第1話
軍服の霊
夏休みは外に出たくない。お盆が近づくと、たくさん出現するあれを見たくないからだ。あれというのは、頭がおかしいと思われるかもしれないけれど、幽霊だ。最近、特に多い気がする。そもそも日本人の無宗教化が進み、死後の世界を信じる人間が少なくなり、死んだ後、うろうろする人が多いのだ。それはそうだろう。死んだ後のレクチャーなんて学校で教えてもらうことはない。死んだらお迎えが来ます…なんて言ったところで、誰が信じるのか。
つまり、死んだ後、極楽浄土、あるいは天国に行けると信じてる人の少なさがこの現象を招いている。だから死んだ後も気づかずに、普通にうろうろしている元人間が多い。特に九十年代、二千年代のホストなんかちゃらちゃらと二丁目、渋谷界隈にいる。明らかにファッションや、髪型がオールドスタイルなので現在の人とは違うのが分かる。
「すみませーん。
安アパートなので、振動が大きい。
「はーい」
早くインターフォンを直して欲しいのに、壊れたままで本当に困っているから、催促できて丁度いいと私はご機嫌で玄関を開けた。
そこには大家さんと、お父さんらしい男の人と小学校一年生くらいの女の子、そして死んでいる男性がいた。
「あー」と思わず声が出てしまう。
「あのね、この方、お隣に引っ越して来たの。川上さん。
「あー、どうも。私、
「あのね、コトちゃん、お母さんいないのよ。一人だから気にかけてあげてくれない?」と個人情報駄々洩れな会話を平気でする。
私は横にいる死んでる若い男を見て、まぁ、それは気に掛けざるをえないな、という感じだった。死んでいる男性は軍服を着ていて、コトちゃんの横に立っている。
「七瀬さん、優秀で近所の大学生なんだけど…お金なくて、こんなところに住んでるのよ」と続けざまに個人情報保護法を無視する大家さんは自分のアパートなのにすごい言いようだった。
「あ、大家さん、いい加減、うちのインターフォンを新しくしてくださいよ。不便なんですから」
「あー、あー、そうね。まぁ…そうね」としどろもどろに言葉を濁す。
すると川上さんが「僕、つけてあげましょうか?」と言った。
「えー、いいのぉ。じゃあ、七瀬ちゃん、好きなの買ってきて、つけたらいいわ」と大家さんが変に媚びた声を出す。
「…領収書渡しますからね」と言うと「あんまり高いのはだめよー」とまた変なしなを作って、外階段を降りて行った。
「あ、僕買って来ましょうか。安く手に入るので」と川上さんは言ってくれた。
「あー、ありがとうございます。あの…コトちゃん、家おいで」と私は突然誘った。
「え?」と川上さんが驚いて言うけど、
「あの、早急にインターフォンが必要でして。よかったら、コトちゃんにお昼ごはんを食べてもらってる間に買ってくれませんか」と図々しいお願いをする。
「…あ、はぁ」と川上さんはコトちゃんを見た。
「うん。お腹空いた」とコトちゃんはきらきらした目で私を見た。
「じゃあ、そういうことで。コトちゃんアレルギーありますか?」
「とくには…」と川上さんが言うから、私は素早く扉を閉めた。
「コトちゃん、ここに座って待ってて」と私は台所に向かう。
あの軍服を来た若い幽霊もやはりコトちゃんにくっついている。コトちゃんがソファに乗ってくつろいでいるのに、ローテーブルを前に律儀に正座していた。
「んー、どうしよっかな」と言うと、
「コト、ラーメン好き。後、チャーハンも」とにこにこの笑顔を見せてくれる。
「そっか。えっとね。聖スペシャル食べる?」
「えー、食べたい。なにそれ?」
「冷凍庫で眠っているごちそうだよ」と冷蔵庫の中を探る。
冷凍ドリアがあった。後、冷凍食品のから揚げもあった。でも軍服来た男性が視界の端に映る。
