第21話

強硬突破


 今日はコトちゃんの小学校の卒業式だった。卒業式には元奥さんと、川上さんが出席した。そして私は就職せずに研究科に進んだ。川上さんの配慮で充分な通えるようにしてくれた。夏樹も帰国後、大学に復学して、他の大学院を受験すると言っていた。


 夜には中崎家で卒業お祝い会をするというので、私も招待されている。




「聖」と夏樹が私を呼ぶ。


「なに?」


「チャーハンとエビチリの組み合わせ、聖に言われてからおいしさに気が付いたよ」


「はいはい」と私はまだ時々、中華屋にもバイトに行っている。


 昼過ぎの忙しさから解放された時間にふらっと顔を見せに夏樹が来た。


「…聖、本当に結婚するの?」


「するよ」


「…本当に後悔してない?」


「してない。…っていうか、私でいいのかなって思ってる」


 夏樹は少しだけ眉根を寄せた。


「自分からわざわざ苦労なんて…選択しなくたって、苦労は呼ばなくても向こうからやってくるのに」


「苦労なんて思ってないよ。コトちゃんのお母さんになれるの、すごく嬉しいんだから」


「いや、あの子はいい子だし、可愛いけど…。でも相手と…年の差あるし…」


「うん。でも…そんなに気にならないし。尊敬できるし、意外と可愛いところもある」


「のろけを聞かされるとは思ってなかったな。でもさ。まぁ、愚痴とかあったら聞くから」


「それは頼もしい」と言って、私は水のお代わりを淹れる。


「くそお。留学なんかするんじゃなかった」


「あんたの留学と関係ないのに? っていうか、留学中に彼女いたでしょ? それに今もいいお付き合いしてる人いるって聞いたけど?」


「そうだよ。ばーか。今更惜しがっても仕方ないからな」と拗ねられる。


「夏樹はいい男だから、きっと彼女は幸せだよ」


「え?」


「馬鹿だけど」


「なんだ、それ」


「だからさ、期間限定友達もそろそろ期間満了じゃない?」と私は言った。


「なんで?」


「…お互いのパートナーの気持ち考えて、そうしよう」


 そう言ったら、夏樹は少し笑った。


「お前のそう言うところ、いいな」


 言ってる意味が分からないけど、私も笑っておいた。


「サービスで餃子つけようか?」と聞くと「せめてマンゴープリンにして」と答える。


「そんなおしゃれなものあったかな」と私は店主に杏仁豆腐をもらって、夏樹に渡す。


「今までありがとね」


「おう」


 杏仁豆腐は白くてテーブルの上で少し震えていた。




 私は川上さんの家での仕事をしながら、晩御飯も作った。コトちゃんと一緒に晩御飯を食べれるのが嬉しかったという理由もある。たまに川上さんが昼も家にいる時はお昼ごはんも用意する。そうして暮らすように過ごしていた時、私は川上さんの人柄にも触れていき、いきなり初対面の人にインターフォンをつけてくれるような親切な人だった彼を一人の男性として見ていた。時間がどれほど経っても、彼は紳士的にいつも感謝の言葉を言ってくれて、夜も必ず送ってくれる。そして毎回、何事もなく一日が終わっていった。私はコトちゃんが好きなだけの無害な人間として扱われていた。


 でも初めてだった。この人なら、と思ったのは。私はそう思ったらもう気になって仕方なくなって、思い余って十子さんに相談した。




 私の屈折した思いをぶちまけると少しも嫌な顔せず、十子さんはくすくす笑って


「聖さんだったら、きっとうまくいくと思いますよ」と言ってくれた。


「でも…私、全然、女らしくないし、喫煙者だし…。それに…子供みたいだし…。全然つり合い取れないと思うんです」


「つり合い? それは私のところもそうですけど。お互い一緒にいて居心地よかったらいいんじゃないですか?」


「居心地? もしかして我慢してるのかも」


「してないと思いますけど…。本人に聞いてみたら、どうですか?」


「え? 聞いてもいいと思いますか? 私が? 迷惑じゃないですか」


「…聖さんから言われたら嬉しいんじゃないですか?」とずっとにこにこ笑いながら言ってくれる。


「お世辞じゃなくて?」


「お世辞じゃありません」


「この服装で? 変えた方がいいですか?」


「どっちでもいいと思いますけど、聖さんが勇気持てる服を着たらいいと思います」


「あー、じゃあ、服、買うので付き合ってください」


 この件に関してかなり十子さんに迷惑をかけた。少しも嫌な顔をしなかった十子さんを見て、私も誰かに親切にできる人間になろう、と誓う。


 そして十子さんが言っていた、ふわゆるヘアを伝授してもらったりして、私は玉砕覚悟で川上さんに聞いた。


 いつものように晩御飯を用意し、コトちゃんに「今日、聖ちゃん綺麗」と言われて、何とか勇気をもらうけど、全く味がしそうにない。白いワンピースを似合わないかと思ったけど、顔色が明るく見えるからと着て来て、ハンバーグにケッチャプをかけようとして、出口が固まっていたらしく思い切り自分の服を汚した。それに青ざめたのは川上さんだった。


