第7話

Re:女子大生の初詣


 年明け三日からケーキ屋のバイトはスタートする。新年のあいさつに向かう人の手土産が売れるのだ。クリスマスほどではないけれど、そこそこ忙しい。夕方家に戻った時は疲れていたが、家はまだお正月ムードでお雑煮が出てきた。

 お雑煮の餅と格闘していた時、ピッチが鳴っていた。私は気が付かずにご飯を食べ、お風呂に入って、のんびりテレビを見て、寝るときになって、自分の部屋に戻った。ピッチが光っていたので、見てみると富田くんの家からの着信があった。

 慌ててかけなおす。

 すぐに出てくれた。


「あ、ごめん。かけなおすから」と私の通話料金を気にしてくれる。

 

 ネット回線がないから、ピッチの通話料金もばかにならない。それを気にしてかけなおしてくれるのは本当に親切だ。すぐに電話が切れて、また鳴った。


「ごめん。忙しかった?」と言われる。


 私はバイトに行ってて、疲れてて気が付かなかったと説明した。


「初詣行かへん? 近くでいいねんけど。それでおいしいもん食べて帰ろう」と誘ってくれた。


 たまたま明日、お互いにバイトがないので、昼前に待ち合わせすることにした。また会う約束をすると胸が弾んできた。電話はすぐに切られたけど、最後に

「おやすみなさい」とお互いに言い合ったから、なんだか親密さが増した気がした。


 翌日、私は着物を着たくて、お母さんにお願いをした。


「着物? 優子が?」と驚いていたものの、お母さんのお古の着物を出してくれた。ピンク色の着物に合わせたのは毬の刺繍が施された象げ色の帯。


「寒いから…」と別珍の黒い着物用のショートコートも出してくれた。


「草履は?」と言われたから「それはブーツでいい」と言って、茶色のショートブーツを履いて、クラシックな黒いハンドバックをもって出た。


 こんな格好をするのも何十年ぶりだろう、と自分で思う。自分を着飾ることもしなくなっていたなと思った。子供が生まれてからローヒールのパンプスから、サンダル、スニーカーになった。服も気軽に洗濯できるものが多くなり、どんどんカジュアルになっていった。


 待ち合わせの駅で、富田くんが驚いたような顔をする。


「変…かな」と私が言うと「全然…。驚いただけ。すごく可愛い」と驚きすぎたのか、口調が出会った時のように無理な標準語になっていた。


「よかった」と私は気合入れすぎたかな、とちょっと恥ずかしくなる。


「手、つないでいい?」と一々聞いてくれるのが可愛くて頷いた。


 ずっとこのままでいれたらいいのに、と思いながら、私は歩いた。三が日が過ぎたとはいえ、大きい神社は人通りも多く賑わっていた。屋台もたくさん出ていて、ついきょろきょろと見てしまう。

 二人でお参りをするけれど、私は神様に何を祈っていいのか分からず、隣にいる富田くんがこの先ずっと幸せでいられるように、と願った。私は帰りたいとも帰りたくないとも願えなかった。


 富田くんは優しくて、かわいい人だけれど、やっぱり若い。私は見た目は同じかもしれないけれど、やはり気持ちがついていかない。だから本当は元の場所に戻るしかない、と分かっている。どうしたら戻れるかは分からないけれど、ここにいる自分は間違えてる気がする。


