第4話
星野さん
軍服で常にいられるのが、何だか苦しくなるので、着替えることが可能か考えてみた。和菓子屋で買ってきた水まんじゅうを出しながら、
「あの…お部屋にとどまらせておいてあれなんですけど」とぷるぷる震える水まんじゅうを眺める。
「お着替えとか…できますか? その服がちょっと…圧迫感がありまして」
じっと見られる。
「あ、っ無理にとは言いませんけれど、どうしてもその服が…」
日本の軍服を見てかっこいいと言うより、やはり戦争の悲惨さを感じてしまう。一生懸命戦った人にそう言う事を言うのは申し訳なく思うのだが。
「あ、まぁ、着替えとかないですもんね」
星さんはじっと黙っているだけだった。
「それは置いておいて。私、ちょっと考えたんですけど、星さんの記憶の中に川とかありませんか? 風景はもういまや随分変わっているとは思うんですけど、地形はそう変わってないと思って。もし川とかあれば…」と言って、タブレットで地図を広げる。
驚いたようにタブレットを眺めていたが、地図を真剣
に見てくれた。
「覚えてたら…地名とかもしかしたら変わってないかもですし…」
指で動かすと地図が拡大されたり、縮小されたりしているので、随分驚いている。
「星さんは今までどこにいたんですか? ふらふらしてそうにないですし」
相変わらず喋ってくれないけれど、ふと墓地が浮かんだ。その墓地の前でずっと立っていたのだろうか。
「お墓の前にいたんですか?」
微かに頷いた。
「ご自分の?」と訊くと首を傾げる。
私が地図をじっくり見ていると、星さんは突然、指を差す。そこはお寺があった。
「このお寺、知ってるんですか?」
頷くので「早速行ってみるませんか?」と私が言うと、星さんも立ち上がった。
幽霊はきっと瞬間移動できると思うのだけれど、星さんは律儀に私に付いてきてくれた。幽霊が見える人がいたら、きっと私は憑りつかれていると思うだろう。
電車に乗って、星さんが指差したお寺まで行く。星さんは私の目の前に立っているのだけれど、みんなその位置にいて、しばらくすると移動するのだ。見えてない人も何となく場所を変える。
暇だったので星さんの顔を眺める。切れ長の整ったハンサムな顔立ちだった。琴さんもあどけなさが残るかわいらしい少女で二人が惹かれ合うのは分かる気がした。二人は戦争に寄って引き裂かれ、星さんは琴さんをずっと探し続けているのだろうか。琴さんも東京大空襲があったから、無事でいられたかは分からない。生きていたら…九十歳を超えるだろう。もし会えたとして、変わり過ぎていて、星さんは納得してくれるのだろうか。
とは言え、コトちゃんはいくら何でも幼過ぎる。名前が一緒というだけで、付いてきてしまったのだろうか。
とりあえず、お墓に連れていって、上手く行くと、そこで親戚が迎えに来てくれるかもしれないなぁ…とぼんやり思いながら、私は電車に揺られていた。
駅に着くと、私はスマホの地図アプリで星さんが指さしていたお寺に向かう。
「随分、変わっちゃったでしょう?」と私は独り言のように呟く。
星さんは困ったように笑った。
「八十年…ですもんね」
一人で話す私は頭がおかしい人に見られるだろう。でも暑くて、みんな人のことを気にせず歩いている。
角を曲がるとお寺があった。
「ここに…星さんのお墓があるといいですね」
私はそっと門をくぐり、お墓がありそうな裏手に回る。お寺にはもちろん死んでる人もいるが、それは見ないふりをした。ただ軍人の霊を連れているので、ごく一般の霊が驚いた顔をするのが面白かった。
「星さんのお墓…」と言いながら、一つ一つ見る。
一つも見つからなかった。
「ここであってる?」と訊くと、頷く。
私は困ったな、と思って、もう一周するけれど、やはり見当たらなかった。諦めて墓から出ると、丁度、住職が外から帰ってきたところだった。
「すみません。あの…こちらに星さんという檀家さんはおられないですか?」
「星…? 星さん? 星野さんでしたら、昔いましたけど」
「え? お墓は…」
「それがねぇ。…実はもう随分前に途絶えてましてね」
「途絶え…」
