第3話
八十年前の
私は霊の彼と同居してから、異文化体験をしている。同じ日本人なのに、こんなにも違うのかと思わさせられた。
「はー、暑い暑い」と私がタンクトップになると、必ず後ろを向く。
背中を向けて壁を見つめる。そしていつもきちんと床に正座していた。戦後八十年近くなる今まで、こうして静謐でいられる霊というのも珍しい。悪霊化したり、そういうのに取り込まれたり、人間の姿を留められない霊も多い。こうして人間の姿を長い間、保っているということはそれだけ何か心の支えになるようなものがあるのかもしれない。
(精神力が…違うよね)と私はため息を吐きながらお供え物を続けた。
今まで自分のご飯も適当にレンチンで済ませていたけれど、何となくお味噌汁とおにぎりを作って、彼の前に置く。私がいると食べにくそうなので、台所に私は向かうけれど、私はそこからこっそり彼を覗き見る。すっと背筋を伸ばして両手を綺麗に合わせていただきますと口が動いていた。
(なに…それ)
私はいただきますとちゃんとしただろうか。大体いつも、口で言っても手まで合わせずにスマホ片手にご飯を食べている。背筋を綺麗に伸ばして、正座したまま食べる姿は綺麗だった。
「昔の日本人…すご」と私は素直に関心してしまった。
今のお菓子だときっと怖くて手を出せないだろうと、私はおせんべいや、水羊羹、金平糖をお皿に並べて置いておく。あまりの彼の美しさに私は自分に嫌気がさして、大学の友達の
「聖から電話とか珍しい」と言われた。
「あー、うん。ごめん。夏休み、実家に帰ってる?」
「帰ってるよ。残ってるのは…えっと、多分、
「あ、そっか。うーん。ちょっと暇だから遊ぼうって思って電話しただけ」
「夏樹誘えば? 彼女と別れたって言ってたし」
「うーん。そうしよっかな」
夏樹の彼女は嫉妬深くて、友達とご飯なんて許してくれないタイプだったから会うのは久しぶりだった。自分が下等な人間に感じてしまう息苦しい空間からエスケープしようと思って、私は夏樹に連絡した。
「え? 聖? 夜? いいよ。久しぶりに飲みに行こう」とあっさり約束を取り付けた。
居酒屋で失恋話を聞き流しながら、私は置いて来た霊のことを思う。おにぎりと、卵焼き、味噌汁という繰り返されるメニューなのに、少しも嫌そうな顔をせずに、綺麗な姿でいただきますをしていた。それをこっそり見て、私は玄関から出た。
「で、どう思う? 俺が悪かった?」
「え?」
「聞いてないのかよ」
「あー、うん。えっと彼女の話だっけ? どっちも悪いんじゃない?」
「嘘でもそこは俺は悪くないって言ってくれよー」
「うんうん。悪くない」と言うと「すっげえ棒読みじゃん」と夏樹はつまらなさそうに言う。
「夏樹君は悪くないよ。きゅるるん」と言うと、噴出した。
「聖、それ怖いし。お前美人なのに少しも可愛げがない」
「可愛げいらないし」
「まぁな。お前の彼氏になる人見てみたいわ」
「彼氏ねぇ…」
「いるの? 気になる人」
「…まぁ…変わってる? うーん。ちょっと珍しいタイプ」
そう言うと、夏樹は「え? どんな? ってか誰?」と食いついた。
「誰…? だろね。ほんと」
「はあ? なんだよそれ」
「まぁ、いいじゃん。今日はさ、元彼女の愚痴聞く日だから」と私は夏樹を促した。
出るわ出るわ、愚痴のオンパレード。かつて好きだったあ彼女の愚痴を言う夏樹が俗物過ぎて、今日は何だか安心できる。
「でもさ、俺、あいつ好きだったんだ。本当に」
「何それ」
あれだけ愚痴を言って、好きだったんだ、というのは理解できない。でもそれでも玉石混合でそれで良い気がして、私は笑い転げた。これ以上は酔いつぶれそうなので、早々に解散することにする。
「おーい、聖。お前、男紹介してやろうか?」
「は?」
「…俺とか」と夏樹が自分を指差す。
