第13話

ギフト


 ジヴェルニーなんて桃花さんが行こうと言わなければ来ない場所だった。綺麗な庭と画家の可愛い家。緑豊かな場所だけれど、秋だったせいか少し寂しさも感じた。少し遅いランチを食べて、帰ることにする。


駅までのバスを待っていると、桃花さんに感謝された。


「付いてきてくれてありがとう」


「別に…デートだから」


「なんで急にデートなんか言い出したの? 誰かに言われた? 先生とか?」と笑う。


 桃花さんの冗談が当たっていて、何も言えなくなる。


「…当たってる? でもなんにせよ、来れてよかった」


「俺も。思ってたより、気分転換になれた」


「煮詰まってたんだ」


 そうだろうか。よく分からないけれど、そうなのかも知れない。


「あまり思いつめない方がいいわよ。律君はまだ若いんだし」


「…忘れたいんだけどね」


「何を? あ、誰を…か。律君を振るなんてすごい人もいるもんね」


「振られてもないよ」


「じゃあ、どうして。え? まさか人妻?」


 桃花さんはどうしても下世話な想像をしがちだったのは彼女のもともとの気質かもしれない。バスが来たので乗り込む。


「そんな感じ」


 二人で並んで座る。


「え? ほんと? 奪わなかったの?」


「…まぁ、家族もいるし」と半分本当のことを言ってごまかした。


「相手は好きだったのかなぁ。いや、好きになるよね。こんな美少年」


 俺はじっと桃花さんを見た。


「桃花さんはならないじゃん」


「え? ならないように努力してるよ。未来ある若者を困窮させてはいけないし」


「違う。本当に好きな人が忘れられないから」と俺は言った。


「あ、そうかもね。そういうところ、似てるかもね」と言って、桃花さんは頭を肩に乗せてきて、


「お互い、代理ってわけかぁ」と窓の外を眺めた。


 暮れてゆく陽射しは黄色味を帯びている。


「…会えてよかった。私の人生…幸せばっかり」


「…そうかな」


「そうよぅ」と唇を尖らせて言う。


 そして幸せそうに目を閉じた。その向こうに広がる黄色い田園風景を眺めながら、莉里はどうしているかな、と思った。




 音楽院で同じピアノ専攻の則子さんと知り合った。彼女の方が年上で大学二年の時に中退してこっちに来たらしい。きらきらした音が分からなくて、困っていたら、きらきらした音が練習室から聞こえてきて、それが則子さんだった。


「綺麗な音ですね」と言うと驚いたような顔をされた。


「あなた…最年少の…律君?」


「あ、はい。すみません。聞こえてきた音が綺麗で」


「そう言う事…言う人…珍しい」


「そうですか? 本当に素敵だったので」


「ありがとう」と言って、そこから親切にしてくれた。


 音楽科は女子が多いから、やはり同じ留学してきた者同士、集うことも多いらしいが、内心はライバル同士なので難しいことも多いと言っていた。


 ピアノには真面目に取り組んだ。これで食べて行こうと決めていたから、真剣に練習もしたし、伴奏も引き受けたし、室内楽のチャンスがあればなるべく多く参加した。




「リィィィィィツ」と舌を巻きながら先生に言われる。


「はい?」


「どうしてそんなに生き急いでるんだ? 金銭面で早期帰国する予定なのか?」


 それはなかった。帰国なんて永遠に望まれていない。


「いえ。そうじゃなくて。早く…ピアニストになりたくて」と言うと、目を丸くして笑った。


「じゃあ、君は何のためにピアニストになりたいんだ?」


「それは…生きていくためです」


 さらに笑われた。


「職業的なピアニストか…。いいかい? 音楽は神様との対話の手段でもあるんだよ」


「神様?」


「そう。宗教が違えど、この宇宙を作った神様っていうのは存在すると思うんだ。その世界と繋ぐ手段が音楽なんだよ」


 言っていることが難しくて分からないけれど、いろんなことをやり過ぎて手がいっぱいに見られているのかもしれない。


「…はい。でも…」


「いいかい。君は絶対に素敵なピアニストになれる。それを僕は信じてるから。君は自分を信じなさい」


「自分を?」


「自分を信じられないから、そんなにがむしゃらにするんじゃないかな?」


 そう言われて、初めて先生が言っていることが分かった。誰より自信がないのは俺だった。


「…はい。分かりました」


「いいよ。君は本当に何か大きなものを抱えてる気がする。だけど…それも神様からのギフトだからね」


「え?」


「辛いこともギフトなんだ。君がそう受け取らなくてはいけない」


 辛いこともギフトとは到底思えなかった。でも頷いておいた。

 桃花さんの病気もギフトだとはやはり思えないから。


「今は分らなくても、いつか分かる日が来るよ」と気持ちを見透かされていた。



 家探しをしていたせいで桃花さんと会わないまま二週間が過ぎた。家は見つかったけれど、そこはあまり居心地が良くなかった。住人から早速、ピアノの音のクレームが来たから練習がほとんどできなかった。そういう訳で、また部屋探しをすることになる。結局、則子さんの知り合いの日本人でブランドショップに勤めている女性の物件を紹介された。ちょうど、今の入居者が急遽、帰国するというので、一月後に入居できることになった。


 その人は佐久間真理子さんと言う人で、音楽が好きで、音楽家に部屋を貸したいということで、俺が該当した。


「若いのに、よくフランスに来たね」と感心された。


 本当は自発的に来たわけではない。でもここでやっていくしかないという切羽詰まった状況でとても助かった。

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