第15話

拘束された魂


 帰宅後、私がテーブルの上にレシートをキャンディを置いて、キャンディは星さんに供える。


「コトちゃんがくれたんです。どうぞ」と言うと、テーブルの上のレシートの方に興味を示した。


「これは…なんて言うのかな。現在の連絡先です。男の人に初めてもらいました。星さんの時代は家同士の結婚だったんでしょう?」


 星さんがじっくりと紙を見て、不思議そうな顔をしている。


『この文字は暗号か何か?』


「電話番号みたいなもので、この文字をこのスマホと言う機械に入力すると、相手と繋がって、電話や、文章、写真までやり取りできるんです」


『へえ…。相手の方は聖さんと連絡を取りたいと言うことですか?』


「どうなんですかねぇ…。私もよく分からなくて」


『見てきましょうか?』


「いいです。また枕元に立つつもりですか?」と言うと、星さんも私も笑い出す。


 ひとしきり笑うと、少しため息をついた。


「星さんの時代は結婚も早かったですよね。今は結構、遅いですけど…。私、結婚とか、好きな人とか…そういうのあんまり考えたことなくて、今まで来たんですけど。このままでいいのか、とふと思う時があって」と幽霊相手に人生相談をしてしまう。


 しかもよく考えると、星さんの生きた時間は同じくらいだ。


『私は…琴さんと会って、いっしょに過ごしたことは本当に良かったと思います。聖さんにもそういうお相手が見つかるといいですね』


「…はい」


 なぜか星さんの言葉は素直に胸に入り込む。


『…生きてる間に、もっと愛してると言えばよかったと後悔してますけど、後悔できるほど、愛した人がいると思うと、それは奇跡だったかなって』


 奇跡。


 人が人と出会うのも奇跡だと思う。


 誰かに愛される奇跡、愛する奇跡。傷つけあったり、そんなことが繰り返されて、時間は進んでいく。


「私も、そんな人がいたら…結婚しようかな」


 星さんが柔らかく頷く。


「まずは私は星さんを成仏させるので、それが終わってから自分のことは考えます」


『そんな…』


 幽霊なのに、控えめで私は思わず笑ってしまった。


「死んだ人の時間の流れは遅いって言いますけど、今はタイパの時代です」


『タイパ?』


「時間を効率よく使うってことが重視されてて。とりあえず、生まれ変わるまでに急がなきゃなので、お友達の十子さんの家に一緒に行ってもらいますね」


 分からないような顔で、それでも頷いてくれたので、私はその日が来るのを楽しみにしつつ、そして本当に成仏してしまったら、やはり淋しくなるかなと考えた。淋しくなったら、このレシートに連絡したらいい、と思って、私はそのレシートを棚の引き出しにしまった。




 十子さんの家に行く日になった。


「本当に、いつもすみません」とまた謝られる。


「大丈夫ですよ。今日は私も楽しみですし」


 お父さんとしてはイケメンの男の子のクラスメイトの家に行くというのは引っかかているのかもしれないけれど、とりあえず行かないことには話が進まないので、知らないふりして、コトちゃんと一緒に私は向かうことにした。




 駅について、ケーキを買って、言われた住所のマンションまで向かう。インターフォンを押すとすぐに出てくれて、二人でエレベーターを上がった。割と大きめのマンションで、緊張しながら、部屋に向かう。すでに扉が開かれていて、私は外から声をかけた。


