第2話
同じ空
赤ちゃんの頃から記憶がある。赤ちゃんだから動けず寝ていることが多いのだけれど、寝ていると、ベビーベッドの横の壁からいろんな顔が出てきて、
「可愛そうになぁ。お前」
「本当に不幸な家に生まれてきて」
「不憫だなぁ」
笑いながらいろんなことを言うのが嫌で大声で泣いたことがある。
母は「怖い夢を見たのねぇ」と言ったが、私はそうじゃないと思いながら、でも赤ちゃんなので伝えることができなかった。
私は別に不幸な家に生まれたわけじゃない。ごく普通の家に生まれただけだった。ただ母方の祖母はいろんなものが見える人だったらしい。生まれた私を見に来た時に母に言った。
「この子は勘の強い子だから良く泣くかもしれんけど、気にせんと育て」と言って帰って行ったと。
母も少し勘がいい方だったが、幽霊を見ることはなかった。しかし私が亡くなった祖父のことを話したりするので、見えているとは分かっていたようだった。
「小さい子はそういうことがあるらしいから、心配せんと」と祖母に言われたらしいが、小学校高学年になった時、
「ああ、まだ見えるんか」と初めて祖母に私が面と向かって言われた。
「見えるって…みんな見えてるんじゃないの?」と訊くと
「聖が見てるのは、死んでる人やから。あんな、話しかけたりせんかったらそれでええ」と言って、小さな水晶を袋に入れて渡してくれた。
「あー、でも時々、話しかけたりしちゃったかも。だって道路で寝てるんだもん」
祖母は笑いながら「そりゃ、向こうも驚いたじゃろ」と言った。
「ねぇ、どうしてずっと死んだままなの? 死んだら消えないの?」
「どうしてやろね。きっと死んだこと分からんのやろ」と言った。
「じゃあ、死んだって分かった人は消えちゃうの?」
「さあね。祖母ちゃんも死んだことないから分からんよ」
「えー、怖い。どうしたらいいの?」
「聖が死んだら、祖母ちゃんが迎えにきてやるから。心配せんとおり」
そんな話をした祖母はもうこの世にいない。私は祖母が病院で亡くなって、お医者さんが
「二十一時四分ご臨終です」と言った時、私は上半身起こした祖母と目が合った。
祖母の体は横たわっていたが、祖母が私を見て、にっこり笑ったのだった。
「え?」
思わず声が出たが、みんな泣いていたから、気づかれなかった。そして祖母はすぐに消えたのだが、その後、度々見かけた。葬儀の時にも、火葬場でも。
「あ」と思ったら消えていたけれど、確実に祖母はいた。
四十九日に祖母が「じゃあ、聖ちゃん、ありがとね。体に気を付けて。お母さん、疲れてるみたいやから、なんか美味しいもの食べさせて。ちょっと寝不足みたいやから、温泉とか言って、寝るように言うて。後、受験頑張りなさいねぇ。受かった大学では勉強頑張るんよ。下らん男に捕まったらあかんよ…」と言いたいことを山ほど言っ
て、手を振って消えた。
そこから祖母を見ることはなかった。祖母は死んだことを理解したようで、でも四十九日まではいろんなところに行ってた気配があったが、それ以降は見ることもなかった。
四十九日をとうにすぎた霊が、巷にうようよいる。それはいいけれど、今、コトちゃんの横にいる霊はどうにかしなければ…と思った。それがどうしてなのか、分からない。強いて言えば、コトちゃんがかわいい女の子だから? 若い軍人さんだから? 答えはでないけれど、直感でそう思うのだから仕方がない。
「ねぇ、コトちゃん、いい匂い好き?」と訊くと、ユーチューブから目を離して、私をきらきらした目で見る。
「好きー、大好き」
「おいで。聖ちゃん特製の香水だよ」と言って、日本酒を混ぜた柑橘系のアロマオイルを聖ちゃんの背中に吹きかける。
「わー。なんかいい匂い?」
「あ、背中じゃ分からないよねぇ。髪につけてあげるから、くるっと回って」と言って、聖ちゃんの頭上に振りかけた。
「あー、なんかオレンジの香りする」
「いい匂いでしょ?」
「うん」と素直に喜んでくれた。
「これ、あげるね。毎日、おでかけまえに振るといいよ」と言うと、コトちゃんは嬉しそうだった。
「何だかすみません。ご飯までごちそうになって」
「いえいえ。インターフォンのお礼です」と私はにっこり笑う。
川上さんがお昼を食べ終えた後、すぐにインターフォンをつけてくれる。その間に私はコンビニに水羊羹とシュークリームを買いに行った。
簡単な作業だけれど、綺麗に配線もしてくれて、見栄えもよかった。
「わー、さすがプロですね。ありがとうございます」と言いながらシュークリームを「コトちゃんとどうぞ」と言って手渡した。
川上さんは恐縮していたけれど、私はコトちゃんと二人をさっさと追い出すことにする。久しぶりに最上級の笑顔を作って、玄関でお見送りをした。コトちゃんは嬉しそうに私に「バイバーイ」と手を振ってくれる。
軍服の霊だけ取り残されている。コトちゃんにはしばらく近づけないように、私は日本酒と柑橘系の匂いのスプレーを振ったのだ。
「…どうして…あの子についたの?」
無言でこっちを睨んでいる。
私は買ってきた水羊羹をお皿に入れて、もう一度日本茶を置いた。
(まぁ…喋れないか)
「どうぞ」
きっと甘いものなんて口にすることもなかっただろう。また私を見るから、
「ちょっと買い物に出るから、ゆっくり食べてね」と言って、鍵を閉めて部屋から出た。
真夏の厳しい陽射しがアスファルトを焦がしている。軍服の彼は戦争に行って亡くなったのだろうか、それともここで亡くなったのだろうか。十代後半の美男子ともいえる短髪で涼やかな目が印象的だった。
近くの神社にお参りする。ざわざわと木々が風で揺れる。窓から見た入道雲が広がっていた。
「雨…降るまでには戻らないと」と呟いて空を見上げた。
気温はぐんと上がっているけれど、空はきっと七十年前も同じ青さだ。
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