第14話
おかえりなさい
コトちゃんとご飯を作る。今日はカレーを作り、鍋をそのまま隣に持って行って、そのまま私も夕飯をご相伴に預かることになった。
「パパー。カレー作ったよ」とコトちゃんが嬉しそうに言う。
「コトのおかげで助かるなぁ。ありがとう」と言いながら頭を撫でる。
大きな手がコトちゃんの頭を往復する度に嬉しそうだった。本当にこの子は大人になって、役に立ちたいと思っているんだ、と思うと胸が潰れそうになる。
「七瀬さんも…本当にありがとうございます」と言ってくれるけれど、材料費はコトちゃんが持ってきてくれていた。
「いえ…。私は楽しかったので。コトちゃん大好きですし…」
「どうしたらお礼できるか…」と言うので慌てて断る。
それでも収まりがつかなさそうなので、
「じゃあ…明日のカレー少し持って帰っていいですか?」と訊いた。
「カレー? どうぞ。全然、いいです」と川上さんが言う。
そんな私たちを見て、コトちゃんがふふふと笑った。
「あ、食べよっか」と私は慌てて、言う。
川上さんがご飯だけ炊いていてくれた。サラダも何もないことに気が付いたけど、コトちゃんが嬉しそうに「早く食べよう」と言うから、私もカレーだけの晩御飯を堪能する。
今日、お母さんが来たことはコトちゃんには言えない。川上さんは愛おしそうにコトちゃんを見ている。
「包丁で、皮剥くの難しかったー。だから皮むき器でしたら早かった」
何を喋っても微笑ましい。
「コトちゃんのカレー美味しいね」と私が言うと「聖ちゃんも作ってくれたでしょ?」と照れながら言う。
(あぁ、本当に可愛い。それなのに…星さんは一体…)
「聖ちゃん、元気になってよかった」とコトちゃんに言われる。
「え?」と川上さんが私を見た。
昼間の出来事があったから、と思われたかもしれない。
「あ、ちょっと寝不足かなぁ」とコトちゃんに言い訳をした。
「じゃあ、今日は早く寝ないとね」と言われて、素直に頷いた。
穏やかな時間を過ごして、私はお暇をする。
「あ、カレー」と川上さんが言ってくれて、小さなタッパーに入れてくれる。
「ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ。おやすみなさい」
「おやすみなさい。コトちゃん、またね」と私は頭を下げて、隣の部屋に戻る。
やはり星さんはいなかった。
「カレー…食べたことあるのかな」と思いながらタッパーを冷蔵庫に入れる。
お風呂に入って、今日はコトちゃんに宣言した通り早く寝ることにする。壁に向かって、私に背を向けていた星さんはいない。
(もう帰ってこないのかな)と思いながらベッドの中に入る。
奥さんの彼氏の枕元に立って、二人を別れさせて…コトちゃんのお母さんを戻らせるつもりだったんだろうか。それにしても…。枕元に立つだけで、別れちゃうのだろうか、と考えると少し面白くて笑ってしまった。
「でも…そんなことしちゃだめだよ」と私は呟いた。
眠れないと思っていたけれど、今日は疲れのせいかすぐに瞼が重くなった。
朝、目が覚めて、私は柔らかな気配に気がついた。いつものように壁に向かっている背中があった。
(星さん…帰ってきたんだ)
ただそれだけで涙が溢れてきた。
(よかった…)
こっそり手の甲で涙を拭く。幽霊が帰って来たって、ほっとするのっておかしい。おかしいの分かってるけど、よかった
涙って安心した時の方が溢れてくるんだ、と初めて知った。
泣いてるの知られたくないのに、星さんは振り向いた。
『え?』
「…おかえり…なさい」
私はタオルケットの中に体をもぐらせて言った。
『聖さん? どうして泣いてるんですか?』
「泣いてません」
明らかに嘘を吐く。嘘を吐くのが上手いはずの私はそれしか言えなかった。
『…でも』
ごしごしと乱暴に目を擦って、起き上がる。
「ほら、泣いてないです」
『目が赤いですけど』
「こうして擦ったからです」とさらにごしごししようとした手に星さんが触れる。
でも触れても私の手は止められない。肉体がない星さんの手は私の手をすり抜ける。ただその手が温かくなった。
『あんまり擦ってはいけません』
素直に手を止めた。
「…もうどこにも行かないで。私が…ちゃんとあなたを成仏させるから。それまで…ここに」
『…それは…ありがとうございます』
「それに、幽霊が人間に悪いことしちゃだめ。だからもう何もしないで、ここにいて」
