第20話

新しい下着


 それから二年ほどして、川上親子は引っ越していった。とても素敵なマンションに移るらしい。事業も上手く行って、ピアノをずっと習いたがっていたコトちゃんにピアノを買ってあげられることになったらしく、防音設備の整ったマンションを購入したと言う。


「聖ちゃんも遊びに来てね」とコトちゃんが嬉しそうに手を振る。


「うん。ぜひ」


 川上さんは紳士的にいつものようにお礼を言ってくれる。


「本当に良かったら遊びに来てください。ここから近いので」


「はい。またハンバーグご馳走してください」と言うと恥ずかしそうに笑った。


 私は二人を見送ると、淋しさを感じた。毎日のように隣にいて、ご飯を一緒に食べたり、コトちゃんはよく泊りに来てくれていたから、なおさらだった。可愛いコトちゃんはだんだん美人になっていく。星さんはもう生まれただろうか、と私はやきもきしてしまう。


「早く生まれてきてね」と誰に言うでもなく、呟く。


 コトちゃんとお母さんは少しずつ会うようになっていた。その時は私は家でご飯を作って、迎えに行った川上さんとコトちゃん、二人を出迎えた。そうすると、淋しさが少し和らぐかな、と思ったからだ。


 引っ越したことで、私のお役御免となる。安堵したというより、淋しさの方が強かった。


(人生はお別ればっかりだな)と思いながら、電子タバコを吸った。


「就職活動しなきゃ」と気合を入れた。


 もうそろそろ、夏樹も留学先から帰ってくると言っていた。オーストラリアに行って、少しは成長したのだろうか、と思ったけど、多分、変わらないか…下手したら違う方向へパワフルになっているかもしれないなと、少し楽しみになった。


 私はとりあえず稼げるところと長く勤められる会社に行きたい、と思っていたから職種は何でもよかった。



 ゼミで一緒の男の子に付き合おうと言われた。個人的に喋ったことはない男子だったけれど、授業中の発言を聞いていて、好印象はもっていた。だからと言って、好きだという気持ちは特にない。特にはないが、さすがに年齢イコール彼氏なしはさすがに何だかやばいような気がして、私は返事を保留にした。


 今日は少し大きめのスーパーに行く。いつもは一人分の食料だから小さいところで充分間にあうのだけれど、今日は下着を補充しようと思ったのだ。告白されたから下着を新調するわけではない。いや、だから買うのかもしれないと思いつつも、下着をスーパーで買ってる時点で、女としてなんか違うのかもしれない。そんな逡巡をしながら、ろくに見もせずに適当に選んでいると声を掛けられる。


「お久しぶりです。聖さん…」とそこにいたのは十子さんだった。


「あ、お久しぶりです」


「コトちゃん、引っ越ししたって聞きました」


「あ、そうなんです。ちょっと淋しくなっちゃって」と私は正直に言う。


「じゃあ、うちに寄っていきませんか?」と十子さんは気軽に誘ってくれる。


「いいんですか?」


「はい。ぜひ…」と言ってくれるので、ちゃっかりお邪魔することにした。


 私は道すがら、就職活動について相談する。十子さんの会社は子供が小学生の間は時短制度や、リモートワークができるそうだった。


「だから、大分と楽ですよ。お家で仕事できるから、お洗濯とか…お昼休みの時間にちょっと夕飯の用意したり」と言う。


「いいですね。新卒募集してますか?」


「してると思います」とにっこり笑う。


「じゃあ、受けたい。職種にこだわりはなくて…」


「ぜひ、受けてください」


 たったその一言なのに、私はなんだか心からほっとした。


「どうかしましたか?」


 十子さんがそう言って、私の顔を見る。


「ちょっと…いろいろ心細くなってました。私…一人で大丈夫だって思ってたのに…。淋しいばかりで…」


「そうですか…。私は…ずっと一人で」


「え?」


 素敵な旦那様とイケメン双子に囲まれている十子さんがそんなこと言うのが不思議で、改めて顔を見てしまう。十子さんは幽霊が見えたから、子供の頃にそれを口にして以来、変な子だと周りに言われて、友達がいなかったそうだ。


「だから…変なキャラ作ってました」


「変なキャラ?」


「今から思うとおかしいんですけど、ゆるふわ女子っていうやつです。髪も巻いて…。園芸してるとかキャラを作り上げて、お目当ての先輩に話しかけたりしてたんですけど…」とおかしそうに言う。


「…園芸?」


「なんかハーブ育てるとかそういう系の…」


「へぇ」


「でもその変な努力は叶わなかったんですけど、結局、そのおかげで仲良くしてくれた女性の先輩ができて…。変な努力は思ったようには叶いませんでしたけど、でも違う方向に作用して、いろいろ上手くいきました」