「あ、でもちょっと待って。やっぱりちゃんとするわ」と言って、私はお米を洗って炊飯器にセットする。
そして味噌汁と、卵焼きを作った。作っていると、コトちゃんが近づいてくる。当然、あの霊も近づいてくる。
(なんだろうなぁ…。親戚ではなさそうだし)と思いながら、卵焼きの二回目を作る。
そしてテーブルに並べた。コトちゃんは喜んで席に座った。コトちゃんの横にもう一つ私は卵焼きと味噌汁とそして炊いたご飯でおにぎりを作って置いた。
「召し上がれ」と私は二人に言う。
「わーい」とコトちゃんは喜んでお味噌汁を両手で持った。
私は霊にも「どうぞ」と強く伝える。
驚いたように私を見た。そう、彼は私が見えるとは思っていなかったのだ。
「遠慮せずに召し上がれ」
彼は目を見開いて、涙を零した。
(そうだろう。ご飯なんてろくに食べれなかった時代だろうし、それに…お供えなんてしてもらえてなかっただろうに)と私は彼が食べにくそうだったので、台所で日本茶を淹れる。コトちゃんには麦茶を出して、その横に日本茶を置いた。
「ねー、聖ちゃん。どうして食べないの?」とコトちゃんが私に言う。
「今はねーいいんだー。後で食べる。っていうかパパにも食べてもらおうか? もっと卵焼き作るよ」と言うと、コトちゃんの笑顔が弾けた。
私はなるべくその隣を見ないようにして、ちょっとタバコ吸いたいなぁ…なんて思ってしまった。タバコが好きなわけじゃなくて、タバコを吸うと、人も元人間も寄って来なくて楽だからだ。
(まぁ、でも…今はコトちゃんいるし、やめとこ)
私は卵を割って、また卵焼きを作ることにした。
「聖スペシャルおいしい。お代わりー」と味噌汁のお椀を差し出すコトちゃんを隣の男性は優ししい目で見ていた。
「えー、もう食べたの? 早いねぇ。お代わりたくさんしてね」と隣の人にも言う。
そしてコトちゃんはテレビが見たいというので、テレビがないからパソコンでユーチューブを見せると、興味深そうに男性も覗いていた。
(この人、どこからついて来たんだろ)と思いながら、私はコトちゃんが見ても無害そうなおもちゃの紹介チャンネルを見せる。
「あーいいなぁ」と言うから、これは有害だったかも…と思っているところに川上さんが帰ってきた。
「すみません。遅くなって」と汗を拭きながら言う。
「あ、よかったらご飯どうぞ」と私は言うと「え、それは…」と遠慮される。
「たくさん作ったんで、どうぞ」
川上さんも結局食べてくれた。私は軽く、
「どこから引っ越しされたんですか?」と聞いてみた。
意外と近くだったが、川上さんは小さな工務店を経営していたが、奥さんが若いアルバイトの男とお金を持って逃走したらしく、家を売って会社の借金の返済にあて、一からまた出直すことにしたと言った。
私も驚いていたが、霊の若い男性も驚いていた。
(ってことは…引っ越し後についてきたのかな)
コトちゃんは聞こえているかもしれないけれど、ユーチューブにくぎ付けだった。
「それは…大変ですね」と言った後、いつもは絶対言わない「何かあったらお手伝いしますよ」なんて言葉をかけてしまった。
それはコトちゃんが可愛かったから。純粋できらきらしているから。この子とそしてこの霊がどうして側にいるのか気になるし、霊はやっぱりこのままこの世にいていいわけはないんだから。
「…七瀬さん、お料理上手ですね」と川上さんが褒めてくれた。
「卵焼き…くらいは」と作り笑いを浮かべる。
何だかタバコをふかして、コーヒー飲んで、冷凍食品を食べているなんて言えなくなってきた。セミがうるさく鳴き始める。
(終戦近いから? …何だろうね)と私は台所の窓から入道雲が膨らんでいる青空を眺めた。
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