「いらっしゃい」と十子さんがすぐに出ててきてくれた。


「お邪魔します」と言ってケーキを渡す。


「今日は主人もいて…。あ、えっとまぁ、いいか」と言いながら、十子さんが招き入れてくれた。


 双子も玄関まで出迎えてくれる。相変わらずイケメン、と見ていたら、十子さんの旦那様も出てきて、これまたすごいイケメンで、双子がイケメンな理由そのものだった。


「初めまして。中崎です。いつもお世話になってます」と挨拶してくれる。


「あ、クラスメイトの川上コトです。後、お隣の七瀬聖ちゃんです」とコトちゃんは相変わらず、可愛い笑顔で挨拶をする。


「コトちゃん、遊ぼう」と早速、二人に連れて行かれそうな時に、中崎さんが洗面所に案内してくれた。


 すっと十子さんが近づいて来て、


「うちの人…幽霊とかすごく苦手で」と教えてくれる。


「あ、そうなんですか。見える人じゃなくて?」


「見えないから、余計怖いみたいで」と言って、星さんを見る。


「まぁ、見えないなら…」と言っていたら、後ろからブルーグレーの猫が歩いてくる。


 そして星さんに向かって「にゃあ」と鳴いた。


 丁度その時、中崎さんが双子とコトちゃんとを連れて洗面所から廊下に出た。


「トラ?」と不安そうな声で呼ぶ。


「ケーキ頂いたの。みんなで食べよう」と明るい声で十子さんが微笑みかける。


「あ、そうだね。お皿用意するよ」と言って中崎さんは十子さんと一緒にリビングの方へ向かった。


 私はブルーグレーの猫ちゃんに


「星さんを成仏させてあげて欲しいの」と言ってみる。


 喉を鳴らしてくれたものの、返事はなかった。




 一通りケーキを食べると双子とコトちゃんは中崎さんと一緒にテレビゲームを始めた。盛り上がっているので、十子さんと二人きりで話すのは丁度良かった。キッチンで夕ご飯の用意をするという体で、私たち二人はキッチンで話をする。


「やっぱり約束が…彼を縛ってる気がするの。…だからどうして約束を破ったのか、それが分かって、彼が納得できたら、成仏できるんじゃないかなって思ってて」


「琴さんが約束を破った理由…」


 今のコトちゃんを見ていて、理由なく約束を破る人じゃない気がする。何か、理由があって、約束を破って生まれかわってきた。


「不可抗力とか?」と私が言う。


「不可抗力?」


「例えば、死ぬ間際に記憶を失ったとか」


「…まぁ、そうかな? でも…私が見る限り、認知症で亡くなった人でも、死んだら元に戻ることが多くて。死んでも認知症ってのは見たことがなくて。それに二人がした約束は魂レベルでした約束みたいで」


「魂レベル?」


「そう。指切りした時、もう二度と会えないからって強く思って、深く刻まれているの。だからもし記憶喪失であったとしても、死んだら思い出すはずなの」


 じゃあ、不可抗力ではない。やはり約束を破る理由があったはず。


「晩御飯も食べて行ってくださいね。せっかく作るんで」と言った時、ブルーグレーの猫ちゃんが歩いてきた。


「トラちゃん…分かる?」と十子さんが聞くと「にゃー」と返事した。



 その瞬間、私は違う景色を見ていた。




 ラジオから流れて来る戦況報告。ちゃぶ台の上には麦が混ざったご飯。電球がちゃぶ台に影を作る。


「日本は神の国だから負けるはずはない」とそこに座っている男性が言った。


「そうですよねぇ。お国のために頑張っている兵隊さんたちがたくさんいらっしゃいますもんねぇ」と横にいる女性が言う。


「じゃあ兵隊さんはとっても偉いのですね」と私が訊いた。


「もちろんだ。だから琴もお国のためにできることをするんだよ」と男性が私に向けて、笑顔を見せる。


「はい」と私は返事をした。


 どうやら琴さんの家庭だと分かった。お父さんとお母さんと私(琴さん)とそして小さな弟がいる。


 学校に行っても、戦争讃歌の授業を受け、国のために私たちは生きて行かなければいけない、と思うようになった。それに何の疑問もなく、近所の男の子の中には予科練に行く人も何人かいた。厳しい訓練と聞いていたが、そこに行く人たちはお国のために働いていると憧れと賞賛の的であった。


 また成績優秀な女の子の中でも進学せずに「看護婦として、軍に入ります」という友達もいた。


 琴さんはお父さんの友達の星さんと婚約していたから、その決断ができなくて、友人に少しうしろめたさと憧れとを感じていた。自分もお国のために何かしなければ、と思っていた。


 でも星さんが嫌いなわけじゃない。むしろ、大好きで、この人と結婚出来る日を楽しみにしている。


 琴さんは心からお国のためにと思っていた。何の疑いもなく、それが当然であると信じていた。澄み切った心の中が私と同化している。


 父親が言う「この戦争は列強に虐げられたアジアのためだ」と言う言葉をそのまま受け取り、きらきらした気持ちで戦争に対して大儀を抱えていた。


 戦況が悪化し、琴さんは女学校へ通っていたけれど、ついに学生だった星さんまでに赤紙が届いた。

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