「あの…中崎さんのことを最初から好きだったわけじゃないんですか?」


「…彼はたくさん生霊を連れてたから、近づきたくなくて」


「えぇ。生霊。まぁ、あれだけイケメンだとありそうですね」


「でも、聖さんなら、見えてたかも。数がすごかったから、いっしょに見たかったなぁ」と十子さんはとんでもないことを言う。


 十子さんの部屋に入ると、すぐにブルーグレーの猫ちゃんが出迎えてくれる。


「かわいい。でもどうしてこの子はトラちゃんっていう名前なんですか?」と頭を撫でながら聞いた。


「前世がトラ模様だったの」


「え?」


「中崎さんが子どもの頃に飼っていたトラ模様の猫なの。それが…幽霊となって来たの」


 私は驚いて、十子さんを見る。


「中崎さんを守るために来てくれて、それで…生まれ変わってまた来てくれたから」


「動物は…生まれ変わりが早いんですか?」


「どうかなぁ。でも…トラちゃんが亡くなって、十年は経ってたと思うから」と十子さんは言って、振り返って私を見た。


「…星さんのこと、心配してるの?」


「あ、そうです」


 十子さんは少し目を細めて、私を見て「まだ生まれかわってない」と言った。


「え? 何してるんですか。間に…合わない」と私が呟くと、十子さんは微笑んだ。


「恋人じゃなくて…違う形で…出会うことになると思うわ」


「え?」


「まぁ、未来は自分で作るものだから、変わると思うけど…でも」と言って口を噤んだ。


「…あ…あ。私、余計なことしましたか?」


「ううん。そんなことない。まぁ、楽しみに待ってみましょう」とにっこり笑う。


 十子さんがお茶を入れてくれて、そして冷蔵庫からチーズケーキを取り出してくれる。


「…十子さんって女子力高いですね。手作りチーズケーキまであるなんて」


「今日はお客様が来るから…。ちょうどよかったって思って」


 私がそれなら、と腰を浮かそうとすると、何かあるのか、そのままいていいと、十子さんはにこにこ笑う。


 しばらくいろんな話をして過ごしていると、インターフォンが鳴る。


「ただいまー」とイケメン双子が帰ってきたようだった。


 ちょっと背が伸びて、イケメン要素がさらに濃くなっている。 私は少し緊張して、立ち上がった。


「うふふ。驚かせましょうか。聖さんが開けてください」と十子さんは笑顔のままだ。


 そう言われて、私は玄関に向かって行って、がちゃがちゃするドアを開けると、双子の驚いた顔と、そしてその後ろにコトちゃんがいた。


「聖ちゃん」とコトちゃんは驚いた顔をした後、私に抱き着いてきた。


 久しぶりに感じる柔らかいぬくもりがじんわりと伝わってくる。


「コトちゃん、お帰りなさい」


 双子は「ただいまー。コトちゃん、連れてきたよー」とリビングにいる十子さんに声をかける。


「今日は学校帰りにコトちゃんを連れてくるって聞いてたから…。午後休みとって、ケーキ作ってたの」とにっこり笑う。


 私は思いがけずコトちゃんに会えて、本当に嬉しかった。


「元気にしてた?」としゃがみこんで聞く。


「うん。うん。でも…会いたかった」とコトちゃんは私の首に手を回す。


「いつでも電話してよかったのに。遊びに来ても…」と言うと、コトちゃんは子どもながら遠慮していたようだった。


「だって…聖ちゃん、忙しいって思って…。なんか就職…活動…とか」


 肩に乗せられたコトちゃんの顔から温かい湿度を感じた。


「いいよ。本当にいつでも連絡して。それで約束して遊ぼう。そしたら大丈夫だから」


 何度も肩で頷くコトちゃんが可愛くて、私はそっと背中を撫でた。にゃーと横に来たトラちゃんに声を掛けられる。


「そうだ。十子さんが美味しいケーキ作ってくれてたから、いっしょに食べよう」とコトちゃんに言うと、顔を手で擦りながら笑う。


 そしてみんなでケーキを食べながら、お喋りした後、三人は宿題を始めた。私は十子さんを手伝って晩御飯の準備をする。


「一緒に食べて帰って」と言われたし、私も久しぶりのコトちゃんと一緒にいたかったから、甘えさせてもらった。


「…さっき、まるで本当の親子みたいだった」と十子さんがジャガイモの皮を剥きながら言う。


 今日はポテトグラタンを作るらしい。私はホワイトソースを作る担当だった。


「なんでかなぁ。私、コトちゃん、大好きで…」


「ふふふ」と十子さんはまた笑った。


「…コトちゃんと一緒に暮らしたいくらいです」と私も笑いながら言った。


「そうなったらいいですね」


 とても不思議なことを十子さんは言った。意味がよく分からなかったけれど、玉ねぎの皮むきを頼まれる。




 楽しい夕食時に中崎さんも帰宅して、さらに賑やかになった。今、コトちゃんは灯君と一緒のクラスらしく、光君が文句を言っていた。そんな可愛い文句を私も十子さんも微笑ましく見守る。