私がそう言うと、星さんは頷いた。生きてる人も当然そうだけど、死んだ人間も同じで、悪いことより、良い事をした方が亡くなった後の行く先がより良いところへと変わるらしい。星さんにはより素敵なところへ行って欲しい。
星さんは想像していた通り、コトちゃんがかわいそうになって、コトちゃんのお母さんのところに行ったらしい。どうやって行ったのかというのは、よく分からない。そこで見たのは、喧嘩を繰り返す二人だったという。
「奥さん、黒いのに憑りつかれてるの、星さんには見えた?」
『…嫉妬ですね』
奥さんは別れて、アルバイトの男性と結ばれたけど、結局、元の旦那さんの方がしっかりしていて、事業が上手くいってる話を聞いたりとか、コトちゃんとまた暮らしたいとか、こんなはずじゃなかったとかいろいろ積もり積もって、黒い気持ちが黒いものを呼び寄せていると教えてくれた。
「…自業自得ってやつかぁ」と呟くと星さんは頷いた。
そしてアルバイトの男性は他にも付き合っている人がいることを星さんが教えてくれた。
「えぇ?」
奥さんは知らないけれど、薄々気が付いているみたいで、よけに喧嘩することが多くなったらしい。だから相手は嫌気がさしていて、そこに枕元に立った星さんを理由に家を出て行ったと言う。
「じゃあ…星さんのせいじゃないのかな。星さんはただ立ってただけだもんね」
『はい。ただ立って見下ろしてただけです』
「じゃ、悪いことじゃないか。枕元に立ってただけで」
『悪いことはしてないです』
「うん。悪くない。そこにいただけだし」と私は確認するように言うけれど、それに乗っかる星さんも面白くて、笑ってしまった。
『ようやく笑いましたね』
星さんにそう言われて、少し恥ずかしかった。
「だって、星さん。枕元に立ってたって」と笑いながらごまかす。
『まぁ、軍服だったから土足だったのは申し訳ないですけど』
大抵の日本人は軍服の兵隊に枕元に立たれて、怖がらない人はいないんじゃないだろうか、と思ってまたおかしくなった。
「コトちゃんのことは私が守るから。星さんは早く成仏して、なるはやで生まれかわらないとね」と言うと『なるはや?』と聞き返された。
夜のバイト先に川上さんとコトちゃんが来た。
「聖ちゃん、食べに来たよー」とコトちゃんがドアを開けた瞬間に手を振ってくれる。
「わー。いらっしゃいませー。本当に来てくれたんだ。座って」とテーブルに案内する。
「いつもお世話になって」と川上さんは私の顔を見るとそればっかり言う。
「いえいえ。本当にお気になさらずに。私、コトちゃん、大好きなんです」と言って、コトちゃんに両手でハートを作って見せる。
「わー。コトも聖ちゃん大好き」と同じようにしてくれた。
二人ともラーメンを頼んでくれる。川上さんはそれにビールと餃子も追加してくれた。子供用のお皿を用意して、私は店主からコトちゃんに差し入れられたオレンジジュースを運ぶ。
「わー。嬉しい。ありがとう」とコトちゃんが言うから、店主も目じりが下がりっぱなしだった。
(はー、可愛い。可愛い)と私は思いながら、他の客の注文を受けたり、料理を運んだりしていた。
「聖ちゃん、あの子、お気に入りだねぇ」と店主に言われる。
「そりゃ、そうでしょ。あんなに可愛いんだもん」
「人の子なのに?」
「…まぁ、そうですけど。私が産みたかった」
「ははは。早く結婚したらいいじゃん」と店主に言われる。
「結婚…」
私は結婚どころか好きな人も、恋人もいなかった。はたと年齢イコール彼氏いない歴を更新していることを思い知らされる。
「出会いとか大学生多いんじゃないの? 合コンんとか」
「合コン? そんなことやってるんですかね。今時…」と言いながら、私はレジに向かった。
合コンって、集団お見合いみたいなもんだしなぁ…と思いながら、会計する。その話を聞いていたのか、清算する常連客のサラリーマンが
「聖ちゃん、彼氏いないの? 合コンセッティングしようか?」と聞いてきた。
「えー? 友達…みんな彼氏いますし。…お釣りです」と言って、自分の位置がいかに危険地域にいるか分かった。
「じゃあ、よかったら連絡して」と言われて、レシートの裏に連絡先のID番号を書かれて、渡された。
「…え?」
「今、俺フリーだし」と言って、さわやかに去って行った。
(待って、待って、待って。そんな軽い感じなの?)と思わずもらったレシートを眺める。
店主から、料理が上がった声が聞こえて、慌ててポケットにレシートを突っ込んだ。
餃子を運びながら考える。
(お付き合いって、もういい年だし、全て含まれてるよね?)
