第20話

本物のプロポーズ


 二人でゆっくり話す必要があるだろうからと帰ろうとする。


「じゃあ…俺は…」と言うと桃花さんは「まだバイト代渡してないし…それにプロポーズしてくれたんだから」と元旦那さんの前で言う。


「え?」と言った彼は改めて俺を見た。


 覚悟を決めて


「プロポーズしました」と言った。


「されたの」と得意げに桃花さんが言う。


 元旦那さんは俺たちの顔を交互に見て驚いている。


「…桃花…」


(あぁ、そう呼んでたんだな)と妙にしっくりきた。


「…桃花。ごめん。まさか俺の両親がお金を渡して、離婚するように言ってたなんて知らなかったんだ。だから好きな人ができたって言われて…納得しようとしてたけど…」


 慰謝料は旦那さんの両親からだった。病気になって子供が産めなくなった桃花さんは別れるように彼の両親から言われて、お金を受け取って「自分に好きな人ができたから別れて欲しい」と言ったようだった。それを信じた彼は離婚をしたが、一年後、共通の友人から真相を聞いたらしい。


 その友人は元旦那さんが酷く落ち込んでいた様子を見て、白状したらしい。それを聞いて、慌てて桃花さんの行方を捜したということだった。


「お金…返せないわよ。使っちゃったし」


「そんなことはどうでもいいよ。両親とは縁を切る話をしたし…。でもなんで嘘ついて」


「そうでもしないと優しい智君は…離婚しなかったでしょ?」


 智君は俯いた。


「嘘をつかれたときも、本当は…離婚なんてしたくなかったよ」


 俺はどういうことか把握できた。桃花さんは元旦那さんと離婚するために嘘をついた。元旦那さんも桃花さんもずっと好きだったのに。だから…きっとお互い忘れられなかった。


「ねぇ。これでいいの。私は幸せだったし…。今も楽しく暮らしてる」


「…子どもより君と…」


 ものすごく綺麗な顔で桃花さんが微笑んだ。


 見たことない笑顔だった。


「智君…。大好きだから言うね。あなたが幸せになってくれることが、私の願いだから」


「…彼と一緒になるつもり?」とちらっと俺を見て言った。


 桃花さんは俺には笑顔じゃなかった。


「ごめんね。律君。言ってくれて…本当に嬉しかった。心の底から…本当に。そう言ってくれて元気が出た。…日本に帰国して病院行く」


 俺も智君と同じことを聞いた。今更俺がどうこう言える問題でも間柄でもないけれど、どうしてか口に出していた。そしたら桃花さんがいつも見たいに明るく笑い出す。


「…嫉妬してくれて、嬉しい」


 桃花さんの心はずっと元旦那さんだったんだな、と俺は思った。


 高校の時、図書室で出会った二人。


 勉強を頑張った桃花さん。


 それを見ていた図書委員であろう智君。


 そんな二人が付き合った奇跡――。もともと俺が入る隙間なんてない。


「…桃花が俺の幸せを願ってくれるなら、桃花なしでは無理なんだ」


 それは本当のプロポーズだった。俺のような思い付きなんかじゃなくて。それなのに桃花さんは首を横に振る。頑固なところがある人だからな、と俺は思った。


「桃花さん…。幸せになったらいい。目の前に掴める幸せがあるんだから」と俺は桃花さんの手を取って、智君の手に触れさせた。


「律君…」


「それでちゃんと…病院行って。今よりもっと絵も上手になって…」


「子どもだって、欲しかったら、育てることはできるから」と智君も言う。


 いつもなら茶化す一言を言うのに、何も言わずに涙を流している。


「じゃあ、俺は…もう帰るね。二人で幸せになって」と言って、ドアを開けて「絶対に」と付け加えた。


 二人に届いたかは分からないまま、振り返らずに部屋を出た。



 淋しいとか、悲しいとか、辛いとかの前に一番感じたのは、ほっとしたことだった。桃花さんが本当に愛せる人と一緒に暮らせるのなら、それで良かった。


 確かに俺のは思い付きのプロポーズだった。


 でも桃花さんだったら、と言う気持ちもなかったわけじゃない。だからほっとして、残念な気持ちにもなった。


 踏み込んでくれなかった桃花さんのおかげで俺はすっぱりと諦められたし、ピアノに今以上に邁進することに決めた。それはやっぱり桃花さんの存在のおかげだった。だから、最後はさっと部屋を出た。せめてそれが俺なりの彼女へのお礼になったらいい。


 そしてもう誰とも本気で付き合うのは辞めることも決めた。女の子から告白されても「好きな人がいるから」と断った。ただ「体だけでいいから」と言われたらそれは受け入れさせてもらった。


 彼氏が日本にいるけれど…っていう子も多くて、女の子ってそういうところ、意外と割り切れるんだな、と不思議に思った。


 ふらふらしてるように見えたのか、則子さんには怒られたけれど。


「デートとかする時間はないし、セックスだけって、丁度いい」と言うと、頭を楽譜で叩かれた。


 そうして音楽院を卒業した。卒業試験はプルミエプリという審査員全員一致の一位を頂けて、前途洋々とコンクールや活動を広げていった。


 帰国した桃花さんからは一度も連絡が来なかった。元気なのか、彼とよりを戻したのか、さっぱり分からないままだった。でも連絡が来ないということはきっと良い事なんだろうと思うことにした。


 寄って来る女の子にくぎを刺しながら、体だけの付き合いをしていたら、ある日、莉里からメールが来た。


「りっちゃん。フランス留学するの。部屋を探す間だけ、泊めてくれない? 二三日の間だけ…。お願いします」


 俺は何度もそのメールを読み返した。

 内容を把握して、しばらく部屋の中を歩き回る。

 どうするべきか、悩んだけど、どうしたいのかは分かっている。でも…俺は自分に言い訳をしたかった。


(…あの人に復讐…できる)


 そう黒い理由を言い訳にした。


「莉里ちゃん。今までメール返せなくて、ごめんね。こっちの生活が忙しくて、気が付いたら毎日時間が過ぎてた。ところでパリに来るの? 力になるから、ぜひ家においで」と住所を送った。


 本当に自分が心底ひどいと思った。

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