第8話

光と灯


 その夜、私はおにぎりを供えて、星さんにレクチャーをした。死んだ人は時間の感覚がないと言うから、


「コトちゃんと結婚するなら、一秒でも早く成仏して、そして生まれ変わってこないと間に合いません」とテーブルを叩く。


 今日はおにぎりだけしかテーブルに乗っていない。時間がないからだ。


 もうすでにコトちゃんが生まれてから七年という月日が経っているから、星さんが成仏して、速攻で生まれかわって来たとしても、十月十日はかかる。八年のビハインドがある。


「それに速攻で生まれかわるなんてできるか分からないじゃないですか。そうこうしている間に、コトちゃんは誰かと結婚する可能性だって充分あるんです。しかもですよ? コトちゃんの適齢期…まぁ、二十四としましょう。速攻で生まれてきたとしても、星さんは高校生です。そんな二人が出会って恋愛する可能性は限りなく低いんです。あの可愛いコトちゃんが年齢イコール彼氏いない歴なはずないじゃいですか?」と畳みかける。


「聖さんは恋人」と星さんがおずおずと聞いてくる。


(あ、私、年齢イコールだわ)と思ったけれど、ここは嘘をついてでも時間の概念を取り戻して欲しい。


「今はいませんけど、もう高校の時には恋人が五人いました」と手のひらを広げる。


 星さんは驚いて、固まってしまった。


「だから、早く…え? あれ? あ…あの」


 私のことをふしだらな女と思ったのかもしれない。そうだ。彼は戦時中の人間。貞操観念が今とは大分違うと思った時はすでに遅かった。ちょっと距離を感じた。いや、大分隔たりが出来た。恋人なんて一人もいません。大ウソをつきました、と言えたら良かったのだけれど、言えずに無駄に髪の毛をいじってしまう。


「ともかく私のことは置いといてですね。万が一、あれですよ? 生まれかわりに五十年かかったら、もう出会ったとしても…無理じゃないですか。いろいろと」


 星さんはじっと考え込んだ。


『分かりました。成仏します』


 そう言ったものの、じゃあ、どうしたら成仏できるのか、という問題にぶち当たる。


「お経とか、線香とかそういうので成仏できるかもしれません。明日、買いに行きます」




 翌日、私は線香をテーブルに立てて、お経をユーチューブで流す。綺麗に正座して、手を合わせている星さんがいる。


(いや…、違う。絶対違う。そっちじゃない)


「神様、仏様、星さんを成仏させて、なるはやで生まれかわらさせてあげてください。もちろん日本で、できれば関東近辺で」と言うが、相変わらず綺麗に手を合わせる星さんがいる。


 端正な横顔だ、と見とれている場合じゃない。


(ユーチューブだからだめなのか。この坊さんがだめなのか)と私は叫びそうになる。


「だめだ。こんな付け焼刃じゃだめなんだ。そうだ、お寺に行こう」


 どっかの鉄道会社のキャッチコピーに似てる気がしたけれど、やはり本職に頼まなければいけない、と立ち上がる、と同時にインターフォンが鳴った。


 隣の川上さんがコトちゃんを連れて立っていた。


「先日はどうもありがとうございます。おにぎりまで頂いて」


「あ、全然。それは…ついでですし」


「良かったら、これ」と美味しそうなケーキを渡してくれる。


「コトちゃんも一緒に食べる? っていうか、今からお寺に行こうかと思ってて」


「お寺ですか?」


「はい。お盆も近いですし…。たまにはご先祖様に手を合わせたりして(星さんのお迎えに来てもらおう)」と言うと、川上さんは少し首を傾けた。


 私は何か変なことを言っただろうか。


「七瀬さんのご実家は西の方ですか?」


「あ、そうです。広島です」


「…そうですか。こっちのお盆はもう終わりましたから」


「え? えぇ。終わったんですか?」と私は力が抜けた。


「終わりましたねぇ」


 じゃあ、ご先祖様はもう帰ってこないのか? 二回帰ってこないのか? 後はもう星さんのご先祖様だけが頼りだったのに。


 私があまりにもしょげているので、


「まぁ、でもお墓参りはいつ行かれてもいいと思いますよ」とフォローしてくれる。


「あ、まぁ、そうですよね」


 どうりで七月なのに幽霊がよく出ていたんだな、と一月前の記憶を辿る。


「じゃあ、ご実家の方にお帰りされるんですか?」


「あ、いえ。そうじゃなくて…。同じ宗派のお寺で…こちらでお勤めして頂こうかと」と星さんのお墓があるお寺の名前を言う。嘘がすらすら出てくる自分が怖い。


「えぇ。そうなんですか。実は私の実家の墓もそのお寺にありますよ」と川上さんが言う。


 そっか、お墓が琴さんと隣同士…だった、ということは?