お皿を下げながら考える。
(お店の常連さんと? え? できる?)
常連さんの顔を思い出すけれど、普通に清潔感のある男性だった。
(あっちはできるって思ったから、連絡先くれたのか…)
片付けたテーブルにアルコールを吹き付けながら拭いて行く。
(待て待て待て。早とちりで。別に付き合うわけじゃないくて…。じゃあ、なんで連絡先くれたの?)
テーブルの上の餃子のたれが少なくなっていたので、新しく追加したりする。
(でも、いい加減、年齢をこのまま重ねていくのも…。でもそれが理由で付き合うのも何だか…)と思考が忙しいせいで、いつもより素早く動いている。
「聖ちゃーん」とコトちゃんに呼ばれて、行くと、鞄から小さなキャンディをくれる。
「聖ちゃん頑張ってるから。どうぞ」
「えー。ありがとう」と言いながら、尊くて、涙が溢れそうになる。
私がくだらないことに杞憂しているというのに、このピュアな心遣いに目線が合わせられない。
「大丈夫ですか?」と川上さんには心配されてしまった。
「へ?」
「さっきの…」
「あ…。やっぱり付き合った方がいいですか?」と思わず聞いてしまった。
「え? 付き合うんですか?」
「えっと…。このままでいいのか、迷ってて…」と何を言ってるのかと私は慌てて口を噤む。
「聖ちゃんはいい人だからいい人と出会えると思うよ」とにっこり笑いながらコトちゃんに言われると、妙に安心できた。
「えー。ありがとう」
(天使が言うんだから間違いない)と私は心の中で言うと、また年齢イコール彼氏なしでいることに決めた。
閉店後にポケットからレシートとコトちゃんからもらったキャンディを取り出す。
「あの常連さん、一部上場の食品メーカーだよ」
「そうなんですか」
「それなのにうちの店に通ってくれて。ありがたいね」
「えー。味を盗みに来てるんじゃないですか」と言うと、店主は大笑いした。
「案外、聖ちゃん目当てだったりして」と言って、店主はゴミをまとめていた。
(私、目当て?)
そんなこと言わないで欲しい。単純だから、気になってしまう。パタパタとエプロンを畳んで鞄に入れる。
「それとさ…。シングルファーザーはどうなの?」とゴミ袋を括りながら言う。
「シングルファーザー?」
「ほら、あの可愛い子のお父さん。そしたら、あの子のお母さんになれるよ」
「は?」
その発想はなかった。
(じゃなくて)
「もう帰りますよ。じゃあ」
「はい、お疲れさん。から揚げ持って帰りなよ」とカウンターを指さす。
私はビニール袋に入れられたから揚げも鞄に突っ込んで、お店を出た。お店の外は蒸し暑い夜だった。
(星さん、から揚げ、食べるかな)
空を見上げる。星さんが見た空とはきっと違う。数えるほどしかない星の空だった。
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