第12話
マルシェで立ち話
ピアノの音で目が覚める。
私の可愛かった弟はとんでもない男になっていた。顔が良くて、ピアノが弾けて、女たらしになっていた。そう思うと、あの可愛かった記憶は一体、何だったんだろうとさえ思えてくる。私は白の麻シャツに黒のジャンバースカートに着替える。後ろにリボンが付いているのがお気に入りのポイントだ。このジャンバースカートだけは自分で欲しくて買ったのだった。ショーウィンドウに飾られていたこのスタイルが可愛くてそのまま購入した。
母は私にピンク色とか、レース素材がついたかわいい服を用意してくれていた。別に嫌じゃなかったけれど、まるで母のお人形になった気分だった。
私はそっとリビングに行く。
「おはよう」と律に声を掛けられる。
「律…。おはよう。ご飯は? パン買ってくる?」と聞くと、テーブルを指さされた。
テーブルの上にはクロワッサンやパンオショコラ、オレンジジュースが並んでいる。
「買って来てくれたの?」
「うん。だから…ごめんね」と律に言われた。
「だめ。許さない。次、付き合う子はちゃんと大切にしなさい」と言った。
「分かった。約束する」
「ほんと? でも…それでだって…きっとみんな悲しんでるから…」と私は姉としてお詫びしたい気持ちだった。
そうしないと律がいつか刺されるかもしれない。
そんなことを考えて間もなく、私は律の被害者に会う事になった。緑ちゃんと偶然、マルシェで会ったのだった。美味しそうなはちみつが並んでいたので、一つ買おうか迷っていた時だった。
「お姉さん」
「あ、緑ちゃん」
緑ちゃんは相変わらず可愛くて、私に笑顔を振りまいてくれる。緑ちゃんの隣にいた女の子も綺麗な女の子だった。
「お姉さん?」と隣の女の子が訊く。
「音楽院で一緒の則子さん」と緑ちゃんが紹介してくれて、
「律君のお姉さん」と私のことも紹介してくれた。
「あー、園田君の?」と則子さんも律を知っているようだった。
「お姉さん、私…まだ律君のことが忘れられなくて」
(わー、ごめんなさい)と私は思わず心の中で謝ってしまう。
「ええ?」
どうしようか迷っていると、緑ちゃんの携帯が鳴る。
「あ、ちょっとごめんなさい」と言って、その場を離れた。
私と則子さんが残された。私は小さいはちみつの瓶を買う事にした。
「…それ、美味しいですよ」と則子さんが言ってくれる。
「あ、ありがとうございます」とお礼を言って、お店の人にお金を払って買う。
少し離れたところで電話をしている緑ちゃんを見ながら、則子さんは言った。
「まぁ、そう言って…、あの子も日本に婚約者いますけどね」
「え?」
「緑は日本で有名なホテルの社長の娘で…」
「パリスヒルトンみたいね」と感動して言ってしまった。
「そうなの。だから婚約者は決まってて。最後に遊び程度の留学に来てて…。園田君は丁度よかったんじゃないかな?」
「丁度いい?」
「顔のいい遊び相手として」
「あぁ…。なんか弟がごめんなさい。だらしなくて」と私が謝った。
(後、何人謝らなければいけないだろう)
「だらしない?」と則子さんが聞き返した。
早速頭を下げなければならないようだ、と身を縮こまらせる。
「ええ。たくさんの人と…お付き合いしたって本人が…」
「遊び相手は自分で言ってたんですよ。『好きな人がいるから、遊びでしか付き合えないから、それでよければ』って。だからだらしないとは違うと思いますよ。みんな、分かっててって感じです。ただ緑は…選ばれたかったみたいですけどね」
「選ばれたい?」
「そう。自分だけは違うって。そう思いたかったみたいです。遊びじゃなくて、彼女だって。だから園田君にもそう言わしてましたしね。彼女、ホテルのお嬢さんでしょ? 帰国後の仕事のことも考えたのかもしれませんよね? 演奏の仕事がホテルとかって、いろいろありそうじゃないですか? ピアノだったら」
「…あ。そう…でした…か」
「音楽なんて狭い世界で、ここに来たら、さらに狭い世界で…。でも園田君はきっと抜き出ると思いますよ。この狭い世界から抜き出たら、少し広い世界があるんです」
言ってることがよく分からなかったけれど、律は律なりに頑張っているんだ、となんとなく伝わった。彼女は則子さんと言って、ピアノ科から転科してコントラバスをしていると言う。
「お姉さん…。園田君のこと、支えてあげてくださいね。私、彼のこと、嫌いじゃないですよ」
「…ありがとうございます」
私は律が刺されることがなさそうで、安堵のため息をついた。
「何人くらい…お付き合いされてたんでしょうか?」と聞くと、則子さんは笑いだした。
「両手は超えてましたね」
「えぇ」と驚くと
「割と…淋しくなっちゃう子が多いみたいで」
「え。でも…」
「冬は特に。夜が長いから」と則子さんが言う。
今は明るい時間が長いから、言われても今一つ分からなかった。
「…でも、みんな、素敵だったって言ってましたよ」
聞いている私が恥ずかしくなってしまう。
「もしかして…則子さんも?」
「まさか。私は…パートナーもいるし」
長い電話を終えた緑ちゃんは気まずそうに戻って来た。婚約者からだったのだろうか。
「えっと、夏休みはあの…フランスから離れるので。両親と…知り合いがこっちに来て、ドイツとか」と聞いてもいないことを話す。
きっと婚約者と旅行するのだろうと則子さんと目が合った。
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