第24話
諦め
莉里を誘っていったコンサートは人気ピアニストだけあって混雑していた。そのせいにして、座席を探すまで莉里の手を取った。莉里は黙って、手を繋がれて座席まで向かう。緑ちゃんと地下鉄で鉢合って、莉里にマウント取ろうとしてたから、姉だと紹介しておいた。面倒くさいけれど、狭い世界だから円滑にしておかなければならない。仕方なく営業スマイルでくだらない話をし続けた。
それなのに莉里は興味がないように黙っている。
ついでに言うと、ものすごく恰好つけてヘアスタイルはオールバックで決めているのに、少しも動じていない。莉里は可愛いミントグリーンのワンピースを着ている。似合っている。 本当に綺麗だ。それなのに、どうしていらついてしまうんだろう。大体有名ピアニストのコンサートなんてどうでもよかった。でも莉里と出かける口実に、誘っただけだ。
どうにか気を惹きたくて、緑ちゃんを元カノだと言って、うっかり元カレの話を聞いたけど、聞くんじゃなかった。あまり詳しくは話してくれないから、むしろ想像というか妄想が働いて胸の底がぐつぐつしてくる。いい人だったらしいけれど、気持ち悪く感じたと言う。
(いや、何して、そんなことになった?)
具体的に聞けないまま、イライラしてしまう。
そいつは下心があるけど、俺と手を繋いでも大丈夫だろう? と自ら弟ポジション発言をしてしまって、さらに納得したような莉里に激しく後悔する。そのせいで最悪なことを言ってしまった。
「莉里が俺のこと、好きだから」
(何言ってんだ。最悪だ)
そんなことを急に言ったから、言われた莉里は驚いてしどろもどろになる。そしてもう何を言ってもどうにもならないのに
「かわいそう。最初の男がそんなやつで」と口にしてしまった。
莉里の目が大きく開いた。
あぁ、真実だと知った時の俺の落胆ぶりを誰かに笑って欲しかったけど、俺は何喰わぬ顔をして、舞台の方に視線を移す。
有名ピアニストが舞台に上がって演奏しているのに、少しも集中できない。莉里に恋人がいて、もちろんそれなりのことをして…と思うたびに指に力が入る。太ももを何度掴んだことか。ふと横を見ると、莉里の頭がゆっくりと俯き始める。
眠りについた莉里を見ると、俺はさっきまでいらいらしていた気持ちが凪いでいく。クラシック音楽で相変わらず、眠ってしまう莉里は可愛い。
(莉里…ごめん)
その寝顔を見ていると、復讐なんて辞めようと思う。莉里が幸せに過ごせたら、それでいい。俺じゃなくても、もっといい人を見つけて、楽しい人生を送って欲しいと思う。
それがお互いなによりだと思う。
姉弟だし、何かあったら力になれるのだから。
なぜか優しい気持ちになった。
最終部になって曲がテーマに戻ってきたときに、莉里は目を覚ました。そして最後はキチンと拍手をして「とってもよかったね」なんて言うから、微笑ましい。
そして帰りに寄ったブラッスリーで莉里があれこれ聞いてきた。ムール貝とポテトを食べながら、過去の恋愛観を聞かれる。桃花さんのことはなんとなく言えなかったけれど、お気軽に女の子と遊んでいたと、正直に言った。付き合ってきた人数が多いと知ると、莉里は深刻な顔をして性病まで心配してくれる。挙句の果てには泣かせてしまった。
それは俺が遊んでいるから、とかじゃなくて、莉里がそんなに俺のことを心配してると思ってなかった、と言ったからだった。
「本当の姉じゃないって思われてるみたいで」
その言葉は俺の胸を刺した。莉里のテーブルに置かれた手が震えている。その上に手を重ねておいた。
「半分は確実に…本当の。永遠に本当の」
そう口にした俺の声が微かに震えた。莉里の手を握って、俺はその事実を受け入れるしかなかった。何をどうしたって、姉弟は変わらない。血を全部抜いて、入れ替えたところで何も変わらない。
その夜、莉里が俺が他の女性をベッドで抱いたと勘違いして眠れないようで、夜中にこっそりリビングの方に来ていた。マシューが来たのか、その名を呼んだから体を起こす。
窓際に月明りで縁取られた莉里が綺麗だった。黒髪がうっすらと光っている。マシューが横に来てくれて、本当は触れたい莉里に触れられない手でマシューを撫でた。
女性をこの家にあげたことはない。それは桃花さんだってそうだった。特に他の女性は付き合っている中で部屋に荷物を置いたりとマウントを取りたがるから、セックスは相手の家でした。そんなことを言うと、莉里は
「知らない人みたい」と悲しいことを言う。
いっそ知らない人だったらどれだけ良かっただろう、と俺も思って謝った。
重い空気が漂う。どうしようかと思っていると事件が起きる。
莉里がマシューのしっぽを踏んで、ものすごい鳴き声と勢いでマシューが去って行く。コミカルな様子に笑いを必死に堪える。莉里は慌てて謝って、そしてなんとなく立場がない感じでベッドに戻っていった。
それでいろいろお詫びの意味も込めて、早起きして朝ごはんの用意をした。用意と言ってもパンを買ってきて、並べてオレンジジュースをコップに注ぐだけだ。莉里は泣いたり、怒ったりと昨日は大分疲れたのか少しも目を覚まさない。ピアノの練習を始めた。毎日のルーティーンだから特に感情が動くことはない。昨日のピアニストのようにいつか一人で満席になるコンサートが出来たらいいな、と思っている。
着替えた莉里がリビングに来た。
「おはよう」
そう言うと、朝食の心配をしてくれるから、テーブルを指差した。
せめてもの気持ちだと言わんばかりに謝ったが許してくれない。
「次付き合う子はちゃんと大切にしなさい」と言われた。
姉としてのアドバイスだからきちんと聞こうと思った。次付き合う子なんていないけど、と心の中で付け足した。
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