第20話
ファーストキス
私は律に公園のクレープが食べたいと言って、二人でオペラ通りをルーブル美術館まで歩く。
「シテ島とかにあるかな」
「さぁね。莉里が言ってるのは公園の売店のクレープ?」
「そう。普通におじさんが焼いてくれるやつ」
「最近、見ない気がする…」
「そっか」
「何の味食べるの?」
「スークル シトロン(砂糖とレモンがけ)」
「ふーん」
「律はヌテラ?」
「同じのにする」
「フランスのバターは美味しいから、クレープはシンプルなのが美味しいね」
「今度、モンパルナスに食べに行こうか?」
「うん。行きたい」と私は喜んだ。
「モンサンミシェルもモンパルナス駅から行けるんだよ。いつか行きたいな」
「え? 行きたいの?」
「うん。…なんとなく。行ってみたい」
「律が…教会?」
「教会っていうか、地上から離れて、海の中にあるなんて神秘的な気がするから…」
意外と律はロマンティストだな、と思いながら、
「…観光地って聞いたけど」と律の夢を壊すようなことを言ってしまう。
それなのに律は柔らかく笑った。
「莉里と一緒に…行きたいな」
「…え? 一緒に?」と聞き返すと、少し切なそうな顔をするから私は「うん。行こう」と言う。
私の一言で律の表情が変わることが切なくなる。
「律…。いつか…行こうね」
「ありがとう。莉里。約束だね」
微笑みながら律が私の手を取るから、振りほどけないまま私は歩いた。不思議だけど、律と手を繋いでも少しも気持ち悪さが感じられなかった。
前に律が言っていた下心がないから…なのかもしれない。ただ本当に小さい頃に仲の良い友達と手を繋いだ時のような親密さを感じた。
「莉里、新しくできたいいお店がマレ地区にあるみたいだよ。あ、ガレットとかのコースみたい」とスマホで検索していた律が教えてくれる。
「ちょっとお腹も空いてきたし、そこに行こうか」と私は言う。
「急がないとランチが終わる」と律はタクシーを止めた。
ガレットは美味しかったし、デザートのクレープも満足できた。少し散歩して、マレ地区はゲイの街だと言われているが、昼間も夜も別に治安が悪いわけでも、何でもない。なんならちょっとお洒落な場所で、観光客も多い。でも明らかに通り過ぎる男性が律の方を見て行く。
「律…。恋人の振りして歩こうか?」
「え?」と一瞬、驚いたような顔をして、でもすぐに頷いた。
「律が声をかけられないか心配だし」
「いいアイデアだね」と言って、律が手を腰に回してきたから、一瞬驚いたけど、でも嫌な気持ちにならなかった。
もし誰かに見られても「律のナンパ避け」と言う言い訳が言えると思った。そう考えてから「言い訳」を用意する自分に居心地が悪くなる。
「莉里」と言われて顔を向けると、額にキスされた。
驚きの瞬きをして律を見ると、優しそうな笑顔をされる。愛情を感じてしまう。自分がどうしていいのか分からなくなる。唇が離れているのに、柔らかなな律の唇の感触が残っている。
「恋人でおでこはないんじゃない」と焦って言ってしまってから後悔した。
「え? 莉里、いいの?」
「いい…わけ…ないでしょ」
「元カレと…キスした?」
「…」
無理やりカラオケボックスでされたことは律には言いたくなかった。
「ファーストキスは好きな人としなきゃね」と律に言われた。
「律も好きな人だった?」
「…忘れた」
そう言われて、違和感を覚えた。別れる時にキスされたことを私は思い出した。律が忘れたと言ったキスは私とのキスじゃなかっただろうか。それ以上前は友達すらいなかった律にそんな機会があったとは思えない。
「…律、私、律とキス。ずっと前に…日本でお別れした時…」
思い切って聞いてみた。忘れたと言われたら、私もなかったことにできる気がした。でも答えを待てなくて
「あれって、お別れの挨拶? 欧米ではキスが挨拶ってどこかで知ったの? でも口にしちゃったのは…律が知らなかったから…とか?」と早口でまくし立てる。
私は言いながら耳まで赤くなってしまう。
「初恋」
横にいる律を見ると、腰に当てられた手が離された。顔も逸らされてしまった。
(私が律の初恋?)
あの小さな律が…と私はキスをした時の律を思い出そうとしたけれど、今、大人になって律を目の前にして、リアルに思い出せずにいた。
何か言わなければと思って、
「律が…好きな…人とキスできたんだったら…良かった」と言った。
「ごめん」
向こう向いたまま謝る律がかわいそうになってくる。
「私…悲しかったけど、それは律が一人で遠くに行くからで…」
「莉里が…好きだから…離れた」
その言葉は衝撃だった。
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