第48話

愛しているから


 両親が来るまで私はなるべく普段通りを心掛けた。


 律はそれについて何も言わない。私は学校に通って、そしてスーパーに寄って帰る。ちょっと高いバターを買った。その消費期限が少し先になっているのを見て籠にいれる。帰国はしないつもりだ。でも親のお金で留学させてもらっているのだから、そのお金で恋愛も好きに…というわけには行かない。とりあえず引き延ばせたとして、今回登録している分だけは終了させてもらって、その後、パリに戻ってくるなら、自力で…ということになる。就職するのか、どこかの財団の奨学金を探すのか。どっちにしろ、一度帰国すると戻って来るのに時間がかかる。


 その内に律の気が変わるかもしれない。そうだとしたら、私は…どうするのだろうと自問してみる。


 律が私を必要としなくなって、私はまたパリに来きたいと思えるのだろうか、と思った。


 その時、私はパリじゃなくても、ちゃんとフランスの大学を卒業して、翻訳家になりたいというぼんやりしている考えをはっきりさせようと思った。

 例え、律が私のことを好きじゃなくなったとしても、私は律が誇りに思えるような姉になりたかった。だからちゃんと自分の道を歩かなければ、と思った。

 律と一生、一緒にいたいと言う気持ちは両親が受け入れてくれるはずがない。それは自分の力でするべきだと私は思った。

 一時的には帰国することになる。その間にお金を貯めなければ、と思った。奨学金を得るにせよ、私は自活しようと決めた。



 そうして、不安な気持ちを隠したまま両親が来る週末になった。大っぴらにできる話でもないので、律の部屋に集まることになった。私はなるべく一緒に住んでいる痕跡を見せないように、洗面所の歯ブラシやコップ、化粧品を隠す。


「莉里…」と言って、律はそんな私を見て、笑う。


「もうなんで律はそんなに落ち着いてるの?」


「まぁ、何言われても俺は何も変わらないし…。二人が来ないのなら中華街に行きたかったのにな…って」


「中華街⁉」と私は思わず声を上げた。


「一緒にフォー食べるって言って、なかなか行けてないから」


「あ…それは…まぁ、そうだけど」


 どこまでも暢気でいられるのは常日頃舞台にたったりして、度胸が鍛えられているからだろうか、と私は首を傾げる。


「そんなことしてる場合じゃなかった」と私は洗濯物も慌ててお風呂場に持っていった。


「莉里…。数時間後にはばれて、さらにその数時間後には終わってるんだよ」


「え?」


「だから隠さなくてもいいんだよ。俺は殴られる覚悟もしてるし、もう隠す必要がないと思うと気が楽になってる」


「…律」


「ねぇ、もし殴られて、それで話が終わったら、フォー食べに行こう」


 私は呆れてため息をついたけれど、頷いた。殴られるのは困るけれど、フォーを食べに行けるといいな、と思った。

 きっとそれは望み薄いことだけれど。




「もうすぐ着く」と連絡があったので、私は紅茶を用意した。


 アルビンがくれたジンジャークッキーをお皿に並べる。きっと誰も食べないと思うけれど、なんとなくお守りのような気持ちだった。


 電話が鳴って


「下についたのでドア解除の番号を教えて欲しい」と言われたので応える。


「もうすぐ…来る」と私は指が震えた。


「莉里…」と律が言うから顔を上げると、キスをされた。


 もうすぐ両親が来ると言うのに、私は律の胸を押したけれど少しも動かない。


 入り口からエレベーターまですぐだ。


 律の手が私の後頭部を支えて、動けなくする。


 重い気持ちを抱えた両親がエレベータで上がってくる。


 私は目を開けて体を動かそうとしても無理だった。

 

 階に着いたエレベーターの扉が開く。

 

 律の舌を押し戻そうとするけど、さらに深く探られた。


 二人が扉の前に立って、

 今、呼び鈴が鳴った。


 二度目、三度目が鳴って、律はようやく私から離れた。


「律…」と私が息を吐きながら言う。


「出るよ」と律が二人を出迎えた。


 私は慌てて手の甲で口を拭った。

 扉は開けられて、二人が挨拶もなしに入ってくる。


「莉里」と言って、お母さんが私の方に足早に近づいてくる。


 私は反射的に目を瞑った。でも私の前に律が立ってくれた。いつの間にか大きくなっていた背中で私を守ってくれる。


「俺が全て悪いんで…」


 律がそう言うと、お母さんは「どうして…。全部、莉里まで…。あなたたちは…私から…何もかも奪うの」と泣き出した。


 そのお母さんをお父さんは席に座らせ「みんな座って話そう」と言うことになった。


 みんな座ったものの誰も話し出さない。私は意を決して、自分から話すことにした。


「お父さん、私は…ここで勉強を続けたいです。フランス語ももっと勉強して、翻訳家になりたいし…、律を」


 声が震えた。


「愛してるから」


 お母さんが声をあげて泣いて顔を両手で覆った。

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