第9話

約束


 子供たちは三人並んでアイスを食べている。可愛いコトちゃんが真ん中で、横をイケメン双子男子が挟んでいる。


「天使のかたまり」と私は呟く。


「女の子、可愛いですねぇ」と十子さんも微笑んでいた。


 三人はアイスの味の交換会をしたりしている。


「…それで聖さん。その方は…」と小さな声で十子さんが聞いた。


 私はメッセージアプリを交換してもらって、そこに大体のことを書き込んで、十子さんに説明した。まさかコトちゃんの前で琴さんの生まれかわりとかそういう話をするわけには行かない。それは私が見た夢の話だから、本当は違うのかもしれないし、そもそも生まれかわりなんてあるのかという話にもなってくる。


「本人の意思というのもあるかもしれませんけど…。多分、彼女とした約束が…成仏できない理由だと思うんです」


「約束…。星さん覚えてる?」


 首を横に振る。


「いろいろ忘れてしまってるのかも。でも…八十年も…よくそのままでいられて…」


「年月が経つと駄目なんですか?」と私は聞くと、十子さん曰く、自分を保てなくて悪霊化することがあると言う。


「時間が経つと、自分が誰なのか…どうしてここにいるのか分からなくなって…。ってことが多いんですけどね。余程の恨みを持った人なんかは恨みは忘れられず悪霊化したり…とか」


「へぇ…」と私はため息を吐く。


「聖さんは…幽霊とかどう対処してるんですか?」


「え? 幽霊に対処とかしてないです。私には近づかないみたいで」


「そうなんですか?」と驚いたような顔をする。


「はい。嫌われてるのかな」と言うと、十子さんは笑った。


「多分、美人で近づけないのかも」


「えー。私、生きてる男性にも一度も近づかれたことないのに? 幽霊にまで?」と言うと、星さんが私を見た。


(そうだった。五人と付き合った設定を忘れていた)


 今更だけど、髪をかき上げて良い女風にしてみようとしたけれど、そのまま頭を掻くことした。


 十子さんはじっと星さんを見た。そして辛そうな顔をして目を閉じる。しばらくするとその閉じた瞳から涙が零れた。


「…綺麗な青空と…戦争」


 十子さんはポツリと言った。




 戦況が悪化して、ついに大学生にも召集令状が来るようになった。次男だった星さんのところにも召集令状が届いた。来る予感はあったが、ついに…という思いになる。

一週間ほどの猶予しか与えられずに戦地に向かう事になった。


 それで二人の結婚話が出た。星さんは断ったが琴さんの強い希望で、慌ただしく結婚式をした。


「幸せです。星さんと…」と言って顔を赤くして琴さんは俯いた。


「いいのでしょうか」


「いいんです。星さん以外の方とは…嫌です。死んでも嫌です」


 そういう琴さんが愛おしくて、哀しい気持ちになった。


 戦時中とはいえ、どこからか調達してきた食糧とお酒を用意して、琴さんは親戚から借りて来たのかきちんと花嫁衣裳を着ていた。


 角隠しをした琴さんは綺麗に化粧も施されている。


「綺麗だ…」と思いながら、胸が痛んだ。


 琴さんはにこにこ始終微笑みながら、最後にみんなで写真撮影をする。それから約三日間、おままごとのような新婚生活をした。琴さんは星さんの実家に住んで、朝から張り切ってご飯の用意をしてくれた。


「星さんが活躍できますように」と言いながら、おにぎりを作ってくれる。


「こんな美味しいおにぎりは初めてです」と言うと、頬を赤らめて微笑む。


「きっと大丈夫ですよ。星さんの軍帽には同じ星がついていて、守ってくれます。敵なんて、きっと簡単にやっつけれますよ」


「…ありがとう」


 僅か数日の生活は喧嘩一つもせずに過ごした。最後の夜は眠れないのか、二人で庭に出た。


「空はつながってます。淋しくなったら、空を見てください。僕もそうします」


「はい。じゃあ、ずっと上向いて歩きます」


 星さんは笑って、横を見ると、琴さんは涙を溜めていた。


「もし…万が一のことがあれば、私も死んで…お墓で待ってます」


「何を言うんですか」


「万が一です。そちらが遠いでしょうから、幽霊になっても…着くのに時間がかかるでしょう? 先に行って待ってます」


「おかしなことを言う」と言って笑ってみるが、琴さんは真剣な顔で星さんを見た。


「約束」


 そっと小指が出される。


「分かった」


 小さな小指に指を絡める。


「死んでも一緒ですからね」


 小さな指に力を込めた。


(でも君は生きて幸せでいて欲しい)


 そんなことを言えずに空を眺める。


(もし僕が死んで、幽霊になれるのなら、ずっと君を見ていたい)


「さ、明日は出征ですから…。もう休みましょう」


「はい。お体に触ってはいけませんものね」


 小指が離されて、二人の唇がそっと近づいた。夜の風が優しく吹いて、通り過ぎた。





 出征の日は家族や琴さんに見送られた。


「星さん、かっこいいです。どうか御武運をお祈りいたしております」


「はい。必ず勝ってきます」と星さんは言った。


「はい。どうかお体に気を付けて」


 背中に大きなリュックを背負って、汽車に乗る。ホームには見送りの人たちが溢れんばかりいる。どうにか窓から体を乗り出す。小さい琴さんは人の間をぬって、星さんの窓まで来て、国旗を振った。


「星さん」


「琴さん、体をお大事に」


「ご武運を」


 ゆっくりと列車が走り出す。琴さんも走ろうとするけれど、人波が多くて上手くいかない。


「もう、いいから」と言っても人の歓声でかき消される。


「どうか、どうか」と旗を振りながら、必死で走る琴さんが「生きて」と口を動かした。


「必ず勝って」と言いながら星さんも(生きて)「帰ってきます」と言った。


 頷いて琴さんはもう走らずに旗を振るだけだった。段々ホームから遠ざかる。人波に飲まれて琴さんは見えなくなった。琴さんを飲み込んだ人波もホームも小さくなる。


(生きて帰りたい)


 そんな風に思ってはいけない時代で、口に出すことはまかり通らなかった。




 汽車で何時間もかけて港町まで行って、船に乗り込む。船旅は何日もかかるが、永遠に着かなければいい、と思った。


(人を殺せるだろうか)


 星さんはそう思いながら海を眺めた。魚たちは広い海を泳ぎ、海流が流れ、海の中は静かで、戦争が起こっていようが、いまいがきっと変わらぬ世界があるのだろう、とため息を吐く。


(人を殺さなければ自分が死ぬことになる…。琴さん、君が恰好いいといってくれたこの服を着て戦争に行くことが辛い。殺すことも死ぬことも嫌だ)


 そんな想いを口に出すことは決してない。


(ただ君のために…。君と国を守るために)


 そう思うしかなかった。

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