第5話

私の部屋


 ポテトは油分と炭水化物の配合が人間が美味しく感じる割合だと何かで言っていた。そのポテトを見ながら、私は律の答えを探した。


「いくつか…あって」


 ミーハーな気持ちでフランスが好きだということ。家にいたくないと思ったこと。それから…と私はちょっと言うのをためらった。


「律が…どんな暮らししてるのかなって」


 そう言うと、律は私から視線を逸らした。


「…心配してくれたんだ」


「心配もあるし…。パリで暮らしてる音楽家の生活だって興味あったし」


「そっち?」と少し笑った。


 私はちょっと安心して「そうよ」と返した。


「やっぱり莉里は変わってない。単純で、親切」


 そう言われて、私はずっと言いたかったことを言うことにした。


「あの…ごめんね。律が…本当はここに来なくてもよかったのに。ピアノだって…日本でもできたのに」


「え?」


「私にもっと力があれば、よかったのに。そしたら、もっと居心地よく暮らせたと思うんだけど」


「…それはさ、莉里の勘違いだよ。ここに来てよかったと思ってるから」


 そう言われると、なんだかそれはそれで悲しくなった。私は三年間だけど、律がいてくれた時間は楽しかったから。でも律が出て行ったのも分かる。

 律の母親がピアニストだったせいか、律がピアノを練習するのが私の母が嫌がったからだ。だから気を遣って、母親がいない時に練習していたけれど、それでは足りなかったのだろう。でも私は練習できない律とたくさん時間を過ごせた。二人で映画を見たり、散歩したり…それがすごく楽しかった。父も母もお互いに無関心だったから、律のことは唯一の心通わせれる相手だと思っていた。


 ある日、律のピアノの先生が来て「フランスの知人の先生に預けませんか?」と父親に言ったのだった。


 この時ばかりは両親の意見は合った。そして律もフランス行を望んだ。私一人だけ反対だった。もちろん声には出せなかったけれど。           



「莉里、ここから通いなよ。部屋は時間かけて探したほうがいいよ」


「え?」


 突然、律にそう言われた。律曰く、ピアノをするから部屋探しは大変だったと言った。アパートのオーナーは一部屋一部屋違っていて、貸してくれるオーナーが楽器OKと言っても、周りの住人から「音がうるさい」と苦情が来て、ある日、「法的に訴える」という手紙が入っていたこともあったという。


「今の部屋はみんな親切だし、すごくありがたいんだよ。場所によっては夜はトイレを流してはいけないっていうところもあるらしいし」


「えー」と私は思わず声を上げた。


「それに女性一人暮らしもちょっと不安だしね」


「そう言えば…ナンパされた」


「アジア人女性は人気だから」


「え? そうなの?」


 私は律の言うソファが本当にベッドになるか確かめてから決めることにした。


「ソファで寝るからね」


「どっちでもいいのに」


「律…ちっちゃくならない?」


「へ?」


 本当にかわいかったなぁ、と私は記憶の弟の姿を思い出す。


「…莉里さ。俺も一応男だよ?」


「…俺って言うんだ」


「うん。あの頃から大分、成長したからね」


 なんだか自分だけ変わっていない気がした。


「でも律はかわいい弟だから」と私は言った。


 世界でたった一人のかわいい弟を私は救ってあげられなかった。それが胸の奥でずっとチクチク私を刺していた。


 食事を終えて、アパートに戻る。ソファベッドは思いがけない形でベッドになった。


「ほら、ベッドになったし、すぐにソファになる」とガタンと音を立てて、ソファの形になった。


「寝心地もいいよ」と言うので、私も寝っ転がる。


 律の匂いがした。


「あ、うん。寝心地もいいみたい」


「俺、こっち使っていい? ピアノ弾きたいから」


「そっか。じゃあ、ベッド借りるね。…でもいいの?」


「いいよ。さっさと銀行口座開設しなよ?」


「…ありがとう」


 そんなわけでベッドルームが私の部屋になった。

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