「戦争で息子さんが亡くなり、ご両親も亡くなり…息子さんがいらしたんですけど、遠くに就職されて…それで。墓じまいされたんですよ」
「…墓じまい。いつですか?」
「もう…三十年くらい前ですかね。息子さんも足を悪くされて、もうこちらにお参り来ることも叶わないとおっしゃって」と住職は言った。
私は星さんの方を振り向く。星さんが困った顔をする。
「あぁ、そうですか。ご丁寧にありがとうございます」と私は頭を下げた。
「お知り合いですか?」
「あ…えぇ。…あの星野さんと仲良かったお家の方で…戦争で亡くなった息子さんより少し年下の…琴さんって方いましたか?」
「過去帳見てみましょうか? ただ…あの時代は過去帳もきちんと書けないこともありまして」
「あ、もしお手すきの際で結構です」と言って、私はメモ長の自分のメールアドレスを書いて住職に渡した。
「大学で歴史を専攻しておりまして。あの…古本市で昔の人のハガキを入手しまして…それで。星野さんとロマンスがあったんじゃないかなぁと思って」と割とスムーズに嘘をつけた自分に驚いた。
「研究テーマですか」
「はい。まぁ、戦前の人の恋愛とか」
「あの時代はそんな時代じゃなかったでしょうね。星野さんの息子さんも戦争で亡くなってますから。十八とかじゃないですか」
私より人生を生きていない。セミの声がうるさくなる。
「…だから私たちはしっかり生きなくては…と思いますね」と住職はそう言って、頭を下げる。
「あ、お時間取ってくださってありがとうございます」と私も頭を下げた。
星さんをここに置いておくわけにもいかず、私はそのままお寺を出た。星さんはここに留まるのだろうか、と振り返った時、星さんはごく普通の服装に変わっていた。グレーのハンチング帽を被り、白い開襟シャツにサスペンダーのついたベージュのズボンを履いている。昭和の写真で見たような服装だった。
「あ…」
着替えてくれた。理由は分からないけれど。
「わぁ。男前」と私が言うと、星さんは目を背けたが、その横顔もきりっとしていた。
(もったいない…)という気持ちが自然と湧いてきて、自分はなんという不謹慎な人間なのだろうと思った。
こんな青年が時代のせいで亡くなるなんて。ふつふつと怒りがこみあげてくる。
それと同時に、当時、こんなおしゃれができるということは星野家はそこそこ裕福であったと推測される。
私が見たイメージは田舎の風景だった。今見た星さんはいわゆるシティボーイスタイルではないだろうか。もしかしたら、東京も少し離れれば牧歌的風景があったのかもしれない。
お互い好きというまでの淡い気持ちだったかもしれない。それでも八十年もずっと探し続けているというのだから、私はその想いに胸が打たれた。
「琴さんにお会いできるようにお手伝いします」
私は意気込んでそう言うと、星さんは初めて嬉しそうに笑ってくれた。
胸を張って「まかせて」と言いつつ、でもどうしたらいいのかさっぱり分からない私だった。
途中、星さんが足を止めた和菓子のお店に入る。店内でも食べられるスペースがあるようで、私はあんみつを二つ頼んだ。店員さんが不思議そうにするので
「祖母が大好きだったので。一緒に食べたくて。一つは持ち帰りますけど…テーブルに置いてもいいですか?」と言うと、喜んでくれた。
どうも星さんはあんみつが好きらしい。このお店も古くからあるらしいので、もしかしたら通っていたのかもしれない。
星さんは何も言わずに食べているが、私は何だかデートしている気分になる。何も喋ることはないけれど、イケメンを前に食べるあんみつは格別だった。
はたと気が付く。
もし成仏しなかったら、私はずっとイケメンが側に…と邪なことを考えると顔が熱くなる。
(だめだ。人として終わってる。きっと素敵な生きてる人とも出会えるはず…いや、でも夏樹のこともあるし…)
一人で悶々としていると、目の前にいる星さんと目が合った。
ポロっと寒天が落ちる。頬が熱くて、かき氷にすればよかったと後悔した。
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