第18話 メイクアップ

 母とは二三回食事をして、それ以上は特に何も言われず、私も語学学校が始まるとそれどころではなく、昨夜、無事に日本に帰国した。


 夏は日本人大学生の短期留学が多く、はしゃいだ空気が伝わってきた。語学学校は日本人が経営しているという点でも日本人が多い。

 日本の大学でフランス語学科の助教授をしている人も来ていた。

「正規の学科が始まる前にちょっと慣らしで選択してみたんだ」というかなり年上の男性もいたけれど、ほとんどは若い学生が多かった。

 みんなすごく親切で、私にも声をかけてくれる。

「莉里さーん。お昼食べましょう」

「あ、はい」

 フランス語だから女の子が多い。可愛い服を着て、おしゃれしている女の子たちは本当にお人形のようだった。

 年上の私にもものおじせずに話しかけてくれて、彼女たちといると気分が明るくなる。フランス語では苦戦しているようだけれど、授業が終わると、楽しそうに学校から出ていって、ショッピングしたり観光したりといきいきしている。

 クラスは一緒ではないけれど、午前の授業が終わると、ランチの誘いをしてくれる。喋れる私が通訳者のようになるけれど、勉強のためだからとカフェでの注文はそれぞれが頑張って言っていた。

「…莉里さんはどうしてフランスに来たんですか?」

「それは…大学でフランス語を専攻してて」

「へぇ。私はお母さんがエールフランスで働いてるから」と明るく笑う。

「私は学校でフランス語取ってるよ。第二外国語だけど」と言う子もいた。

 放課後までは一緒にはいないけれど、お昼は誘われて、一緒に過ごした。私は日本でもそんなに人付き合いしなかったけれど、年下のせいか付き合いやすかった。

「莉里さん、綺麗だからお化粧とかしたらいいのに」

「え? これでもしてるんだけど」と私が言うと、みんなが「えー」と驚く。

 それでその日はランチを早々と終えると、教室でメイクをしてもらうことになったのだけど、驚くほど、みんながメイク道具を持ち歩いていた。日本だと、ヘアアイロンも持ち歩いているという子もいた。

 彼女たちにメイクしてもらうと、少しは私もお人形のようになった気がした。

「かわいい」と私が言うと、周りの子たちはさらに喜んでくれた。

「かわいい」

「かわいい」

 若い子のボキャブラリーの無さと言われるけれど、私は「かわいい」という言葉が好きだった。その言葉に含まれる称賛、好意が素直に感じられる。

 彼女たちのおかげで語学学校は楽しく過ごせた。


 私が鼻歌を歌いながら家まで戻ると、ピアノの音がする。律がイタリアから戻って来ていた。

「おかえり」と言いながらリビングに行くと、律がピアノを弾くのを止めた。

「ただいま。おかえり」と言って、律は驚いた顔をした。

「ただいま。イタリアはどうだった?」

「…それより、莉里…化粧してる」

 普段は大したメイクをしていなかったから、律は驚いていた。

「あ、そう。これね。語学学校で一緒になった大学生の女の子がしてくれたの」

「…びっくりした」と心底驚いたような顔をしている。

「そんなに? 変?」

「いや、そうじゃなくて…。可愛いけど…」

 あまり似合わなかったのかな、と少しがっかりした気分になる。

「…やっぱり落ち着かないから…落とそうかな」と私は洗面所に向かおうとして、律に止められた。

「莉里が綺麗なのは分かってたけど…」と言いながら、立ち上がって、私の方に来た。

「綺麗って…」と繰り返して律を見上げると、じっと見つめられて恥ずかしくなる。

「もっと綺麗になったから…また男に声かけられるよ」と言って、顔を逸らした。

「それは分からないけど…」と私の視線も泳ぐ。

 律はもう一度私の顔をまじまじと見て

「でもそのマロン色のアイシャドウは似合ってる。買いに行こうか?」

 褒めてくれるとは思わなかったから、素直に嬉しくなる。

「え? ありがとう。あまりメイク道具持ってなくて」

 そう言うと、律は明日、授業が終わる頃に語学学校まで来てくれると言った。ふと、語学学校の女の子たちは律を見て、きっと黄色い声を上げるだろう。自慢の弟と紹介することになる。それが不思議と億劫に感じていた。

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