第5話

養生


 コトちゃんが遠慮がちにノックする。インターフォンを押すのには少し背が足りなかったのかもしれない。


 私が玄関に行くと、星さんも一緒に玄関にいた。


「聖ちゃん。これ、どうぞ」


 手に半分に切ったスイカを持っている。スイカを抱えているのだからなおさらインターフォンは押せない。それに来る前に川上さんがメッセージを送ってくれていた。


「ええ! 重たいでしょ? 入って」と言って、私はスイカを受け取った。


「お邪魔します」と丁寧に言ってから部屋に上がる。


 靴を玄関で綺麗に揃えた。


 星さんがじっとコトちゃんを見ている。


「ねぇ…コトちゃんのおばあちゃんとかは近くに住んでるの?」


「うーん。電車乗って行くところだよ」


 近いとか遠いとか個人的に感覚だな、と思いながらなんとかスイカを冷蔵庫にいれる。半分にされたスイカは冷蔵庫の余白の大部分を埋めた。


 振り向くと星さんはコトちゃんの後ろをずっとついて行っている。


「聖ちゃんは?」


「え? 私?」


「うん。聖ちゃんのおばあちゃん」


「おばあちゃん家はもう無いよ。おばあちゃんもすっごく遠く…天国にいるの」


「ふうん。私のおばあちゃんはね」と隣の県にいると教えてくれた。


 その横で星さんはかがんでじっとコトちゃんを見ている。私はお使いを無事に済ませたコトちゃんにアイスを渡した。


 星さんは一生懸命、アイスを食べているコトちゃんを微笑ましく見ていた。



 不意に草の匂いを感じる。


 縁側で並んでとうもろこしを食べている琴さんと星さんが見えた。琴さんはにこにこしながら、星さんはそれを見て、笑顔になって、すぐに真面目な顔に表情を引き締める。


 コトちゃんがアイスを食べてる姿とオーバーラップした。


(あ、そうか。コトちゃんは…)


 私は星さんを見た。


(星さんは琴さんを探したんだ)


 もう琴さんはこの世にいない。多分、戦争で亡くなって、そして既に生まれ変わって、今、コトちゃんとなっているんだ。


「…でも、見つけたのに…どうして?」


(成仏しないの?)


 きっと生前では微笑んだりしなかったであろうのに、優しい笑顔をコトちゃんに向けている。


(もしかして…コトちゃんの一生を見続けるつもり?)


 私は微笑み続ける星さんを見て、複雑な気持ちになった。


 何が正解なのか分からない。でも本当にこれでいいのかと言われると何だか違う気がする。それにどうしたらいいのかもわからない。


 私は複雑な顔でコトちゃんを眺める。


「聖ちゃんも食べたい?」と聞かれて、慌ててことわった。


 コトちゃんはアイスを食べ終わると、きちんとお礼を言って帰って行った。



 気づいたことがある。私がタンクトップを着ているだけでなく、星さんが壁を向いてるのは向こう側に川上家があるからだ。コトちゃんがいるから…。



 私はコトちゃんからもらったスイカをカットして、星さんの前に置く。


『ありがとうございます』と言って頭を下げる。


「どうぞ、召し上が…。え? え? 星さん、喋ってる!」


 星さんはにっこり笑いながら『養生させてもらいました』と言う。


「養生?」


 星さん曰く、お供えをしてもらっている間に随分、死んでるから元気とはいえないけれど、状態が良くなったという。


「星さん…。どうしましょう? 成仏って自分の意思でできないようですか?」


 首を横に振る。


『お迎えを断ったんです』


「え? 断ったら二度と来ないんですか?」


『死んだ直後に…祖母が来ましたけど…。そこから来ないです』


「断ったのは…琴さんが気掛かりで?」


『はい』


 そこからずっと琴さんを探していた。



 星さんが言うには、コトちゃんを見つけた時はすぐに分かったという。ずっとお墓の前で立っていたら、コトちゃんとお父さんが隣のお墓に手を合わせにきたらしい。その瞬間に分かったという。


「琴さんと隣り合わせのお墓だったんですか?」


『元々…親同士が同じ村の出身で親友だったんです。一緒に大学に行くって出てきて。だから田舎も近くて…』


「じゃあ、琴さんとは幼馴染ですか?」


『そうですね。…後、親が決めた許嫁です』と顔を赤くして言う。


(あー、そういう制度…あるよね。昭和だと)となぜか不貞腐れた気持ちになる。


 軍服を着ていたのは、琴さんがかっこいいと言ってくれたからだ、と言う。それに幼いコトちゃんには星さんが見えてたことがあるようで、公園にいる時に一緒に遊んだりしたと言った。


「お兄ちゃん、星の帽子かっこいいね」と軍帽の星を指さしてくれた。


「コトちゃんが亡くなるまで、そばにいるつもりですか?」


 私は何を聞きたいのかわからないまま星さんに聞いた。


『…できれば』


「今はもう2024年ですよ? 昭和は終わって、もう何十年にもなるんです。年号だって二回変わりました」


 胸が痛くなる。


『成仏しないといけないですか?』


 真っ直ぐな目でこっちを見る。


「そりゃ…そうじゃないですか」


 本当は分からない。ただ何となく、言い返すように言ってしまう。


 でもどうしたらいいのか分からないまま、私は俯いた。


『そうですか…。でも…どうしたら成仏するんです?』


「未練とか…悔いとか…無くすといい…かも…しれ…ません」と自分の握った拳を見ながら適当なことを言う。


『…できませんよ』


 まぁ、そうだろう。八十年近く想い続けているのだから。私はため息をついて、顔を上げる。


 星さんが柔らかく微笑んでいた。幽霊なのに少しも怖くなくて、困る。私も釣られて、力なく微笑み返した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る