「川上さん…あの…星野さんってご存じですか?」


「星野? ほしの? うーん。分からないですね」


 星野家はお墓も無くなるくらいだから、もう後継ぎもいないだろう、と私は思った。


「星野さんがどうかしましたか? いえ、あのちょっと、古本市で…」とお寺の住職と同じ嘘をまた言った。


「へぇ。ロマンティックですね。また実家に聞いてみますよ」


「あ、すみません。機会があったら…」


「聖ちゃん、お寺行くの?」


「うん。…コトちゃんも行く?」


「え? そんないつもいつもお世話を頼んで申し訳ないです」と川上さんが言う。


「えー、いいですよ。私、コトちゃん大好きですし。一緒に行ってくれるなら楽しいなぁ」と私が言うと、コトちゃんはにっこり笑う。


 そして私はまた川上さんにおやつ代としてお金をもらった。帰りにかき氷でも食べたらいいかなって思いながら、ありがたくいただく。


「コトちゃん、行こっか。帽子取っておいで。十分後に待ち合わせしよう」


 そして私はバイト代からお金を分けて、住職に渡して亡くなった星野家の供養をしてもらおうと思った。星さんが成仏できるように。事態は一刻の猶予もない。


 コトちゃんはかわいらしい麦わらの帽子を被り、タータンチェックの水色のワンピースを着ている。


(天使。可愛い)と言いながら、私は虫よけスプレーを振りかける。


 小さな手を握ると、いっしょに駅まで向かった。もちろん星さんも一緒だ。


「あのね、聖ちゃん。お墓に行くの楽しみ」


「どうして?」


「最初にあのお兄さんに会ったのはお墓の前だから。そこから公園でも会えたんだけど、最近、全然会えないから…。またお墓で会えるかも」


「そっか。会えるといいね」と私が言うと、コトちゃんは真剣な顔をして、頷いた。


 すぐ横にいるよと言ってあげたいけれど、見えないのだから仕方がない。小さい子は多分、いろんなものを見れるんだけど、だんだん見えなくなってしまう。私みたいにずっと見えるのは稀なんだと思う。見えたからと言って、特に何もできない。成仏させることが出来たら、いいけど…と思いながら駅まできた。


 駅のホームで電車を待っていると、コトちゃんと同じ年くらいの双子の男の子が走ってきた。


「コトちゃん」


「あ、ひかりあかり君」


「なんで、灯だけ君付けるんだよー」と光と呼ばれた男の子は頬を膨らませる。


「すみませーん」とお母さんらしい人が後から走って来た。


 そしてそのお母さんはコトちゃんの横にいる星さんを見て、固まっていた。


(あ、見える人来た)と私はこっそり思った。


「だって、光は同じクラスだし、灯君は違うクラスだから」


「なんだよそれー」と光君は今度は口を尖らせる。


 二人ともイケメンで可愛い。


「…いつもお世話になってます」とお母さんが頭を下げるけれど、私は慌てて「あ、私はコトちゃんの隣に住んでいる大学生です」と訂正しておく。


「ですよね。すごく若くていらっしゃるから、お姉さんかなとか思ったんですけど」といろんな意味で慌てている。


「ねぇ、このお兄さんさー」と光君は星さんを指さして言う。


 慌ててお母さんが光君の口を手で押さえた。


「兵隊さん」とずっと黙っていた灯君が言った。


「へいたいさん?」とコトちゃんは振り向くけど、何も見えないようだった。


(ん? この三人は見える家族?)と私はお母さんを見ると、困ったように笑いながら「ごめんなさい。あの…時間あれば…少しお話できたら」と言われた。


 時間はあるし、興味がある。


「聖ちゃん? お墓行かないの?」と電車が来たのを気にしてコトちゃんが言う。


「お墓行くの?」と光君が言う。


「ちょっと私も光君たちのお母さんとお話したいんだけど、いいかな」


 子供たちにアイス食べるか聞くと、全員が喜んだので、ターミナル駅まで行って、そこでお茶をすることにした。光君はコトちゃんのクラスの男の子で、コトちゃんは離婚して引っ越ししたけれど、学校は変わらないように、校区内でお父さんは部屋を探したらしい。


 光君は元気でお喋りだけど、灯君は静かで大人しい。お母さんは十子とうこさんと言って、かわいらしい雰囲気の人だった。


「見えてますよね?」と訊かれたので頷いた。


「あの…成仏させられますか?」と単刀直入に聞いてみるけれど、少し首を傾げられた。


「トラちゃんなら…」と言うので、聞いてみると家のペットの猫らしい。


(猫にそんな力あるのかな)と思いつつ、私は電車に揺られた。


 子どもたちは楽しそうに喋っている。


「…約束」とぽつりと十子さんが言う。


「約束?」


「約束が…彼を縛っているのかも」


「何か見えましたか?」


「うーん。指切り…かなぁ」


 八十年前の指切り。その約束が星さんを今も縛っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る