 参拝して、私たちはおみくじを引いた。


「わー。凶やん」と横で富田くんが騒いでる。


「凶なんてあるの?」とのぞき込んだら、頬を寄せられて「ほら」と紙を見せられた時に、顔に息が少しかかった。


 確かに凶と書いてあったけれど、私は息が当たったことに動けなくなる。


「ゆうちゃんは?」と私の紙を見た。


「小吉」


「二人ともぱっとせんなぁ」と言って、笑いながらおみくじを境内の木に括りつけた。


「私も」と言って括り付けようとしたら、「ちょっとごめん」と枝に謝ってから、軽く持って、私が括りやすいようにしてくれる。


 何もかも優しい。そんな優しい気持ちがくすぐったかった。富田くんと一緒に屋台を冷やかしたりして、駅の方まで歩く。


「お腹空いたし、なんか食べよか」と言って、富田くんが私の方を見る。


「そうだね」と私は返事をしながら、富田くんが私を見ていることに気が付いた。


「…凶が出たから、今日は止めとこうかなって思ったけど。あ、なんかダジャレになった。凶がでたから今日はって…」と言って、顔を赤くする。


 私も止めた方がいい、と思ったけれど、それが今日じゃなくても、きっと明日でも、一月後でも…と思った。


「ゆうちゃんのこと…好きになったから」と照れながら、柔らかく言ってくれる。


 本当になんて、素敵な人なんだろう、と心から思う。


「…付き合って欲しい。あ、でも彼氏…とかおる? 先に聞かなあかんかったけど」


 彼氏どころか…、夫、子供までいる。そんなことを言えずに、私はずるくもなれずに、このままずっとここで暮らすことになるかもしれない、と思っても、やっぱり無理だと思う。言葉の代わりに涙が零れた。


「え? ご…ごめん」


 富田くんは慌ててしまう。その彼に何も言えない。言い訳も、説明も何も言えない。言ったところで苦しくなるだけだった。もし私が五十歳で、なぜかここにいると言って、信じてくれる人はいるだろうか。そしてもし信じてくれたとして、結局、富田くんを苦しめるだけだ。


 沈黙が長くは続かなかった。お腹の音が鳴った。それも二人同時で。


「あ」と私が言うと、富田くんは笑い出した。


「お腹空いてたもんな。先、ご飯食べよう」と慌てて、お店を探した。


 どこもいっぱいだったけれど、老舗の洋食屋さんに並んだ。


 そしてその後はおいしい洋食を食べながら、後期試験の話になる。


「成人式の日に実家帰ろうかと思ってて。冬休み帰れんかったから。ゆうちゃんにお土産買ってくる」


「テスト前じゃない?」


「日頃ちゃんとしてるから、いける」と屈託なく笑う。


「すごいなぁ」と私は今、テスト受けて点数を取れるのか、かなり不安だった。


「勉強…一緒にしよか?」


 私も一緒にいたい、と思った。一緒に肩を並べて、勉強…。きっと身にならないけど、ただ近くにいたい。そんな気持ちが久しぶりに感じる。


「…勉強にならないよ。一緒だと」と私が言うと、「そうやな」と淋しそうな笑顔。


 結局、私は誰にも正直になれない。自分にも富田くんにも。


「結構、必死に勉強しないと…。私はヤバいもん」とその場を収める適当な言葉で沈黙を埋める。


 そこからは明るい会話をしていたけれど、私たちはご飯を食べて解散することになった。さっきの告白の返事はしなかったけれど、きっと私の気持ちは伝わっている。地下鉄の切符を買って、改札をくぐると、お互い違うホームになる。行先が分かれる通路で立ち止まる。


「ゆうちゃん…ありがと」と言われてしまった。


 私は言葉を返せずに首を横に振った。年甲斐もなく、恋して楽しかった。でもこれ以上、富田くんを傷つけるわけにはいかない。


(久しぶりに人を好きになった)


 富田くんはちょっと悲しそうに笑う。


(ただそれだけで…)


 私は「ご飯、ちゃんと食べてね」としか言えない。


(優しくて、愛しい時間だった)


「また、オカン発言して」と人差し指で私の頬を押した。


(そんな可愛いことするのも好き)


「だって…好きだから」と言いながら涙を零す。


(ずっと幸せでいて)


 私は無茶なことを祈って、言葉を失ったのは富田くんの方だった。


「ゆうちゃん…」


 涙を拭かずに、近づいて、


「ごめんね」と私は富田くんの頬にキスをした。


 冷たい感触がした。


「バイバイ」と私は分かれる通路の奥へ進んでいく。


 このまま一生、戻れなくても、私は仕方がないと思いながら、歩いて行った。最後にどんな顔をしていたのか私は富田くんの顔を見ることもできずに、振り返ることもできなかった。

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