「それ、新しい服ですよね?」


「…はい。あの…」


「コト、タオル取って来て」と言うと、川上さんは布巾をキッチンで濡らしている。


 コトちゃんに渡されたタオルを拭くの内側にいれるように言われて、私は自分でタオルを内側に入れる。


「それでこの濡れた布巾で上からトントンと叩いて落としてください」


 言われた通りに上から布巾で汚れを叩くと、ケチャップが薄まって、広がっていく。


「あの…」


「落ちるかな」と私より焦っている。


「再婚されないんですか?」


 川上さんが理解できないのか固まっている。


「再婚されるんだったら…私、邪魔かなって」


 私も布巾を持つ手が止まっている。


「邪魔なんて…よく…して…もらって…。あ、でも…聖さんの方が…こんな子持ちの家にいると誤解されますよね。ケチャップ、落ちそうですか?」


 シミは薄く広がっている。


「布巾、替えてきます」と言うので、私は慌てて首を横に振って、違う箇所で叩く。


「私、お邪魔じゃないですか?」ともう一度大きな声で訊く。


「全然。感謝しかないです」


「じゃあ…。ずっといていいですか?」


「もちろんです」と言って、また川上さんは布巾を濡らそうと私からそれを取ろうとするから、震える手でその手に触れた。


「百歳まで…」


「…え? 百歳?」


 百歳以上もあるかも? と思い浮かんで勢いよく続ける。


「生きられたら、生きられるまで」


 言ってしまったら、なぜかほっとした。


「わー。パパ良かったね」とコトちゃんが喜んでパパに抱き着く。


 布巾が手からすべり落ちて、私のスカートを冷やした。




 それでもすぐに返事をもらえなくて、きっかり一週間、保留にされた。それは私のことを本当に考えるために必要な時間だったみたいだ。自分の事業の見直しや、ファイナンシャルプランナーのところ、人間ドックまで受けていたらしい。


 その上で私が本当に嫌じゃないのか、と聞いてくれた。


 こんなに長い時間を一緒にいて、嫌になるなら、もうとっくに嫌になっているはずだ、とロマンティックな回答ができない私らしくそう言った。


 そして私とは全然違う川上さんはその場でロマンティックなプロポーズをしてくれて、コトちゃんが小学校を卒業した後に籍を入れることになった。




 卒業お祝い会では川上さんは仕事でこれなかったけれど、中崎家で賑やかに過ごせた。


「えー、聖ちゃんがコトちゃんのママになるの?」と驚いたように光君が言った。


 コトちゃんは嬉しそうに私の腕にひっついて「そうだよ。いいでしょ?」と自慢する。


 イケメン双子は背が伸びて、王道イケメン路線をそのまま進んでいる。


「よかったね」と灯君が言った。


「え?」


「だって、コトちゃんのこと、本当に大好きで、大事にしたかったんだから」


 不思議な言い回しだった。私はその意味が分からなくて、首を傾けた。


「今度はちゃんと母娘になれたね」と続けられる。


「うん?」


 灯君は柔らかく笑った。


「…ありがとう」


「なあに?」とコトちゃんが訊くと、光君が「コトちゃんにプレゼントがある」と言って、引っ張って行ってしまった。


 相変わらずコトちゃんが好きみたいだ。


「心配しなくても大丈夫だよ。…今晩分かるから」とまた灯君が続ける。


「今晩?」


「うん」と言って、近寄ってきたトラちゃんを抱きかかえるとトラちゃんも「にゃあ」と言った。


 今晩、灯君が分かると言うのだから、あまり気にしないことにした。


「灯君は私立の中学に行くの?」


「うん。そう。もう光とは入れ替われないけどね」とトラちゃんと撫でながら、笑う。


 光君はコトちゃんと一緒に地元の中学に進学する。


「そろそろ別の道を行かなきゃって」


「そっか」


 驚くほど大人びた顔を見ながら、私は灯君に聞いた。


「あのね…幽霊とか見えちゃう時はどうしてるの」


「幽霊? 大抵は気にしないけど…」と言ってトラちゃんを地面に放って、おいでおいでと秘密を教えてくれるように近寄るように指を動かす。


「あんまり悪いなぁっていうのはパチンと潰しちゃう」と言った。


「パチン?」


「うん。パチンって」


「潰れるの?」


「うん。潰れるよ。聖ちゃんは幽霊、見たくない? 見えないようにしようか?」


「え? そんなこともできるの?」


「できるよ。だって…」


「あ、いい。私、何もできないし。でも…おかげで私、星さんっていう兵隊さんにも会えたし…」


 そういうとじっと私の顔を見る。


「あぁ、そっか。そうだね。うん。それはね…やっぱり今夜に全部分かる」


「…灯君はいろいろ見えるの?」


「見えるよ。でも…本当のことだって、証明できないことだから。なんかね、話そうとして、言葉にすると途端に嘘くさくなる。だから…僕は科学を勉強したいんだ。証明されたこととか分からないこととか、もっとはっきりさせられたらいいなぁって思って」


「そっかあ」


 私が灯君と話している間に、十子さんと中崎さんがテーブルを用意してくれた。今夜はケータリングのご飯で、みんなが楽しみにしていた。


「ご飯の用意できたよー」と十子さんがみんなに声をかける。


 みんなが集まって、


「卒業おめでとう。それから…聖ちゃん、結婚おめでとう」とお祝いしてくれた。


 中でもコトちゃんが嬉しそうに微笑んでくれるのが一番心に残った。



 その日、また川上さんが迎えに来てくれて、私をアパートまで送ってくれた。


「コトちゃん、また明日ね」


「はーい。おやすみなさい」


「引っ越し…遅くなってごめんね」と川上さんが謝ってくれる。


「大丈夫です。お休みなさい」と私は頭を下げた。


 川上さんの仕事部屋をちゃんと事務所を借りてするのか、もっと大きな部屋を借りて全員で移る方がいいのか、まだ考えているというから、当分、通いでいい、と私は言った。


 二人とお別れして、自分のマンションに帰る。今夜分かると灯君が言っていたから、部屋に戻るのが楽しみだったけれど、私の部屋は特別異変はなかった。相変わらず空っぽでベランダから外の明かりが薄く差し込んでいる。カーテンを引いて、部屋の灯を付けた。

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