第14話

人生の意味



 クリスマスカードが莉里から届いた。


「りっちゃん。元気かな。私は来年は受験生だから頑張ろうと思います。


 身体に気を付けて。

 ピアノ頑張ってね。

 きっとパリは寒いだろうからあったかくして過ごしてね。

 

  メリークリスマス。

  そしてあけましておめでとう」




 クリスマス過ぎて、パリの大晦日の夜は大騒ぎだった。人がシャンゼリゼに押しかけてハッピーニューイヤーを祝う。スリも多いから街に出るより、久しぶりに桃花さんの家に行った。


 間が空いていたけど迷惑そうな顔もしなければ、特に喜ばれることもなかった。ただ手土産に持っていった白ワインとローストチキンプレロティを見せると、嬉しそうに笑顔を見せてくれる。


 俺は飲めないから水をもらって、二人でチキンを食べる。


「マスタードいる?」と聞きながら、冷蔵庫から取り出していた。


「引っ越し済んだんだ」


「そっか。だから連絡なかったの?」


「うん。ごめん。忙しくて。二回、引っ越ししたから」


「え? この短期間で二回?」と言って、マスタードをお皿の端に乗せる。


 そしてワインを開けるように、栓抜きとワインを渡される。


「一回目のところがピアノ弾いていいって聞いた物件なのに、住人からクレームがきて」と案外難しいコルク抜きをなんとか頑張って開ける。


 グラスが目の前に差し出されたので、そこに入れた。金色のボルドーの白ワインだ。


「えぇ。大変。二回目のところは大丈夫なの?」


「うん。いい人ばかりで。まぁ、爆音でパーティしている隣の部屋の人もいい人だから」


「そっか。…連絡ないから、ちょっと淋しかった」と桃花さんは目を細めながら、ワインに口をつける。


「え?」


「生活のハリがなかった」と言って笑う。


「はり?」


「そう。お肌のハリと同じ、ハリ」


「…ごめん」


「謝らないの」と頬をつつかれた。


「…来て、良かった?」


「そうよ。もちろん」とチキンをカットし始める。


「全然、嬉しそうに見えなかったから…」


「来てくれて嬉しい。ありがとう」と芝居がかった声で言われて、フォークに差したチキンを口元に差し出される。


 チキンを咀嚼しながら桃花さんを見た。ワインを飲みながら、視線を逸らされる。


「もう来ないのかと思った」


「好きになっていい?」


「やめときなさい」と一瞬だけ見て、また視線を外した。




 二人で屋根裏部屋の窓から外を眺める。


「新しい年…」


「うん。ここに来て一年かぁ…。切り詰めて後一年くらいかなぁ」と桃花さんが言う。


「帰るの?」


「そうね。お金が無くなったら仕方ない」


「…一緒に住む?」


「ハッピーニューイヤージョーク?」


 相変わらず冗談に変える。


「家賃はいらないし。食費だって、作ってくれたら出すよ。家賃払ってるの俺のお金じゃないし」


「ご両親でしょ? それに私にご飯作らすつもり? 美味しくないのに」と笑い出す。


 それは確かに…と思ったが言わなかった。


「父親が俺に出て行って欲しかったから…払ってくれてる」


 初めて話をした。家のことを、莉里のことを、そしてどうしてここに来たのかを。何も言わずに聞いてくれた。


「そっか。…辛かったね」と頭を脇に抱えられた。


 人に言われると、確かに堪えた。涙が零れる。


「こんな小さい子を放り出して」と代わりに怒ってくれたけれど「もう小さくないよ」とそこだけは訂正しておいた。


「うん。もう立派だよね」となぜか桃花さんが泣いた。


 この人は本当に優しい人だな、と思いながら年が変わる夜空を眺める。星がきらきら瞬いていた。


「いつか傷が癒えるまで一緒にいていい?」


「だれの傷?」


「桃花さんの」


「いいよ…。長いかもしれないけど」


「うん。別にいい」


「私ね。本当に幸せだなって思うの。あの人と結婚できたこと、それと…律君に会えたことも」


「…え?」


「生きる意味って考えたことある?」


「生きる意味?」


「私、小学生の頃にどうして生きるんだろうって。自分なりの答えを考えたの。生きる意味が見えないと不安で眠れなかった。だから毎日夜遅くまで考えたの。お金を稼ぐこと? 贅沢すること? そうじゃなくて、なるべく多くの人と会う事。素敵な人と出会えることにしようと決めて、それで安心して寝るようになったの」


「へぇ。それってどれくらいの期間悩んだの?」


「えっとねぇ。二日かな」


「え?」


「割と早く答えが見つかったの。ぽんって。でもそれ以外ないなって。だから、本当に私は幸せなの。だって夫と離婚しなければ律君に会えなかったでしょ?」


「…うん。でも夫さんと仲良く暮らしてた方が良かったんじゃないかな?」


「まぁね。でもそれができないとなったら、仕方ないじゃない」とワインをグラスに注いだ。


「仕方ない…か」


「そう。仕方ないけど、でもまぁ、律君と会えたのはすごいことだなぁって思って。感謝してる。夫にも病気にも」


「なんか変な宗教みたいだな」


「そうかもね」と俺の前髪を手で上げて、額をくっつける。


 まるで何かを読み取るように目を閉じる。


「未来はきっと明るいわよ。その…お姉さんだっけ? お姉さんとは上手くいかなくても。きっといい人と出会えるわ」


「今度は占い師?」


 笑いながら、頷く。


「桃花さん以外で?」


「もちろん、私以外で、よ」


 何度も拒絶されて、でも同時に優しくされて、救われた。そんな優しい時間で、新年を迎えた。確かにここに来たから、桃花さんとも会えたと少しだけ、そう思えた。冷たい深夜の景色を背景に息を重ねた。

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