「光はよくうちのクラスに来てるし、たまに入れ替わって授業受けてるじゃん」と灯君がすごい爆弾を落とす。


「えー」と十子さんは目を丸くする。


「光、それは駄目だよ」と中崎さんも注意する。


「だって…コトちゃんと一緒のクラスがいいもん」ときっぱり言うから、コトちゃんが顔を赤くした。


(星さん、光君にコトちゃん取られちゃうよ…)


 なんて少し気が早いけれど思ったりする。


「灯も簡単に入れ替わっちゃ駄目でしょ?」


「だって体育の時間が嫌だったから」と少し反省したように言う。


「はぁ、やれやれ。もうそう言うことはしないように」と中崎さんが言う。


「パパはいいじゃん。いつも家にママがいるから」と光君が抗議する。


「それはパパも大人になってからだから。光もちゃんと大きくなって働いてから、結婚したらいい」


「あー、早く大人になりたいなー」と光君が言うから、コトちゃんも驚いたように光君を見て言った。


「私も」


「え? じゃあ、コトちゃん、大人になったら結婚しよう」


 ダイレクトすぎる告白に私たちが慌てる。


「いいよ」と割りとあっさり答えるコトちゃんに私の方が戸惑ってしまった。


「やったー。じゃあ、もう入れ替わらない」と光君は満足そうに言った。


 どうするんだろう。星さん…来来世? になるのかな、なんて私は思いながら、十子さんを見ると、驚いたような顔をしつつも、私を見て微笑んだ。


(なるようにしかならないし、ならないことはならないか)とその笑顔を見て、私は思った。




 夜になって川上さんがコトちゃんを迎えに来た。川上さんに会うのも久しぶりだった。暮らしぶりが随分と良くなったのだろう。コケていた頬はふっくらとして、体つきもがっちりしていた。初めて会った時は余程辛かったのか、薄い感じの印象しかなかった。


「あ、聖さん」


「偶然会って…。久しぶりに可愛いコトちゃんに会えて嬉しかったです」


「…いや、コトも会いたがってましたけど…。聖さんもお忙しいかと…」


「忙しくても会いたいので、気を遣わないでください」と私はお願いした。


「…え? あ、はぁ」と歯切れの悪いことを言う。


 まぁ、他所の子にこんなに執着するのも変だな、と自分でも思ったので、頭を下げて、私は帰ろうとすると「車で来たので、送りますよ」と言ってくれる。断ろうとしたけど、コトちゃんにお願いされたから、私は車に乗せてもらうことにした。


 そしてコトちゃんはなぜか後部座席に乗って、ランドセルを隣の席に置いた。


「助手席…乗ってもらってもいいですか?」と遠慮がちに川上さんが言う


「あ…すみません。なんか」と言いながら、私は助手席に座った。


 座ってしばらく無言だった。


「パパー、聖ちゃんのこと、誘って」と後部座席からコトちゃんが話しかける。


「え?」とコトちゃんを見る。


「いや、就職活動がどうかなって思って。うちも…大きな会社ではないけれど、人を雇えるくらいにはなって…もし決まってなかったら…」


「そんな…」


 もちろんまだ決まってない。


「いや、すぐにというわけじゃなくて…。別にいつでも良くて。それに大企業とか、そういうんじゃないから…あの…気にしなくても…。まぁ、もし…決まらなかったらってことです。聖さんに限って、そんなことはないでしょうから、忘れてください」


「仕事場はどこになるんですか?」


「…あ、そうですね。あの…マンションです。もう少ししたら別の場所を借りようかとは思ってて」


「マンションって、コトちゃんの住んでる?」


(あー、また気持ち悪いことを…)と自覚はあった。


「その一室を仕事部屋にしてて」


「行きます」


「え?」


 そしたら毎日、コトちゃんに会える、と私はそう思った。


「就職活動はともかく、授業も大分頑張って取ったので、時間あるので、アルバイトしに行きます」


 私がそう言うと「助かります。外で仕事する間にひっきりなしに電話が鳴って…。いろいろ助かります」と川上さんは言った。


「後、良ければご飯も作ります」


「え? それはありがたいですけど」と言いながら困った顔をする。


 でも後部座席のコトちゃんが一番、大きな声で喜んでくれたから、すぐにアルバイトをすることに決めた。


「また一緒だね」とコトちゃんが後ろから私に言ってくれた。


「そうだね。嬉しいね」


「うん。コト…前のお家の方が楽しかったなーって思ってたの。ピアノは嬉しいけど…。でも聖ちゃんと一緒がよかったから」


「私も」と言って、後ろのコトちゃんの頭を撫でる。


 そしたらコトちゃんが「聖ちゃん、大好き」と言ってくれる。


「私も。嬉しい」


 アパートの下で二人にバイバイと手を振って、車を見送った。一人のアパートに戻るのに、なぜか淋しくなかった。


 そしてゼミ生とのお付き合いは断ろうと決めた。

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