酔っ払いって怖い、と思いながら「可愛げないから」と丁重にお断りする。
「ひじりー、そう言わずに。俺、本当はお前のこと…」
さっき、本当に好きだったって言ってたのはどの口だよ、と私は口を捻りそうになる。
「淋しいよぉ」と言って、抱き着いてきそうになるから、思わず避けた。
夏樹はバランスが取れずに地面に突っ伏したと思ったら、ゾンビのようにゆらゆら立ちあがる。ちょっとだけ俗っぽいのでよかったのに、もてあました性欲は余計だ。
「一緒に寝てくれよー」とさらに近づいてくる。
「うわぁ。マジ最低」と私は走って逃げることにした。
酔っぱらってるから夏樹は明日には忘れると思うけど、ほんと、最低だ、と私は家に戻るまでなんだか腹を立てていた。自分の都合で誘った夏樹を最低だと思っている自分にも嫌気がさして、ぐったりと電車の扉にもたれた。
(幽霊もそうだけど、生きてる人間も…)とため息を吐く。
コンビニで炭酸水を買って部屋に戻る。川上さんの部屋は灯りが消えていた。もうコトちゃんは寝ている時間だな、と思ったので、そっと歩いて、扉を開けると、玄関に軍人さんが仁王立ちしていた。
「え?」
怖い顔で私を見ると、ため息をついて、またいつものようにリビングの端で正座を始める。
「何?」
私はテーブルの上に買ってきた炭酸水を置いて、コップに入れて、軍人さんの前に置く。
「お水…飲む?」と言って、炭酸水と言わずに置いたせいで、飲んだ後、変な顔をしていた。
「あ、それ、サイダーの甘くないやつ。サイダーとか飲んだりする?」
すごく不機嫌そうな顔をする。
「サイダー嫌い? 今度、買って来ようか?」
全然返事がないが、不機嫌な顔のままだ。
「サイダーじゃなくて、ラムネ…か。そういうの今レトロブームだからあるよ」
酔っぱらっているからどうでもいい話ばかり一人でする。
「成仏…どうしてしなかったの? できなかった?」
私はじっと霊を見る。
「名前…覚えてない? 住んでた場所とか…もしわかったら連れていってあげれるのに」
その瞬間、青空と畑と土の道と遠くに入道雲が見えた。誰かが道の向こうから走ってくる。おさげをして制服を着ている女の子だった。風が吹くと草と土の匂がする。眩暈がしそうなほど眩しい陽射し。
『可愛い』と思ったのは私の気持ちなんだろうか。
彼女の額から汗が流れる。
「これ、星さんの…本と、後、キュウリ。たくさんとれたから」と彼女はカゴにキュウリを入れて渡してくる。
「琴ちゃん、ご丁寧にありがとうございます。」
「いいえ。そんな。本貸して頂いて。難しいところもたくさんありましたけど、興味深く読ませていただきました」という彼女の笑顔が眩しい。
愛おしいという気持ちと、ちょっと難しい本を貸したのは自分を賢く魅せたい虚勢もあった。
(は? 私が?)
瞬間、イメージは終わって、私は目の前の炭酸水を眺めていた。
「貴方は…星さん?」
軍人さんはゆっくりと頷いた。
琴さんと言う人と想い合っていた? だからコトちゃんについてたの?
「コトちゃんは…あなたの時代には生まれてないよ?」と私は言ったけれど、俯いただけだった。
人間違いでついてきちゃったのかな、と私は思いながら、とりあえず成仏はした方がいいと思ったから、それから毎日、お供え物をした。おかげで私も健康的な毎日を過ごせたし、心なしか星さんの顔色も良くなった気がする。
まぁ、死んでる人の顔色なんて、あってないようなものだけど。
あの綺麗な田舎の風景がどこだか分からないし、画像検索してもわんさか出てくるような場所だった。戦争って私は体験したことないから、毎日、重い空気が垂れこめているかと思っていたけれど、空は青くて、空気は今よりずっと澄んでいた。
きらきらした夏だった。
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