポートで済んだ時があった。どうしてだろう。一教科だけじゃなかった。学校全体で…。何か…流行病は最近の話だし…。災害…、災害。私は思い出して、両手で机を叩いて立ち上がる。
「何?」
周囲の人たちに一斉にこっちを見られて、私は気まずかったけれど、それどころではない。慌てて机に広げた勉強道具を鞄に突っ込む。
「どうしたの?」
「レポートで済む」と私は言って、図書室を飛び出した。
一九九五年一月…。阪神淡路大地震が起こった。ちょうどテストの前だったけれど、その影響で試験はほとんどの教科がレポート提出に変更された。実家が巻き込まれた学生、丁度、成人式で地元に帰っていた学生…。私はそれで富田くんが関西に戻るということを聞いていて、慌てた。きっとその日は帰ってくると思うけれど、でも富田くんのご実家も心配だ、と走って、下宿先のマンションまで向かう。
焦って、私はインターフォンを鳴らしたけれど、大学にいるのか、バイトなのか不在だ。しばらく待つべきか、大学に行くべきか、と時計を見る。四時を過ぎていた。大学に戻ろうとした時、肩を叩かれた。
「ゆうちゃん? どうしたん?」
「あ…。富田くん」と言うと、照れたような顔を見せる。
私は「関西に行くって言ってたから…」と言葉を切った。
久しぶりに富田くんの顔を見た気がしたから。
「何? お土産のリクエスト?」
「帰って来て」
「え?」
私はどこまで話せばいいのか、どう話せばいいのか分からない。
「一月十六日には帰って来て」
「何? どうしたん? 時間ある? 部屋で話そうか?」
私の足が震えていたのに気が付いて、そう言ってくれる。信じてくれなくても、私は言おうと決めた。二人で部屋に入ると、慌てて、富田くんはテーブルの上のお皿を流しに置く。
「ごめん。散らかってて。座って」
私はテーブルの前に座って、その上に落ちてるパンくずを眺めた。
「何か、飲む? って言っても、水しかないわ。インスタントのコーヒーでもいい?」と笑って、お湯を沸かし始める。
「…富田くん。ごめん」
「あ、こうちゃんって言って言うたのに」
「あ…。ごめん」
「謝ってばっかりやな。そんな青い顔して、何の用?」
「五十歳…」
「ん? 五十歳? がどうしたん?」
「私、五十歳」
私は頭がおかしいと思われてもいい、と思って、全部話をした。五十歳のおばさんで、結婚して、子供がいること、地震が来るから戻ってきて欲しいということも。富田くんは黙って聞いて、そしてお湯を止めた。インスタントコーヒーを作りながら、砂糖とミルクを聞いてくれる。
「ミルク…って言っても牛乳やけど」と微笑みながら入れてくれた。
変な話をしたと言うのに、態度を変えることなく接してくれて、牛乳入りのコーヒーが置かれた。ローテーブルにL字型に座る。
「じゃあ…ゆうちゃんは未来から来たってこと?」
「うん。中身は五十歳のおばちゃんなの」
「…五十歳の記憶があるってこと?」
「ある。結婚してて、子供がいる…」
「そう…か。だから…だから俺の気持ちに応えられへんって?」
「…うん。…って信じてくれるの?」と私は目を大きく開ける。
真面目な顔して、富田くんは頷いた。
「俺、ずっと考えててん。頬にキスしてくれて…好きって気持ちが伝わったのに、『ごめん』って言われて。でもなんで、あかんのか? 分からんくて。ずっと考えててん。なんか、信じられへん話かもしれんけど、でもすとんと落ちた」
「そう。おばちゃんだから…。富…こうちゃんが眩しくて」
眉間に皺を寄せて、富田くんは難しい顔をする。信じてはくれたけれど、見た目は完全に二十歳の私がおばちゃんだというギャップは簡単に受け付けられないらしい。
「ご飯だって、うまく作れるのは私がおばちゃんだから。だからオカンみたいって…本当にそうなの」
「う…ん? でも…元の場所に帰れるん?」
「それは…」
「帰られへんかったら、どうする?」
「どう…って」と私は困った。
「一生、一人でおるつもり?」
私はゆっくり頷いた。
「じゃあ…。俺と一緒におらへん?」
私は何を言われているんだろうか、と富田くんを見る。
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